9月22日(月)
書店の棚やウィキペディアを見ればわかるとおり角田光代はたくさんの本を出している。本になった作品だけではない。雑誌を開けば、あちらこちらにその名を見かけ、連載小説、エッセイ、インタビュー...こんなに書けるのかと驚くどころか、こんなに書けるわけないんじゃんと呆れるほど活躍している。
その名を見かけるたびに私は、あっ角田光代が載っていると嬉しい気持ちが起きる反面、少しだけ意地悪な気持ちも湧いてくる。私は角田光代の新作が出れば必ず書い、その日のうちに読み出すファンだけれど、妄信的なファンではない。だから、これだけ書いたらいつか必ず書き流すときが来るだろうと思っている。その時が来たら「ほらね」と言って、本を放り投げてやろうと身構えている。
それなのにいつもその意地悪な想いをあざ笑うかのように、角田光代は傑作を書く。イチローが自然体でヒットを打ち、メッシがやすやすと相手をかわしゴールを決めるように、角田光代は傑作を書く。
それにしたってだ。新刊『笹の舟で海をわたる』(毎日新聞社)の凄さをどう伝えていいのかわからない。ぶったまげた。腰が抜けた。息が止まりそうになった。もはやベスト1とか傑作とかそういうレベルの作品ではない。
いったいどれだけ小説と向き合ったらこんな作品を書けるんだろうか。角田光代が小説を書いているというよりは、小説が角田光代に乗り移っているようにさえ思えてくる。
『笹の舟で海をわたる』は、戦中から昭和の終わりにかけて生きてきた人々の暮らしというものを左織という女性の目を通して描かれる。疎開先での苦々しい記憶から終の棲家選びまでが丹念に語られる。長い物語だ。一生の物語だ。
謎や大きな山場が用意されているわけではないから、なかには退屈だと思う読者がいるかもしれない。しかし、それこそが人生なのではなかろうか。そう、角田光代が『笹の舟で海をわたる』で描いているのは、まさに人生そのものなのだ。
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夏休みを返上して出社すると、来ると思ったと事務の浜田に笑われる。
『サンリオSF文庫総解説』の注文が大変なことになっており、週末に重版した部数を上乗せする。
助っ人総動員し、一日中直納で駆けずり回る。ハッピー。