いよいよ明日...と思うと仕事がまったく手につかない。今日に限ったことではなく、今週はまったく働いていない。浦和レッズのことしか考えられない。
もう仕事を放棄し、5年前のミシャ監督就任直前に「フットボールサミット」の浦和レッズ特集に寄稿した自分の原稿を何度も読み直している。
フットボールサミット編集部から許しを得たので、こちらに転載しておきます。
「それでも、愛さずにはいられない」 杉江由次
「フットボールサミット」編集部から「なぜ浦和レッズの応援をし続けるのか。例えば今年みたいに弱いときも。それを書いて欲しい」と頼まれたのだが、編集者は電話口で「弱い」という単語を発するとき、ちょっと口ごもった。おそらく遠慮したのであろうが、そんな気遣いは必要ないのである。2011年の浦和レッズは確かにチーム創設史上最低のチームであったし、何より浦和レッズの歴史の4分の3は弱かったのだ。
しかしである。私には逆に強いだけのチームを応援し続けている人のほうが不思議だ。なぜなら私が浦和レッズの応援を辞める、すなわち「サポーター引退」に一番近づいたのは、アジア・チャンピオンズリーグを勝ち獲った2007年だったからだ。
あの頃の浦和レッズは、2003年のナビスコカップの制覇から、Jリーグのステージ優勝、天皇杯2連覇、そしてJリーグ王者と初めて強豪と呼ばれるチームになり、埼玉スタジアムに向かって自転車を走らせているときもまったく負ける気がしなかった。たとえ対戦相手が鹿島アントラーズやガンバ大阪だったとしても、今日はどんな風にやっつけ、心地よく「We are Diamonds」を歌うかしか考えていなかった。
現実に試合が終われば、私はタオルマフラーを頭上に掲げ、ゴール裏の中心部からゆるやかに聞こえてくる歌い出しに合わせ、息を大きく吸い込み、腹の底から声を出していた。
We Are Diamonds We Are Diamonds
Yes We Love You Boys In Red
We Stand Beside You Forever Always
Yes Red Diamonds You're The Best
We Are Diamonds We Are Diamonds
All Together Hand In Hand
We Will Keep On Singing For You
Yes Red Diamonds You're The Best
さすがに英語の苦手な私でさえ、埼玉スタジアムのバックスタンドの壁に書かれている歌詞を見ずに歌えるようになったものだ。
その頃、真っ赤に染まった埼玉スタジアムはまるで天国のようであった。笑顔に満ちあふれ、ゴールシーンでは誰彼なく抱き合い、優勝を決める試合の前は隣の人と手を握り合い、拳を天に突き上げ、まさにサポーターがひとつになっていた。
ところが天国と地獄はともに死の世界でもあった。
そんな絶頂期に私が考えていたのは、いったいこの先何を楽しみに浦和レッズを応援していけばいいのかということだった。長年追い求めていたものはほとんど手に入れてしまい、あろうことか鹿島アントラーズのユニフォームに記されている星のなかで、唯一手に入れることができていないアジアチャンピオンにもなってしまったのだ。それは想像を超える快挙だった、目標を失ってしまった私が思ったのはこんなことだった。
今ならサポーターを辞められるかもしれない。
浦和レッズを応援し続けて初めてそう思えた瞬間だった。
20歳で浦和レッズに恋した私は、そのアジアチャンピオンになるまでの15年間の間に生活環境が一変していた。家庭を持ち、2人の子を授かり、家の中には家事や育児などいくらでもやらなければならないことがあった。
それなのに私は土曜日になるとこそこそ出かけ、一日を浦和レッズのために費やしていた。つらいのは家族の冷たい視線だけではなかった。チケット代やオフィシャルグッズの購入、遠征費にスタジアムでの飲食代と相当使っていた。シーズンチケットの費用は、月3万円のお小遣いのなかから毎月3000円ずつ妻に月賦で支払っていた。そしてなによりも浦和レッズの成績により精神状態が乱高下するのが苦しかった。
いつかこの生活を抜け出したい。心のどこかでそう考えていたのだ。
土曜日の午後を近所の公園で子供たちと過ごし、太陽の降り注ぐ下レジャーシートを敷いて、妻の作ったお弁当を食べるような穏やかな休日を過ごしたかった。
でも、どうしたらサポーターを辞められるのかわからなかった。
妻や子よりも付き合いの長い、そして妻や子以上に不幸に見える浦和レッズを見捨てるなんてできやしなかった。スタジアムで出会った観戦仲間と別れることも考えられなかった。彼らとの関係はおそらくスタジアムに通わなくなれば自然と途絶えてしまうだろう。
いつか優勝を味わってみたい。チャンピオンになりたい。その一心でどんなにつらい時も乗り越えてきたのだ。だからアジアチャンピオンとなり、埼玉スタジアムで「赤き血のイレブン」のチャントを歌ったとき、「これで辞められる」と思ったのだ。
私にも幸せな土曜の午後がやってくるはずだった。妻の冷たい視線や娘や息子の不満は消えるはずだった。
しかし、辞められなかった。
あれから4年経った今も、私の土曜の午後は浦和レッズに費やされている。
なぜなら浦和レッズはその年を境にしてまた低迷期に突入したからだ。私が応援せずに誰が浦和レッズを応援するのだ。弱いときこそ支えるのがサポーターではないのか。とてもじゃないがサポーターを辞められる状況ではなくなってしまった。
「フットボールサミット」編集部も含め、いわゆるサッカーファンとクラブチームを愛してしまったクラブ・サポーターが決定的に違うのは、サッカーの楽しみ方だと思う。
サッカーファンが楽しんでいるのはゴールの瞬間や自分ではとてもできないプレイそのもの、あるいは数式のようにはまった戦術だろう。そういう人たちはまるでテレビをザッピングするか、検索エンジンに「楽しいサッカー」と入力するかのようにビッグゲームを見て、FCバルセロナのサッカーを楽しんでいるのだ。「喜怒哀楽」でいうと「喜」と「楽」を求めてサッカーを観戦しており、つまらなければ他のチャンネルに変えればいい。
しかしクラブチームを愛してしまったクラブ・サポーターはそういうわけにはいかない。応援するチームの試合しか楽しめず、それは離島のテレビのようにチャンネルがひとつしかなく、検索エンジンも応援するチーム名以外検索できないフィルターが取り付けられるようなものだ。そこには必ず「喜」と「楽」以外の感情である「怒」と「哀」が存在し、それを受け入れなければクラブ・サポーターなどつとまらないのである。
そもそもサッカーというスポーツは、人間が一番器用に使うことができる「手」を使わないというルールがあり、だからこそ基本的にミスをするスポーツだと言われている。
ファーストタッチのトラップでボールが大きく弾み、相手にあっけなく奪われる。パスはあらぬ方向に飛び、タッチラインを割る。シュートはゴールの枠を超えてスタンドに飛び込む。そういったミスの積み重ねが、ほぼ90分間続くのだから、それを観ているサポーターは不満がたまって当然だ。
サッカーというエンターテインメントは、映画やコンサート、あるいは読書のようなエンターテインメントと違い、あまりに負の要素が強いと思う。サポーターの心理を描いた傑作小説『ぼくのプレミア・ライフ』(新潮文庫)で、著者であるニック・ホーンビィが幼少の頃スタジアムにはじめて訪れたときの様子をこのように綴っている。
「しなしながら、ぼくを心から感心させたのは観客の数ではなかった。大のオトナが『クソッタレ!』なんて言葉を叫んでも許され、周囲の注目を浴びることもないという事実でもなかった。僕が何より感心したのは、まわりにいた人たちの多くが、そこにいることをほんとうに、心の底から憎んでいたということだ。その午後起きたことや発せられた言葉をぼくなりに考えてみても、楽しんでいた人などいなかった」
まさに、そうなのである。スタジアムにいるほとんどのサポーターが、多くの時間怒りを抱えてチームを見つめているのだ。ふがいない選手にため息を漏らし、指導力のない監督に不満を持つ。なによりそんなチームしか運営できないクラブに呆れ果てている。
それでもスタジアムに足を運び、喉が枯れるまで応援し、ふくらはぎの筋肉が張るほど飛び跳ねているのは、まさしくそのような負のエンターテインメント性をも楽しんでいるからに他ならない。いや楽しむという言葉は誤解を与えるかもしれない。実際に私はスタジアムで心の底から怒っているし、呆れ、泣いてもいるのだ。しかしそれでも毎回スタジアムに通うのは、そういったプラスもマイナスも含めた感情を味わえる場所としての魅力が、サッカースタジアムにあるからだ。
そうやって考えると我らが浦和レッズにサポーターが多いのも当然なのだ。
例えばリーグ最終節だけを振り返ってみても、素晴らしいまでのエンターテナーぶりを発揮しているのがよくわかる。つい最近行われた2011年の最終戦は、ホーム埼玉スタジアムで、J2昇格から1年目の柏レイソルに目の前で優勝を決められてしまった。しかもその日まで浦和レッズは数字上J2降格の危機に晒されていたのだ。2010年の最終戦はJ2降格崖っぷちの神戸に敗北し、なんとJ1残留をアシスト。「神戸讃歌」を聞かされる羽目に陥った。
その一年前は鹿島アントラーズの優勝を目の前で味わうという屈辱にまみれ、2008年は横浜Fマリノスに大惨敗、そして忘れられないのは2007年の最終戦だ。勝てば優勝のその試合で、すでにJ2降格の決まっていた横浜FCにまさかの敗北でV2を逃した。そういえばその前年のJリーグ初制覇も最終戦で決まったのだった。
もっと歴史をさかのぼれば、J2降格やJ1昇格も最終戦まで引っ張られた。浦和レッズのシーズンにはほとんど消化試合というものがなく、毎年シーズン終盤まで固唾を飲んで見守る展開ばかりなのだった。
もし優勝や得点王といった良い面での表彰以外に、悪い方の結果をポイント制にしていったら浦和レッズはダントツの首位をいくのではないだろうか。Jリーグ創設期に2年連続最下位、入れ替え制導入年のJ2降格、天皇杯での格下相手の敗北、またホームグラウンドでの被胴上げ回数に、ナビスコカップの決勝では3回も負けているのだ。おそらくそれらの印象的な負け数をユニフォームに黒星で記していったら、生地が足りなくなるはずだ。
過去の年間成績を振り返ってみてもこれほど乱高下を繰り返しているチームも少ないだろう。「Jリーグのお荷物」と呼ばれた低迷スタートから1995年の一瞬の飛躍、そしてまた低迷しつつ1998年のセカンドステージに夢を見させ、期待させたところで翌年のJ2降格。1年で這い上が徐々に力をつけ、2003年から2007年まで頂点に達するが、アジア・チャンピオンズリーグ制覇から一気に下降し、4年後の今年は降格の危機に晒された。
その成績を折れ線グラフにしたら、おそらく富士急ハイランドの絶叫コースター「高飛車」なみだ。まさに日常生活では味わえない喜怒哀楽の両方を浦和レッズは提供してくれている。こんなエンターテインメントは他にないだろう。
浦和レッズの試合後、あまりに不機嫌な様子で帰宅した私に小学校5年生の娘が聞いてくる。
「パパ、どうしてお金を払ってるのにそんなに怒ってるの?」
娘の言っていることは一見正しいように思えるけれど、そうではないのだ。私は一度だって浦和レッズに対して自分が消費者だなんて考えたことはない。1試合1800円払っているそのお金は、選手とともに戦う権利を得るための代金だと考えている。
月曜日の朝、必ず私の顔色をうかがう同僚はこう尋ねてくる。
「どうして自分のことじゃないのにそんなに真剣になれるんでしょうか?」
いや自分のことなのだ。私は試合中選手とともに戦っているし、勝てばともに喜び、負ければ心底悲しむ。「We are Reds」とはよくいったもので、まさに自分も浦和レッズの一員なのである。この感覚をどう伝えたらいいのだろうか。何度か同僚に力説してみたけれど、苦笑いされて終わるのが常だ。
妻は私の性格を知り抜いたかのようにこう言ってくる。
「あなたは弱いものが好きだから」
そうじゃないのである。私は一度だって浦和レッズが弱いなんて考えたことがない。いつだって強いはずだと信じている。信じているけれど実際には負けることが多いだけだ。弱いから好きなのではない。もはやそんな客観性は私のなかにはない。ただそこに浦和レッズがあるから応援するのだ。
私と浦和レッズの関係は、やはり恋愛に近いかもしれない。ある日突然理由もなく恋に落ち、想いを一心に伝えるがなかなか振り向いてくれない。終始振り回され気味の片想いで、でも振り回されればされるほど、こちらの恋心は燃え上がる。ときに勝利という名の微笑みを与えられ舞い上がり、優勝した瞬間だけ両想いになれる。そうやってすでに20年近く片想いが続いているのだ。
私と一緒に埼玉スタジアムで観戦している71歳の母親は、21年飼った猫が死んでペットロス症候群に陥り、生きる価値を見いだせなくなったとき浦和レッズと出会った。それまでサッカーの「サ」の字も知らなかった母親が、今ではスタジアムで山田暢久を叱り、田中達也に年甲斐も忘れて黄色い声援を送っている。
いったい浦和レッズの何が母親を魅了したのかわからない。わからないけれど母親は浦和レッズと恋に落ち、今ではなるべく長生きして、もう一度浦和レッズの優勝を味わいたいと願っている。
そんな母親に「フットボールサミット」編集部が問いかけてきた質問をしてみる。
「なんで弱いときも浦和レッズを応援しているの?」
母親は何を馬鹿なことを訊いているのだという目で私を見つめ、キッパリ言った。
「そんなの好きだからに決まっているじゃない。それに出来の悪い子ほどかわいいって言うでしょう」
2011年は浦和レッズにとって最低の年だった。GMの辞任、監督・選手の放出、クラブの迷走、あたふたする次期監督選び。最終節の試合後、社長をゴール裏に呼び出し、長時間の話し合いが持たれたけれどまともな返事を聞くことはなかった。出口がどこにあるのかわからず、モヤモヤした気持ちを抱えたまま、私は年を越す。
しかし、どれだけ先に光明が差すのかわからないけれど、この困難を乗り越えて優勝したときのことを考えるととてもサポーターを辞められない。そのとき埼玉スタジアムはどれほどの熱量に包まれるのか。
もうしばらく私の土曜日は浦和レッズに費やされるだろう。
どんなに弱くても、どんなに強くても、愛さずにいられないチーム。
それが浦和レッズだ。
(「フットボールサミット 第5回 拝啓、浦和レッズ様」より)