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4月24日(火)

「あっ、お姉ちゃん、いいなあ。半袖で」
 大きなおにぎりを口いっぱいに広げ頬張っていた息子が、寝間着から着替えてきた娘を見て、声をあげた。息子と向い合って食卓で折り目のしっかりした新聞を読んでいた私もその声につられて娘を見ると、日焼けした2本の腕を半袖の先からのぞかせていた。
「だって今日、暑いんでしょう? さっき、テレビの天気予報で最高気温25度って言っていたよ」
「夏だね、もう」
「じゃあ、僕も半袖でいい?」
「いいよ、好きにしろよ」
 私が頷くと息子はおにぎりを皿に置き、自分の洋服が閉まってあるタンスにめがけて走っていった。
「ねえ、ママ。僕の半袖どこにあるの?」
 階下から妻とのやりとりが聞こえ、しばらくすると胸に黄色いキャラクターがプリントされた半袖シャツを着て戻ってきた。「ピカチュウ!」とそのキャラクターを指さし、またおにぎりを口いっぱい開けて頬張り出す。
「早くしないと学校に遅れるよ」
 娘は不機嫌そうに息子を怒鳴ると、「ごちそうさま」と言ってテレビの前に座った。
「もう時間ない?」
 息子が泣きそうな顔をして訊いてきたので時計を見ると、まだ登校までに20分はあった。
「大丈夫だよ、ゆっくり食べろよ」
 息子は安心したように、自分の目の前に置かれていた目玉焼きに手を伸ばした。

 小学2年生の息子は本当によく食べる。朝、昼、晩、お代わりをしないときはないし、焼肉やカレーのときはそのお代わりが1回では済まない。ほぼ毎日サッカーの練習をしている小学6年生の娘もよく食べるが、息子もそれに負けないくらい食べる。
 私は新聞をいったん閉じ、息子を見つめる。息子が物を食べている姿が好きなのだ。
 目玉焼きがうまく切れなずフォークを立てナイフのように動かしているが、それでもうまくいかいない。じれったくなったのか皿ごと口に持っていくと、小さな歯をむき出しにしてかじりついた。半熟の黄身が破れ、口元から黄色い汁がたれる。あわてて舌をペロリとだすと、最後の一滴までビールをコップに注ぐ酒呑みみたいに黄身を拭った。
「ああ、黄身ちゃん美味しいよねえ」
 目尻を下げて感嘆の言葉を漏らすと、息子の視線は私の皿に置かれたソーセージに注がれた。生唾を飲む音が聞こえてきそうだったが、私は気づかないフリをして、ソーセージにプツリとフォークを刺す。そしてゆっくりと口元に持っていく。息子はこの世の終わりのような顔をして、ソーセージと私の口元を交互にを見つめている。
 ソーセージが今にも私の口に入りそうになった瞬間、息子は情けない声をあげた。
「ああ」
 私はその声で息子の熱視線に気づいたかのような顔して、「食べたい?」と訊ねた。
「うん。うん。」
 息子は二度大きく頷いた。
「じゃあ、あげようかなあ」
 元々私の朝食はバナナとヨーグルトで十分だったのだが、もったいぶりつつ息子の皿にソーセージをのせると、息子はフォークを一旦テーブルに置き、両手を合わせた。
「ありがとうございます、ありがとうございます」と頭を下げる。
「いい加減にしないと本当に遅れるよ!」
 娘がそのやりとりを見ていて、呆れたように怒る。時計を見ると登校時間の5分前まで迫っており、息子に早く食べるよう急かす。
「美味しいソーセージちゃーん」
 息子は愛おしそうにソーセージを口に入れた。

 本の雑誌社に転職する以前、私は歯科専門の出版社に勤めており、歯の大切さは身にしみいる。しかしそれを知った時自分の歯はすでに手遅れで、奥歯のほとんどは詰め物なっていた。だから子どもたちの歯だけはと、土日の学会販売で覗いた講習会のブラッシング指導を思い出しながら、随分大きくなった二人の子どもの歯を毎朝磨くようにしている。どんなに機嫌が悪くても娘は洗面台の前に来ると大きく口を開けるし、息子も黙ってポカリと開ける。
 そうして順番に二人の歯を磨くと、私の家庭での朝の勤めは終わる。
 娘と息子は、前の晩に妻から何度も注意されながら中身を詰めたランドセルを背負うと、靴を履き、扉を開ける。
「行ってらー」
 離島に暮らす大家族のお父さんのお見送りの言葉を口にするが、「そうじゃないって。パパは『行ってきー』なんだって」と二人に怒られる。何度聞いても覚えられず、もう一度やり直す。
「行ってきー」
 扉からほとんど身体を外に出している娘と息子が振り返り、「行ってらー」と小さく手を振る。ゆっくり閉ざされる扉の向こうで、二人が通りを歩いて行った。
 扉の隙間から射していた朝の光は、徐々に小さくなっていく。

4月23日(月)

 通勤読書は、角田光代の『ロック母』(講談社文庫)。川端康成賞を受賞した表題作を含む、1992年から2006年までに書かれた短篇集。読んでるそばから、「今、俺、すごい小説を読んでいる」という想いに全身が包まれる。

 ダービーで負け、自分のサッカーで負けた最悪の週末を忘れさせてくれる。

 とある大型書店の仕入部を覗くと、その在庫置き場のほとんどが文庫になっていた。数年前まで、いやつい最近までここにはほとんど単行本しかなかった記憶があり、そのことを仕入れの方に訊ねると「もう今は売れていくのは文庫ばかりだかね」と両手を上に開かれる。

 その後行った書店さんでも文芸書の売上の酷さを嘆かれる。
「文庫になるのがこんなに早いんじゃみんな文庫を買いますよね。それどころかもう単行本になってから文庫なるなんてシステムをお客さんが理解していないし、そうじゃない「いきなり文庫本」も出てきてるから、うまく説明もできないですよ」

 冬に着るあの暖かいフリースは、ユニクロが安価で売り出す前は、アウトドアメーカーが1万円以上で売っていた。当時カヌーをやっていた私はそのような高いフリースを買い、キャンプのたびに着ていた。アウトドアファッションの流行り始めで、山やカヌーなどアウトドアをやる人間と若い人達は、そうやってフリースを買い、着ていたのだ。

 ところがユニクロが売りだすと同時に、みんながフリースに飛びついた。主婦から高齢者から子どもまで、今や冬の定番の洋服となったが、フリースと聞いて思い浮かべる値段は1000円代か2000円代になってしまった。

 単行本も、いや特に小説で同じことが起きているような気がする。
 文庫化のスピードが速まり、ノンフィクションのように今読まなけれなならないという時代性の薄い小説は、1年半後、2年後に読んでもまったく問題ないのである。だから、文庫になるのを待って買う。それを繰り返しているうちに、お客さんの小説に対する値段は、500円から600円という意識が根付いてしまったような気がするのだ。

 いつだか取次店の知り合いに、『ホームグラウンド』を1600円にするか1500円にするか相談したとき、その人は「1500円の壁は大きいですよ」とアドバイスしてくれたけれど、実はもう500円前後かそれ以外という枠組みしかないのかもしれない。

 一度安いものを知ってしまったお客さんは、なかなかそうじゃないものを買ってくれないだろう。それでもフリースのように市場が広がってくれればいいのだが、文庫の売上は点数の割に伸びていないようだ。

 って前も書いたかな。

4月20日(金)

 あと一ヶ月ほどで笹塚を離れ、本の街・神保町へ引っ越すための、社内「断捨離」大会を決行。

 笹塚に来てから約20年の間に溜まった本や資料やなぞの物体をどかどか捨てていく。ネット世界が構築されるまでは何事にも多くの資料が必要で70年代後半からの各社文庫目録など出るわ出るわの紙の山。

 もしかしたら大判小判ザクザクの風景なのかもしれないがとてもそんなことをしている時間はないので、ゴミと本を分け、ゴミは書店さんに無理言っていただいてきた取次店の段ボールへ箱詰めし、本は先日おじさん3人組で訪れ、突然の雨に傘をいただいた阿佐ヶ谷の名古本屋・コンコ堂さんに放出。ついでに引越しにまったく役立たなそうな編集部・宮里も値がつかないことを覚悟で引き取ってもらう。

4月19日(木)

 大竹聡さんの連載「ギャンブル酒放浪記」の取材のため、朝からたちかわ競輪へ。大竹さんとの待ち合わせ時間は正午なのだから何も朝から行く必要もないのだが、私はもはや競輪の虜になっており、我慢できなかったのだ。

 初小説『愛と追憶のレモンサワー』〈扶桑社)出版記念ということで、レモンサワーを飲みながら車券を買う。好きだから勝つわけではないというのはサッカーと一緒だ。

4月18日(水)

 営業。北与野、大宮、さいたま新都心、浦和など。会えたり会えなかったりするが、浦和の紀伊國屋書店さんのサブカル本フェアにニヤリ。好きな人が好きな本を並べると、どうしてこんなにイキイキするのだろうか。並んでいたのは『女子をこじらせて』雨宮まみ(ポット出版)や『ひとりごはんの背中』能町みね子(講談社)など。

 直帰して埼玉スタジアムへ。
 水曜日の試合というのはそれだけで何だか楽しい気分になるのだが、今季初めてホームで敗戦を期す。しかし、ミシャ監督の割り切った采配に張本勲でないけれど「アッパレ!」をあたえよう。

4月17日(火)

 角田光代に溺れることを決意する。

 未読だった著作を片っ端から読み始める。まずは『ドラママチ』(文春文庫)なのであるが、冒頭から人間の中に潜むちょっとした悪意が描写されており、目が離せない。それどころかどうしてこんな些細なことを文章化できるんだろうと笑ってしまう。

 女性の書店員さんと角田さんの著作の話をしていると「女子の嫌な部分が描かれるからキツイ時もあるのよ」と言われることもあるが、私はそのキツイところが大好きだ。女子に限らず、人間なんてそんなもんだろう。

4月16日(月)

 白水社WEBで連載中の『蹴球暮らし』は、第25回「サッカーボール」を更新。

 わが浦和レッズもここ数年の苦境がなんだったのかと思うほど簡単に勝利し、観戦仲間のコジャ氏は試合後、苦悩の道改め笑顔の道でほっぺをつねっていた。

「イタタタタ」

 そうやって笑ってしまうほど、今、埼玉スタジアムは幸せに包まれている。この幸せをたとえ雨だとしても2万5千人しか味合わないのはいたって勿体ない話である。血の赤い方、土曜日の午後を埼玉スタジアムで過ごしましょう。

★   ★   ★

 先週の日記は「本の雑誌」7月号に掲載されるとかで、本屋大賞も終わり、なんだか新学期な気分。ずいぶんとダメダメな仕事ぶりだったので、本日より心機一転がんばろうと思うって毎年そう思っているのだが。

午後、高野秀行さんと打ち合わせのような、高野さん曰く部活後の部室のような話を2時間ほどした後、追加&新規注文いただいた『本屋大賞2012』を、丸善丸の内店さんと三省堂書店東京一番街店さんに直納。浦和レッズの勝利の次に嬉しいのは、本が売れることだ。

 夜、親友シモザワと相棒トオルと秋葉原で待ち合わせ。
 メイド大好きなシモザワの強引な誘いを断り、相棒トオルが酒の飲めない身体を考慮し、駅前のルノアールへ。高校生のときのようにコーヒーで2時間ほど話し込む。朝から晩まで死ぬほど働く一般企業のビジネスマンの話におののく。社会って恐ろしいなあ。

 通勤読書は、伊坂幸太郎『仙台ぐらし』(荒蝦夷)。
 実は伊坂さんの小説があまり得意でないのだが、このエッセイは抜群だ。一見ふつうなんだけど、ふつうでなく、その不思議なこだわりというか味わいに思わずくふくふ笑ってしまう。そして何事にも真摯に対応する姿に共感をもつし、また今回の震災のことを受けた文章にはいろんな想いが包まれいる。是非とも週刊誌なんかでエッセイの連載をして欲しい。

4月10日(火)

 第9回本屋大賞発表日。

 毎年のことだが、この日は相変わらず早く目が覚めてしまい、見沼代用水西縁を1時間ほどランニングする。延々と続く桜並木は満開で、頭上に薄ピンク色の雲が流れているようだった。

 ストレッチをした後、軽く体幹トレーニングをし、シャワーを浴びる。昨日から6年生と2年生になった子どもたちを送り出すと、私も自転車に乗って駅へ向かった。

 短距離走と長距離走で使う筋肉が異なるように、物事を始めるパワーと続けるパワーは違うように思う。たいていは物事を始めたことをほめられるのだが、40歳を過ぎた私には物事を続けることのほうが大切に思えてくる。

 続けるパワーの根底にあるのは、そのものごと自体が好きだということだろう。私が最も尊敬するカズこと三浦知良が45歳になってもサッカーを続けているのは、サッカーが好きだからだ。そして私が準備段階を含めて10年も本屋大賞を続けているのも、本屋大賞が好きだからだ。始めた頃よりずっと私は、本屋大賞が好きになっている。

 第9回目を迎えた本屋大賞の発表会が滞りなく終わりますように......。

4月4日(水)

 昨日の風雨と一転し、まるで台風一過の晴天。

 金色の輝く『本屋大賞2012』の見本を持って取次店さんを回る...が、先月より取次店の一社K社が移転しており、どのような順番で廻ればいいのか悩む。K社は神保町のはずだから、御茶ノ水のN社を回った後にK社へ行き、その後飯田橋の3軒を廻ればいいのだろうか。

 しかし飯田橋のO社は仕入れ窓口の受付が11時30分までで、これを過ぎると午後の開設まで待たなければならない。できることならO社には早めに顔を出しておきたく、ということで、いつもどおり御茶ノ水のN社からスタートし、飯田橋へ移動、その後K社へと思ったら、意外に空いており、間に市ヶ谷の地方小出版流通センターさんを訪問することに成功。よしよしと喜んでいたら、K社の場所が実際にはかなり九段下よりで、スマホの地図を片手にしばし迷う。

 K社が東坂下に会った頃は、『本屋大賞』の見本を出した後、北赤羽駅に帰る途中にある公園の桜の木の下でしばし休憩をとるというのが一年の区切りだったのだが、それができないのがなんだか淋しい。

 会社に戻り、メールを何本か打った後、大竹聡さんと4月のギャンブル日程を調整し、対談のテープ起こし。

 夜は某所にて4月10日に行われる本屋大賞発表会のリハーサル。毎年やっていることなのに確認作業が続き、終わったのは10時頃。実行委員一同、本屋大賞を始めたときからは確実に10歳年をとっていて、疲労困憊。いつまで続けられるだろうか。

4月3日(火)

 午前中は、社内で企画会議。神が降りたような降りないような。

 まだその時点では雨も風もたいしたことなく、本当に大荒れになるのかよと笑いながら編集の宮里と連れ立って昼飯に出ていく余裕があった。宮里が仕入れてきた笹塚いい店やれる店情報にしたがい会社から徒歩30秒の「とん吉」へ。宮里は豚しょうが焼き定食、私はチキンカツ定食。これから随分宮里をこき使う予定なので、メシ代を奢る。

 宮里が突き出た腹をさすりながら会社に戻る頃から雲行きが怪しくなり、激しい雨と風の爆弾低気圧が始まる。

 私の利用している武蔵野線は日本史上最弱の電車で、雨、風、雷、雪、水没という天変地異以外に、竹、樹木、そして線路陥没という謎の理由によって、まるで登校拒否の子どものようにすぐ運行を見合わせてしまうのだ。

 だから一分でも早く、武蔵野線の動いているうちに帰宅したいのだが、本日は第9回の本屋大賞発表号『本屋大賞2012』の事前注文〆作業日にあたっており、それが終わらないと帰れない。

 今まで2ヶ月かけていただいてきた注文短冊とそれを打ち込んだエクセルのデータに間違いがないか一枚一枚照らし合わせていくのだが、その間にも風雨は強まり、武蔵野線運行停止の前段階である京葉線の運転見合わせにすでに突入していた。

 事務の浜田を急かし、どんどんデータをプリントアウトしてもらい確認作業を続ける。やっと終わったのが5時で、もはや普通に帰るのと大してかわらない状況なのであるが、ネットで確認するとまだ武蔵野線は動いているようだった。

 武蔵野線同様天変地異に弱い常磐線利用者の松村やさすがにこの日は自転車を置いてきた事務の浜田は一足早く帰宅。宮里も一緒に帰ろうとしていたが、こいつは西荻窪在住で最悪歩いてでも家に帰れるわけで、こういうのをおそらく便乗早退というのだろう。

「お前は最後まで残って本の雑誌社を守れ」と宮里を残し私も帰宅の途につく。奇跡的に武蔵野線が動いており、いつもより時間がかかったとはいえ、東浦和に無事戻ってくることができた。

 いつもより早く帰ると爆弾低気圧の妻と爆弾高気圧の子どもが私を待ち受けていたのだが、それはまた別の機会に。

4月2日(月)

  • 放っておいても明日は来る― 就職しないで生きる9つの方法
  • 『放っておいても明日は来る― 就職しないで生きる9つの方法』
    高野 秀行,二村 聡,下関 崇子,井手 裕一,金澤 聖太,モモコモーション,黒田 信一,野々山 富雄,姜 炳赫
    本の雑誌社
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    honto
  • 日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー)
  • 『日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー)』
    イザベラ バード,Bird,Isabella L.,健吉, 高梨
    平凡社
    1,650円(税込)
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    honto
  • 秘境ブータン (岩波現代文庫)
  • 『秘境ブータン (岩波現代文庫)』
    中尾 佐助
    岩波書店
    5,565円(税込)
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    honto
 通勤読書は高野秀行さんの新作『未来国家ブータン』(集英社)。

 高野さんにしてはメジャーな辺境地(そんな言葉があるのか知らないが)なのだが、それもこれも『放っておいても明日は来る 就職しないで生きる9つの法則』の一番初めの対談者であり、生物資源探索ベンチャー企業の社長である二村聡さんから依頼を受けてのものだった。

 はじめは乗り気でなかった高野さんだが、山師・二村さんの「ブータンには雪男がいるらしいですよ」という言葉に引きずり込まれ、二村さんの本来の依頼も忘れブータンに乗り込んだのであるが、先方は生物資源探索のプロが来たと思い、ブータンの辺境地への旅が始まる。

 いわゆる高野さんのUMA探索本だと思って読み始めると肩透かしをくらうかもしれないが、その肩透かしの先に待っていたのは、もしかすると高野秀行の新たなテーマなのかもしれない。

 ただいまこの「WEB本の雑誌」でも「謎の独立国家ソマリランド」というリアル北斗の拳と呼ばれる荒廃したソマリアの隣にある、地上のラピュタかと思わされる平和な国らしいソマリランドをルポしていただいているのだが、この『未来国家ブータン』でも高野さんの思考は国、あるいは国家というものに向かうのだった。

 UMAから国家?! とはものすごいジャンプなのであるが、おそらくUMAが存在するかもしれない場所というのは、国家という概念の希薄な、それでいて逆に国家を考えさせられる何かがある場所なのかもしれない。思い起こせば初めの探検行である『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)では一介の学生がコンゴ政府とやりとりするところからはじまるわけだし、『西南シルクロードは密林に消える』(講談社文庫)では、その国と国の線を歩いて渡ってしまい、いまだインドに入国できないわけで、高野秀行ほど国家と個人的に関わってきた人も少ないだろう。

 しかも20年以上にわたって辺境地を旅してきた高野秀行には、それらを比較検討するだけの経験があり、この『未来国家ブータン』のなかでも、様々な地域との比較による分析がされている。

 といっても決して難しいノンフィクションでは当然ない。
 ブータンに着いたときから酒を求め、高山病に痛めつけられたかと思えば、雪男の逸話に興奮する。そして村のおばちゃんたちのおそるべき接待酒に二日酔いになりつつ、唐辛子の食べ過ぎで下痢が治らず、現地の人から祈祷を受ける。

 これほどブータン人に世話になりながら旅した外国人はいないと思うのだが、その本質は旅行記の王道で、まるでイザベラ・バードの『日本奥地紀行』(平凡社ライブラリー)のようである。言い換えれば『未来国家ブータン』は高野版『ブータン奥地紀行』となるのかもしれない。そして実は高野秀行にとってこれほど目的の呪縛から逃れた素直な旅行記は初めてなのだった。

 この本のなかで触れられている『秘境ブータン』 中尾佐助(岩波現代文庫)とともに読むとより一層楽しめること間違いなし。

3月30日(金)

 紀伊國屋書店新宿本店と南店のリニューアルを覗いたあと、神保町の東京堂書店もリニューアルオープンとなっていたので、さっそく覗いてみる。

 シックな什器(本棚)と間接照明が映える素敵な書店さんになっており、大勢のお客さんや出版関係者でごった返していた。

 その後、清澄白河の愛すべき古本屋・しまブックスさんを訪問。相変わらず意志のある古本が並んでおり、居心地の良さは抜群。お店のWさん夫妻とついつい長話してしまう。

 そしてジュンク堂書店新宿店は明日で閉店である。日本書店史上最大級の閉店だろう。

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