その1「新聞記者をめざす」 (1/5)
――本城さんはどういう幼少期を過ごされたのでしょうか。野球ミステリーをお書きになっていますが、野球少年だったんですか。
本城:いえ、僕はサッカーをやっていました。スポーツを一生懸命やって活発で、勉強している人たちを「勉強ばっかりして」と思うようなタイプでした。がり勉タイプを嫌って、国語の教科書さえちゃんと読んでいなかった。だから本はほとんど読んでいなかったと思います。江戸川乱歩の少年探偵団シリーズなんかは読みましたけれど。映画の『八つ墓村』が流行った頃に原作を読んだりもしましたが、他の読書家の人たちみたいに夏目漱石や太宰治を一生懸命読む、ということはなかったんです。なので、ある意味、本に対しては無知なまま、ある程度の大人になったんですよね。
――作文は得意でしたか。
本城:可もなく不可もなくという程度だったと思います。でも話をするのは好きで、人を笑わせるのは得意でした。
――新聞記者になりたいと思い始めたのはいつ頃だったんですか。
本城:大学生の頃ですね。バブル期で、世の中が浮かれている時代の大学生で、まわりもテレビ局や広告代理店を志望する学生がいっぱいいたんです。その時に自分もマスコミに行きたいなと思ったんですけれど、テレビや代理店に自分がいることは想像できなかった。でも新聞のスポーツ記事はよく読んでいたんです。ゲームの結果というよりも、野球だったらトレードの話とか、特ダネのニュースなんかをよく読んでいたんですね。それで、よく沢木耕太郎さんの本も読んでいたんです。『敗れざる者たち』とか『一瞬の夏』とか。スポーツのルポルタージュものです。本来活躍していない選手を取り上げて書いている世界に惹かれました。
スポーツ新聞の記者になりたいという人は2パターンあると思うんです。「大きなイベントを見たい」という人と、「見えないものを見たい」という人と。イベントというのは、オリンピックに行って金メダル獲った人の話を感動的に書きたい、という人。見えないものというのは、その舞台裏。僕は舞台裏みたいなものが知りたかった。裏にこんな画策があったとか、そういうものを書きたいと思っていました。今回『ミッドナイト・ジャーナル』という小説を書いたんですけれど、それと同じような感覚でした。見えない、隠されたものを自分が知りたい、書きたい。
――大学生の頃から、その思いをずっと抱き続けているという。
本城:新聞社の面接のときにもそういう話をした記憶がありますね。みんなが勝者のところに行っている時に、敗者のところに一人だけ行って「なんでこういう結果になったのか」と訊きたい、とか。選手の悔いみたいなものを自分一人で聞きたいと思っていました。人間って、極端な言い方をすると、2つの感情しかないと思うんです。ひとつは優越感で、ひとつは劣等感。たぶん、圧倒的に劣等感が多いんです。「自分はそういうの関係ない」と言う人だって、その言葉自体が劣等感から始まっていると思うんですね。そこにすごいドラマがあって、自分はそれを取材したいと思いました。今は小説を書いていますが、そういうテーマを抜きにしたら自分は書けないんじゃないかなと思う。負けたくないとか悔しいとか腹立たしいとかむかつくとか、そういう感情を作品の味つけにしています。
――大きくいうと戦争もそうですよね。
本城:まあそうですよね。人が自分より得をしていることに不満を持つから喧嘩の感情が働く。五分五分というのはなかなかありえなくて、どんな友情関係でもなにか相手が得して自分が損している気になったら怒りの感情が働く。それがいちばんはっきりしているのがスポーツですよね。スポーツには敗者がいて勝者がいて、敗者は「自分は負けたと認めるけれど、本当は負けてないって思いたい」という敗者の複雑な気持ちを書きたい、というのは記者の時も今も変わらないと思います。