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6月28日(火)

 誰が会社を駅からこんな遠い場所にしたのだろうか。
 いくら営業に行きたくとも駅に辿り着くまでに私は、固体から液体に、そして気体に変化し蒸発してしまう。

 会社を駅に近付けるか、本屋さんを会社にするか、何もしないで売れる本を発明するかしていただきたい。切なる願い。「南国しろくま」食す。

 夜、小中学校時代の友人と40才を祝う会を押上のもつ焼き屋「稲垣」で開催。
 話題はゴルフと不動産で、どうやら私は会場を間違えたらしい。店の外に「『PRESIDENT』読者の集い」と書かれていたような気がする。

 ランニングとサッカーで鍛えた40才とは思えない大腿四頭筋と下腿三頭筋を使って、脱兎のごとく退散す。

6月27日(月)

  • 慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り―漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代 (新潮文庫)
  • 『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り―漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代 (新潮文庫)』
    祐三, 坪内
    新潮社
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 まずは新潮文庫に拍手。
 西村賢太ファンであれば誰もが読んでみたかったであろう、そして西村賢太氏が全集を編まないかぎりほぼ読むことも不可能だったであろう『根津権現裏』藤澤清造を、新潮文庫で出版してくれたのだ。これはもう賞賛する以外ない。ありがとう新潮社。しかも解説、年譜作成、語注=西村賢太氏である。

 先日飲んだ某出版社の文庫編集者は、「新潮社はブランドイメージがいいから偉そうで......」みたいなことを話していたが、そのブランドを作るために、このように読者が喜ぶ本を作り続けていることを忘れてはならない。

 また同時に文庫化された坪内祐三さんの『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り』では、北上次郎さんの解説(というよりは目黒考二さんの)あまりに素敵な文庫解説がついているのであった。残念ながらそこで書かれている「坪内祐三ロングインタビュー」が掲載されている「本の雑誌」1996年10月号は、品切れです。ごめんなさい。

 ただし、まもなく始まる夏の文庫フェアは、角川文庫のがんばりに注目が集まっている。
 有川浩の『図書館革命』や柳広司の『ジョーカー・ゲーム』、金城一紀『SPEED』など売れ筋新刊が並ぶのはもちろん、手ぬぐい店「かまわぬ」とコラボした名作文庫Specialカバーなど、おそろしいほどの力の入れように書店さんも興奮していた。「南国しろくま」食す。

 夜、本屋大賞の打ち合わせ。
 実行委員の高齢化により存続が危ぶまれているが、来年は開催するとのこと。

6月24日(金)

 ひとり夕食を取っていると、居間から娘が妻に息子の学校での様子を報告している声が聞こえてきた。

「今日さあ登校班で、剛ちゃんが泣かされたんだよ」

 妻は驚き、娘に詳しく話させると、どうも娘の同級生の男の子が息子をからかって泣かしてしたようだった。それ自体はよくあることだろうが、私は笑って報告している娘が許せなかった。

 娘を呼び出し、烈火の如く叱り飛ばす。兄弟を守れないようでは家族ではない。明日学校に行ったら息子をいじめた奴に二度とからかうなと注意すること、そして息子に謝れと怒鳴りつける。

 小学校5年になって、そんじょそこらのことでは泣かなくなった娘であるが、おそらく自分にも罪の意識があったのだろう、嗚咽しながら息子に謝っていた。

 それが昨日のことで、本日家に帰ると娘が報告にやってきた。
「言っていおいたよ。弟をからかうなって。もしいじめたらわたしがぶっ飛ばすよって」

 そうかよくやったと頭を撫でてやると、その手を振り払いながら娘はつぶやくのであった。
「でもさ、パパの教育はおかしいと思うよ。やられたらやりかえすってふつうダメでしょう」

 ダメかもしれん。

6月22日(水)

 ミステリー評論家・シンポ教授の書庫が、震災で崩壊したとのことで、発行人の浜本や編集部の宮里ともに復旧に向かう。

 詳細はそのうち「本の雑誌」に掲載されると思うのだが、その本の量にひっくり返る......というかひっくり返るスペースもないのであった。2DKの部屋はすべて本が積まれ、それ以外にも7つのトランクルームが本棚を2段重ねで使用し本が並べられていた。私の人生でこれほど本がある部屋は目黒考二さんの部屋以来である。

 あまりの驚きに浜本に「これから『本の雑誌』の原稿料は蔵書量に応じて支払ったらどうですか」と進言してしまったが、それもあながち冗談ではない。これだけの本のなかから発せられる「面白い」という評価と、私のようなたいして本を読んでいない人間の「面白い」を同類に扱ってはいけないだろう。

 本を読み評価するということの、その意味を深く考えさせられた一日......と書きたいところだが、考えるスペースもなく、唯一大人3人と2分の1が座ることができるベランダで乾杯。

 その後、埼玉スタジアムへ駆けつけ、久しぶりの平日開催と4/24以来のリーグ戦勝利と山田直輝のスーパーなプレイを堪能。あまりの興奮に、私の後ろで観戦していたYさんは、「イッツアパラダイス!」と叫んでいた。

6月20日(月)

 週末のたびに苦しみを植えつけられ、もはや生きる気力が湧いてこない。
 私たち浦和レッズはいったいどこへ向かっているのだろうか。

埼玉スタジアムに新設された、北ゲートから南ゲートに続く「埼スタ愚痴ロード」では試合後、サポーターが尽きることなき愚痴を吐き出している。

「もうJ2だよ」
「監督変えろよ」
「社長とGMもな」

 選手の呼称には五段活用というのがあって、入団したての選手は、まず「苗字」で呼ばれる。原口なら原口、柏木なら柏木である。これがいわゆるノーマルの状態だ。

 そして選手が活躍し出すと今度は「名前」で呼ばれるようになる。
 原口は「元気」になり、縦横無尽のサイドバックと成長した高橋は「峻希」と呼ばれている。

 その先、日本代表やチームを象徴する選手となれば、別の愛称が叫ばれるようになり、福田正博「大将」、岡野雅行「野人」、あるいは他チームながら三浦知良の「キング」などここまで来たら伝説の仲間入りだ。

 さて逆に選手がふがいないプレイをしだすと、選手は「氏名」を剥奪され、背番号で呼ばれるようになる。一時は「陽介」と呼ばれていた柏木は、ただいま「8番」と呼ばれ、この日の愚痴ロードでは最下級に位置する「クソ」呼ばわりされていた。

 ちなみに1試合のなかでこれらの五段活用を行ったり来たりしているのは、浦和レッズに入団して早17年の山田暢久である。

 彼がボランチで大きな選手にまったく当たり負けすることもなくヘディングで競り勝つと「の、ぶ、ひ、さ〜」と叫ばれる。しかしその後すぐ、自分がサッカーをやっているのかすら忘れたようなプレイをした瞬間「ヤー、マ、ダ」と呆れられる。もちろん敗戦の際には、「クソだよ、クソ」と貶される。

 吐きそうになるほど、最悪のシーズンが続く。

6月17日(金)

『サッカー批評 51号』(双葉社)を読む。
 相変わらず素晴らしい「雑誌」で、いまこれほど雑誌らしい雑誌もないのではなかろうか。特に木村元彦さんの、「Jヴィレッジ」のルポと塩釜FCの原稿が素晴らしい。

 書店さん向けDMや注文書を作る。

 夜、3月まで「横丁カフェ」でお世話になっていたダイハン書房本店の山ノ上さんが上京されたというので、他の出版社の営業の方々とともに食事。実は私はまだ訪問したことがないのだが、他の営業マンは熱烈なダイハン書房ファンで、山ノ上さんのお父さんである社長さんに会ったら「みんなダイハンファンになってしまう」そうだ。

 その社長さんは、最近は出版社と人対人の付き合いができなくなって寂しがっているそうだ。本部のあるような書店だけを相手にする出版社が増え、お互いの顔を見ながら本が来たりすることが少なくなってきたということだろう。

 それは実は小さな出版社から見ても同じような状況が起きており、ならば小さな出版社と町の本屋さんが結びついて何かできないものだろうか。

6月16日(木)

  • 記憶のちぎれ雲 我が半自伝
  • 『記憶のちぎれ雲 我が半自伝』
    草森 紳一
    本の雑誌社
    3,080円(税込)
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 草森紳一さんの半自伝『記憶のちぎれ雲』の見本が出来上がったので、取次店を廻るが、一冊580グラムがあまりに重く、カートに乗せていく。ガラガラ。

 御茶ノ水のN社を出る頃、その仕入れ窓口に列が出来ていたので「これは」と思ったのだが、飯田橋のT社は待ち合いの席がすべて埋まるほどの行列だった。うーむ。ボーナス前の給料日と、震災でズレこんでいた新刊が大量に出版されるのだろうか。T社の窓口のKさんも「混みましたねえ」と汗を流していた。

 そして本来であれば午前中に残りの3社を廻り終え、無事見本だし終了になるはずが、なんとO社の受付時間に間に合わず。ということは、午後、改めて訪問しなければならないのだが、私は13時に高野秀行さんと打ち合わせの約束をしてしまっていたのだ。

 あわてて打ち合わせ場所である高野さんの執筆喫茶店でもある「辺境ドトール」に向かい、早口でいろんなことを話、1時間後には風のように去り、改めて飯田橋へ。

 年に一度あるかどうかの体力勝負の一日であった。

6月15日(水)

 毎号編集部が必死に作っている「本の雑誌」がとても面白いので、ここはしっかり販促したいと書店の雑誌売場の人と、どうしたら雑誌が売れるか話し合う。

 付録に関してはもはやその勢いが衰えており、しかも付録をつけてもその号だけ売れ、次の号には元の木阿弥、雑誌の固定ファンが増えるにはまったく役に立たないとか。もちろん「本の雑誌」に付録を付けようなんて考えたこともないのだが、なるほどやっぱり本誌自体で勝負しなければならないというわけだ。

 不思議なもので情報化社会というかネット時代になって、「面白い」とか「つまらない」という情報はTwitterやブログを通じて一気に広がっていくのだが、そこから売れる(買われる)という反応が出るまではマスコミと違って、時間がかかる。クチコミがある大きさになるまで、なかなか動き出さない印象を受ける。ということは雑誌という1ヶ月や1週間で次の号がでるものには、なかなかクチコミの効果が期待できないのではなかろうか。

 ある書店さんでは「暮しの手帖」がここのところ調子が良いと言われた。それは編集長である松浦弥太郎さんの影響力だろうか。うーむ、浜本茂=松浦弥太郎化。どう考えても無理な気がするし、なっても困る。

 雑誌の販促はしばらく宿題。

6月14日(火)

 立川の駅ビル「グランデュオ」にオープンしたオリオンバビルスを訪問。
 非常におしゃれな店内に、本と一緒に文房具屋雑貨が並ぶ。什器がバラバラなのになせか統一な印象をうける。不思議なことに店内にいて思い出したのは、千駄木の古書「ほうろう」の棚だった。ここまで来たら古本も一緒に並べてはどうだろうか。

 夜、銀座のK書店Yさん、現在「人生グレート・リセット」中のノンフィクちゃんと食事。ノンフィクちゃんは素敵な好青年だった。

6月10日(金)

 通勤読書は『いねむり先生』伊集院静(集英社)。
 これは大人の小説だ。いろんな価値観があって、そして勝ちも負けもない人生がある。あるいは全勝でなく、八勝七敗を目指す生き方がある。それを体現していたのが「いねむり先生」こと、ナルコレプシーという突然眠ってしまう病気を患っていた色川武大(阿佐田哲也)だ。私は、高校時代、麻雀に明け暮れていて、その頃、阿佐田哲也の小説は、エンターテイメントでありつつ、バイブルだった。

 伊集院静は妻(夏目雅子)を亡くして身も心も壊れていたとき、その色川武大に出会う。そして一緒に時を過ごすことによって、再生されていく。何気ない文章が胸に迫り、ページをめくる手を止める。何度のその文章を読み直していると自然に涙がこぼれていた。

 色川武大が生きていたら、今どんな小説を書いていただろうか。

 仕事を終え、ドサ健もさまよっていた上野へ。麻雀に明け暮れていた頃からの付き合いがある仲間たちと酒を飲む。
 
 ひとりは、ここ最近やたら聞くようになった「協力会社」に勤めており、あの日も福島の第一原発のなかにいたのだった。震災の日から何度も電話やメールをしていたが、一向に連絡がつかなかった。胸が押しつぶされそうになっていた二日後に、「帰ってきたよ」と電話があったときには、自然と涙が溢れていた。

「いつ応援要請の声がかかるかわらないよ」
 誰よりも喧嘩っぱやい男が、小さな声で話す。家族を養うための仕事が、家族を不安にさせる。
 飲むしかないだろう。

6月9日(木)

 震災以降、人の行動パターンが変わってしまったようで、いまだ都心のお店は苦戦しているところが多い。そのかわり郊外は健闘しているようで、ショッピングセンター内のお店など前年をクリアーしているとの話をあちこちで伺う。ただ平日は空いていて、休日に一斉に人が出てくるという話を本日上大岡のY書店さんで聞いた。

 別の書店さんでは、異動されてきた文庫担当者さんと、棚作りの話で盛り上がる。
「どこか参考になる書店さんないですかね?」と訊ねられ、いくつかの書店さんの名前をあげたのだが、そこはみんな遠いお店だったのでなかなか見学に行くのも大変だろう。

 こういうときiPadがあったら便利かもと思った。承諾を得て棚やフェアの写真を撮らせてもらい、それを見ながら話したらより膨らみそうだ。

 しかし私はアップルストアには二度と近寄りたくないのであった。

6月8日(水)

「本の雑誌」7月号、私小説特集が搬入。「本の雑誌」毎号、面白いよ。

 編集部の宮里が、今月刊行の草森紳一さんの新刊『記憶のちぎれ雲』のカバー刷り出しを前に唸っている。どうやら思った色がなかなか再現されず、装丁をお願いしている和田誠さんと何度も打ち合わせしているようだった。印刷会社の担当者もやってきて、ここをこうして欲しいと伝えているが、「色」は本当に難しい。OKがでるかたちにならないと発売日もズレこんでしまうので、みんな必死だ。印刷会社の人に頑張れ!と伝えて営業に出かける。

『帰宅部ボーイズ』はらだみずき(幻冬舎)を読み終えた発行人・浜本茂が、「これは10年に1冊の傑作青春小説だよ!」と騒いでいた。ふふふ、そうでしょ、そうでしょ。

6月7日(火)

 夜、坪内祐三さんの新宿クルージングにお供する。カフェ、そば屋、文壇バー×2と、酒の弱い私としては、一夜にして最多軒数をはしご。見本として届いた「本の雑誌」7月号のイキさんのページを見せ歩く坪内さんはとても楽しそうだった。

 私のほうは無知をさらけ出しつつ、出版や音楽の話を坪内さんに伺う。至上の喜び。いつか坪内さんの本を作りたい。

 文壇バーというところを初めて覗いたが、バックカウンターに並ぶキープボトルが、まるで文芸書の棚のようだった。私が住んでいる世界とは、かなり離れている場所だ。

6月6日(月)

 営業で、新たな出会いがいろいろあり、その愉しさを改めて思い知る日々。

 本日出会った町田のA書店Nさんは、書店員歴2年で文芸の担当になり、そのプレッシャーと戦いながらも、売ることと品揃えを両立させようと一生懸命棚を触っていた。情報収集の方法など逆に教わることも多く、思わず長話で仕事の邪魔をしてしまった。

 こういう出会いの連続が、私を20年近く営業でいさせているのだろう。

6月3日(金)

 WEB白水社での連載『蹴球暮らし』第8回「梅雨」を更新。

★   ★   ★

 本日は「本の雑誌」の取材で、浜本などとつくば市の国土地理院へ。

 なぜに国土地理院かというと、8月号で地図(本)の特集をするからで、地図男の浜本は、車中すでに興奮気味で、つくばには何でラーメン屋ばっかりあるんだ?!と騒いでいた。東京に住んでいる人は郊外の国道の風景を知らないのだろう。

 雑誌と書籍は同じ出版物でありながら、その性格がまったく違う。最近やっと、雑誌が面白いと思うようになってきた。

★   ★   ★

 会社に戻ると、丸善御茶ノ水店のYさんから、先日訪問した際「すごい面白いのよ!」と教えていただいた『エグゼクティブ・プロテクション』渡辺容子(講談社)のブルールが届いていた。ボディーガード&SPものらしいが、読むのが楽しみ。

6月2日(木)

  • きみの鳥はうたえる (河出文庫)
  • 『きみの鳥はうたえる (河出文庫)』
    佐藤 泰志
    河出書房新社
    715円(税込)
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  • そこのみにて光輝く (河出文庫)
  • 『そこのみにて光輝く (河出文庫)』
    佐藤 泰志
    河出書房新社
    715円(税込)
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  • 大きなハードルと小さなハードル (河出文庫)
  • 『大きなハードルと小さなハードル (河出文庫)』
    佐藤 泰志
    河出書房新社
    836円(税込)
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『海炭市叙景』(小学館文庫で発見した佐藤泰志の作品が、『きみの鳥はうたえる』『そこのみにて光輝く』『大きなハードルと小さなハードル』(ともに河出文庫)『黄金の服』『移動動物園』(小学館文庫)とほとんど文庫で読めるようになりうれしい。

 先日Y書店のNさんからお借りした「新刊展望 6月号」(日本出版販売株式会社)では、復活した小説家〈佐藤泰志〉と特集が組まれ、岡崎武志氏が作品解説を、同年の佐藤洋二郎氏が、思い出を綴っている。そのなかで河出書房の担当編集者がこの復刊劇について、「尻馬に乗って」と書かれているのには笑ってしまった。こういう尻馬はどんどん乗っていんじゃなかろうか。

 営業に出かけようとしたら、事務の浜田から「そろそろ目黒さんが来るので待っていてください」と言われ、しばし来訪を待つ。

 目黒さんのお薦め本を聞いて(『『ラブオールプレー』小瀬木麻美(ポプラ文庫)だった)から、営業へ。もうちょっと頻繁に会いたいものだ。

6月1日(水)

 朝、玄関の扉を開ける前に、iPodの電源をオンにし、ヘッドホンを装着する。
 私に7人の敵がいるかどうかはわからないけど、不特定多数の人たちがいる場所には音楽がないと飛び出していけない。歳を重ねると神経が図太くなるかと思っていたが、なぜか年々と繊細になっている。知らない人の声や街に流れる大音量が怖い。音楽は私の精神安定剤なのだ。

 さて、今日のこのちょっと肌寒い日に合う曲はなんだろうと、iPodのくるくるする部分をこする。いつもならすぐさまアーティストの名前が動き出し、クリックすると好きなアルバムを選ぶことができるのだが、なぜかカーソルはアルファベット順で先頭のAudioslaveから動かない。

 ううん? 指先に何か付いているのかと思って、ズボンの太ももの部分でぬぐってから改めて試してみるが、うんともすんとも言わない。これはボタンが壊れてしまったかと再生のボタンを押してみると、そちらには反応し、いちばん上にあるアルバム「Audioslave」の1曲目「Cochise」がヘッドホンから流れだした。

 しかし私が聴きたいのは、「Cochise」ではないのだ。今日はもうちょっと緩やかな気分だからJack Johnsonあたりを聴きたいのである。しかもなんだか音量が大きくて、こんなものを電車のなかで聴いていたら音漏れで周りを不快にしてしまうし、なにより私の耳が耐えられない。ところが音量を下げるにもくるくるが必要なわけで、今度は指先の温度が低いのかもと息を吹きかけ温めてから触ってみるが相変わらず反応はない。

「何やってんの?」
 いつまでも玄関にいる私を不審がって妻に声をかけられる。慌てて時計をみると、遅刻の時間が迫ってしまっているではないか。
「いやiPodが壊れちゃって」
「えっ?」
「だから音楽が聞けないんだよ」
「いいから早く会社に行きなよ」
 まるで子どもを叱るかのように言われ、私は玄関の扉を開けたのだった。
 そこには、不安に満ちた世界が広がっていた。

 額と脇の下に異様に汗を流しながら、どうにか出社した私は、すぐにインターネットを繋げ、「iPod 故障」で検索をかけた。そこには様々な故障例と解決策が書かれていたのだが、どれを試しても私のiPodのくるくるは反応しない。リセットもダメ、復元もダメ、話かけてもダメ。相変わらず私のiPodは、大音量の「Audioslave」しか聞けないのである。そしてどの解決法も最終的には、メーカーが運営している「アップルストア」に持って行けと書かれており、これはもうそうするしかないのであろう。

 営業中の不安な心を音楽なしでどうにか乗り越え、私は定時になるとすぐさま会社を飛び出し、アップルストアというところに向かった。かれこれ20年以上マックユーザーだが、いつの間にかこんなおしゃれなスポットが出来ていたとは。明るい店内には、多くの人々がうごめいているようだが、とにかく私のiPodを早く直して欲しい。そう思って飛び込んでいくと、突然私の前に大きな壁が立ちはだかったのである。

 なんじゃ? 顔を上げると、そこには口を開いて真っ白な歯を見せる黒人の、まさにビッグママのような女性がいるではないか。
「こんにちは!」
 いきなり話しかけられたのが、私の頭の中ではその日本語が、どこの国の言葉だかわからない、おそらくアフリカのどこかの言葉のように聴こえた。目から入る情報と耳から届く情報がマッチしないのだ。たぶん私に言っているのではないと、目を泳がせると、隣にいるのは背の高い白人の男性で、必死に怯えを隠そうとする私に向かって「どうしましたか?」と話しかけてくる。

 外国に行ったのは新婚旅行のハワイと結婚5周年のグアムだけで、生涯で外国人と接した数は10人に満たいない私である。しかも人生初の海外旅行のハワイの入国審査で係官の女性から「シンコンリョコウデスカ」と日本語で聞かれたにも関わらず、私は「地球の歩き方」で学んだたったひとつの外国語「サイトシーイング」と答えた人間である。

 まさかアップルストアで、「サイトシーイング」と答えるわけにもいかず、しかも私はiPodが直らないとこのつらい世の中を生きていけないからこの壁を突破しないかぎり明日はないのである。ここは南アフリカワールドカップでエトーを止めた長友の想いで、飛び込むしかないのだ。

「iPodガコワレチャッテ」
「それなら2階のカスタマーセンターへ」
 どうやら私は第一関門を突破出来たようだ。
 待ってろよ、インテル......じゃなかったアップル。

 アクリルのおしゃれな階段を上がっていくと、そこは異国だった。
 奥にカウンターがあり、その手前にのテーブルにはそれぞれPCが設置され、青いTシャツを来た様々な国の人たちが、お客さんであろう日本人(だけでなかったかも)と話し込んでいる。ここはおそらく私の人生でいちばんアウェーな場所ではなかろうか。

 立ち止まって、というか怖くて足が進められず立ち止まっていると、今度はアジアのどこかの国の人だと思われる女性から話しかけられた。

「どうしましたか?」
 下にいたビッグママよりは私に近い存在に見え、私は下で話したのと同じ言葉をポケットからiPodを取り出しながら発した。
「iPodガコワレチャッテ」
「ああ、そうですか。えーっと30分後のご案内になりますので、お名前をどうぞ?」

 そういうとアジアンな女性は、手にしていたiPadに、私の名前を打ち込もうとするが、「スギエ」と言っても指先を動かそうとしない。そうか外国の人には「スギエ」という発音が聞こえにくいのかと思い、改めてはっきりした発音で「スギエ」というが、女性は「?」という顔したままだった。

 もしかして「名前」を訊かれたのではなく、「ネーメー」とか「ナーマー」とかアップルストアで使用される専門用語を訊かれたのではないかと心配していると、「フルネームでお願いします」と言ってくるではないか。だったら早く言ってくれよと、「スギエ ヨシツグ」と答えるとiPadに「ヨシツグ スギエ」と打ち込まれた。

 そして次はメールアドレスを打ち込むようiPadをさし出してきた。
 おお! iPad!
 出版業界の敵か味方かわらかんが、私は実物に触るのは初めてだ。意外と重いではないか。これなら本のほうがずっと楽だ。そんなことを考えていると、「メールアドレスを」とアジアンな女性は言ってくる。キーボードがないのにどうやって文字を打ち込めばいいのか悩んでいると画面の下半分にキーボードらしい配列の文字が並んでいた。

 なるほどここをタッチすればいいのかとアドレスを打ち込みだすが、私のメアドは数字が入っており、しかしiPadの画面に数字はない。うーん、と唸りながら観察してみると「1.2.3」と書かれたボタンがあるではないか。おそらくここを押すと数字になるのだろうが壊してはいけない。

「ココオストスウジデスカ?」
 アジアンな女性は、私があまりに初歩的な質問をしたからか、何を言っているのか理解に苦しむ表情をし、私からiPadを奪おうとした。しかしこんなところで機械に弱いおっさん扱いされるのは、プライドが許さない。私はiPadを抱え込み「1.2.3」と書かれたボタンを押してみると、配列が数字に変身したではないか。

 ふふふ。小さな声で「グッジョブ!」と漏らすと、アジアンな女性はイライラした様子で私の背後を見ているのだった。いつの間にか私の後ろに4人もの人が並んでいるではないか。

 メアドを打ち込んだ後、時間を指定され、私はしばらくCDショップで時間をつぶし、また魔界であるアップルストアに飛び込んでいった。ビッグママが「こんにちは」と話しかけてきたが、もう私は怖くない。この魔界がどんなところなのかわかっているのだ。すすっと階段を上っていくと、今度はアフリカンな男性が、名前を呼び出していた。

「ヨシダケンニチサーン」

 どうやら時間になるとそうやって名前を呼ばれ、該当する場所に連れていかれるようだ。

「ミサワシゲルサーン」
「ウエノアキコサーン」
「スズエヨシツグサーン」

 ちょっと違うけれど、私のことだろう。「ハイ!」と腕を伸ばし、アフリカンな男性のところにいくと、ひとつのテープルに案内された。
「ここで待っていてください、担当が来ますので」

 私は直して欲しいiPodを手に、隣で私同様に何かの修理を依頼している人を眺めていた。
「イメージの話ですが、パソコンにつないだ時にまずバックアップされるのが......」
 係の人は、手元のノートに絵を書きながら説明しているが、説明されている人も、隣で盗み聞きしている私にもまったく理解出来ない。おそらくUFOに連れられた人はこういう場所で、頭のなかにチップを埋め込まれているのだ。

「お待たせしました」
 そこに現れたのは日本人で、ああ、やっと気心知れた人と出会えたような安心感が湧いてくる。頼む、日本人、あんたの大和魂で一刻も早く私のiPodを直してくれ。

 事情を説明すると、係の人はすでに保証期間が過ぎていることと、私が行った解決法以外に直す方法はないあっさり言うではないか。

「えっ?! 直せないの?」
 思わず大きな声を出してしまったが、修理するという発想はないらしい。
「新品と交換で......」と言いながら手元の端末を叩くと「8800円かかります」と、まるで宇宙人のような顔して言うのであった。

「8800円?! それだと新型買うのと......」
「そうなんですよね、微妙なところですよね」
 どうやら目の前の日本人はモノを大切にする心を、このUFOのなかで取り除かれてしまったようだ。

 私は魔界の地であるアップルストアを出ると、その足で、電気屋さんに向かった。
 そして妻がピザが2枚いっぺんに焼けるオーブンレンジを買うために貯めていたポイントを使って新型のiPod nanoを購入したのだった。

 チーズが食えない私には、ピザは必要ない。

5月31日(火)

 5時半起床。ランニング10キロ。爽快。
 ただし一日終わった気がしてぼーっとし、出社はギリギリの10時に。通勤読書は、『ミドリさんとカラクリ屋敷』鈴木遙(集英社)。

 経堂にオープンした三省堂書店さんを覗きつつ、営業は小田急線。

 定時であがり、コーチをしている女子サッカーチームの練習に遅れて参加。
 地区大会を突破したので、県大会に向けて練習。気合が入るかと思ったが相変わらずマイペースだ。

 家に帰って「蹴球暮らし」の原稿を書こうと思ったが、まぶたがそれを許さなかった。つい手にしてしまった缶チューハイがその敗因だと思われる。

5月30日(月)

 昨晩読みだした、はらだみずきの『帰宅部ボーイズ』(幻冬舎)があまりに面白く、久しぶりに出社をストップし、駅前のエクセルシオールカフェに飛び込んで、最後まで一気に読み進む。読み終えたときには涙が止まらず、慌ててハンカチで顔を覆ってしまった。

 これは、すごい小説だ。
 10代の、あの圧倒的な、無駄な時間ばかりに包まれ、どうしたらいいのかわからないまま、じれるような毎日を過ごした時を、巧みな表現力を駆使して描ききった傑作青春小説だ。主人公の中学生「僕」は、好きな部活に入れず、やる気を失って帰宅部になるのだが、おそらくここで語られるテーマは、帰宅部だろうが、部活に所属していようが関係ない。

 前日まで読んでいた『ラブオールプレー』小瀬木麻美(ポプラ文庫)には、高校のバトミントン部に所属する同級生の父親が「君たちの年頃には、無意識に時間を浪費してしまうものだ。その時の1秒1秒が、どれほど貴重だったか知るのは、普通は、ずっと後になってからのことだ」と話しているのだが、それは違うのだ。

 時間を浪費することこそが、貴重なのだ。
 バトミントンを必死にやるのも、帰宅部で友達とだらだら過ごすのも実はそう大差のないことで、何かを一生懸命やった者だけが手にするものもあろうが、何も一生懸命やらなかった者が手にすることもたくさんあるのだ。

 この『帰宅部ボーイズ』で、僕やその友達が手にしたものは、誰にも自慢できないものかもしれない。それでも彼らの青春が、とてつもなく光り輝いてみえる。傑作。

★   ★   ★

 夜、とある書店さんと酒。
 ある程度、酒が回ったところで、書店の効率化についてで話題がヒートアップ。一緒に酒を飲んでいた方が、管理職、店長職、棚担当と立場が異なり、それぞれの意見が違いが面白い。

 ただこれから多くの書店が、一段と効率化の元、本部発注や取次のシステム導入など進んでいくのは間違いなく、そうしたなか出版社の営業マンの仕事も変わっていくであろうし(もうすでに変わっている)、また効率化からは零れ落ちてしまう小さな出版社がどのように生き残っていけばいいのだろうか。

5月27日(金)

 清澄白河の大好きな町の本屋さん、りんご屋を訪問するが残念ながらH店長さんはお休み。
 その足で、深川資料館通りにある古本と新刊(洋書)を一緒に売っている本屋さん、しまぶっくを覗く。

 店長のWさんは、青山ブックセンター、ジュンク堂書店、そしてランダムウォークと渡り歩き(途中、東浦和でブッククラブ萃もオープン)、ついにたどり着いたのがこの「しまぶっく」なのだった。

 間口の広いお店に一歩入ると、思わず1冊1冊手に取りたくなるような本ばかりで、営業も忘れ(というか営業しようもないのだが)、しばらくWさんと話しながら「しま」と名付けられセレクトされた本が並ぶ棚に見入ってしまう。

 先日訪れたとある出版社の営業マンは、「会社をやめたら僕もこういうお店を作りたい」と話していたそうだが、その気持ちが十分わかる。ここはおそらく本好きにとって、というか、がんじがらめの出版業界にいる身には、夢の場所に見えるのだ。「そうはいっても大変だよ〜」とWさんは笑うのであるが、その苦労も楽しそう。

※しまぶっく 東京都江東区三好2-13-2

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