毎年そうなんだけど、3月から4月にかけて本屋大賞に携わっていると、本業である営業に支障がでる。
それは時間的な問題というよりも精神的な面での負担が大きく、営業というのは私にとってはかなり精神を集中させる必要のある仕事で、そのなかなか動かないダイヤル式をスイッチが入らないと飛び込んでいけないのであった。
しかしそのスイッチを本屋大賞というものが思い切り反対側に回してしまい、ただいま絶賛スランプ中。足と心の重い毎日が続いている。
ひとりしかいない営業がスランプというのは、会社にとって存続の危機なのではなかろうか。確かスランプを抜け出す方法は、出張だと昨日読んだ『社食も夢じゃない 営業マン200%アップ活用法』みたいなビジネス書に書いてあった気がする。
浦和レッズの試合が週末に仙台である。6月には広島と名古屋があったような気がする。
小学校5年生になった娘は毎朝不機嫌だ。
何を言っても返事をしないし、たまに口を開いたと思えば「超ウザ。バカじゃん」と猛禽類のような目をしてにらんでくる。面倒くさいから放っておくと、新聞を読んでいる私の背中にぴったり自分の背中をくっつけてきたりする。
自分で自分をどう扱っていいのかわからないんだろう。
背中が触れていることに気付かないふりをしながら、私は、5年後、10年後の娘の姿を想像している。しばらくすると遅れて起きてきた小学一年生の息子が、「がったーい」と叫んで、私に飛び付いてくる。
すると娘は小さく舌打ちをして、自分の部屋へ着替えに行く。部屋から出てくるまでにかかる時間は、日に日に伸びている。
娘が出てきた後、部屋を覗くとタンスから引っ張りだしたシャツやらスカートやらが、まるで絵の具のパレットのように散乱している。
妻が見つける前に私はそれらを丁寧に畳んでタンスにしまう。
通勤読書は、ノンフィクション作家・沢木耕太郎が書いた初の短編小説集『あなたがいる場所』(新潮社)。沢木耕太郎にエンタメノンフ文芸部のお誘いをするか思わず悩んでしまった。
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昨日、Jリーグがついに再開し、あまりに興奮、そして応援、当然ながら勝利の歌に酔いしれ、本日は声が出ない。
その週末にオープンした多摩センターの丸善さんを訪問。1140坪(書籍と雑誌900坪、文房具240坪)の売場面積を誇り、噂によると週末はレジが行列、購入を諦めて帰るお客さんもいたほどらしい。
どれどれと覗いてみると、平日の午後2時だというのにたしかに本日もレジに列が出来ていた。
そしてそのレジの列以上に印象に残ったのは、棚を熱心に見ている年配のお客さんが多いことだ。いわゆる「ハッピーリタイヤ世代」と思われる人たちが、購入を決めた何冊かの本を抱えながら、棚を徘徊している。これはもしかするともしかするのではなかろうか。
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その後小田急線を営業。
町田の有隣堂さんでは、『まほろ駅前多田便利軒』(文春文庫)の映画公開に合わせ、著者の三浦しをんと映画監督の大森立嗣の本棚を冊子も制作して展開中。
担当のSさんに話を伺うと、三浦しをんオススメの『水の家族』丸山健二(求龍堂)が4冊売れたとか。
「やっぱり手をかければかけるだけ本って売れるんですよね」と話すSさんなのだが、実はSさん、『ふがいない僕は空を見た』も本屋大賞候補になる前から絶賛展開しており、なんとすでに数百冊販売しているのだった。
「手をかければかけるだけ......」。
つい面倒がってしまう毎日だけど、肝に銘じようと思う。
引き続き中央線を営業。
西荻窪の今野書店さんを訪問するとちょうどネット21の会議に出かけれるところだったらしく、一緒に移動しながらお話。
一階に新設されていた文庫の新刊棚がいいですねと話すと、しょっちゅう本を買いに来てくれるとある出版社の人に提案され、作ったそうだ。売上も上々、どころかその在庫確保が大変なほどだそうで、いやはやちょっとした工夫でお店というのは変わっていくんだな。
はらだみずきさんの『サッカーボーイズ 再会のグラウンド』、『サッカーボーイズ 13歳 雨上がりのグラウンド』(ともに角川文庫)『サッカーボーイズ 14歳 蝉時雨のグラウンド』(角川書店)を再読。
営業がうまくいかなかったとき、どうしてこんなに胸が痛いんだろう。
まるで実際に何か鋭利なものを身体の中心に突き付けられているようだ。
昔だったらお店を出てしばらく歩いたところでタバコに火を付け、ゆっくり煙を空に向かって吐き出したけど、禁煙して5年過ぎた今は、ポケットからiPodを取り出して、お気に入りの曲を聴く。
話し方が悪かったのだろうか、それとも表情が硬かったかな。うちの会社の本が嫌いなのかもしれないし、そもそもうちの会社なんて知られてないからな。
いろんな理由を、電車を1本やり過ごした駅のベンチに座って考える。
天気のせいかもしれない。
iPodからは斎藤和義の「何処へ行こう」が聴こえてきて、私は電車に乗った。
本屋大賞のドタバタで、すっかり報告するのを忘れていたが、先週、私は神様、いや王様に謁見したのであった。そのことを本日は書き記そうと思う。
それは東京でいちばんオシャレと言われている本屋さんを訪問した後の出来事であった。私はこちらもまた東京でいちばんオシャレと言われている片側3車線の国道にかかる横断歩道を渡ろうとしていた。
道の反対側にはこちらもまた東京でいちばんオシャレといわれている大学があり、その大学にはまったく用事はなかったのだが、何となく私は春の暖かさにつられ、いや女子大生につられ、道を渡ることにしたのであった。
信号は変わったばかりで、このオシャレな国道は、車の往来も多く、しばらく歩行者信号が青く点灯することもなかろうかと思った。
気分転換にポケットに突っ込んでいたiPodを取り出し、娘のオススメであるSuperflyの「タマシイレボリューション」を聞こうと思ったときだった。
横断歩道で隣に立つ人間から並々ならぬオーラを感じたのであった。私は慌ててそちらを見ると、サングラスをかけ、触らなくてもわかる着心地の良さそうな高価なジャケットを来た男性が立っていた。
ここは日本一オシャレと言われる街である。だからそのようなオシャレな人がいてもまったくおかしくないのであるが、サングラスの脇から見える、人懐こそうな眼に、私は見覚えがあった。
確か最近、この顔を見て私は、号泣したのだった。
うううん?
なんとそこに立っていたのは、あのチャリティーマッチで、まさかの、そして当然のゴールを決め、日本中を感動の渦に巻き込んだキングカズこと三浦知良だったのだ。私が浦和レッズの選手以外で唯一尊敬し、熱愛しているサッカー選手の、あのカズだ。いやカズなんて呼び捨てはできない。カズさんである。
おおおおお!
人生は何が起きるか分からない。
一寸先は闇でもあるが、横断歩道隣にカズ、もありえるのであった。
このチャンスを逃すわけにはいかない。先日のゴールのお礼とできれば私が高校生時代から独学で学んで来たカズダンスを披露しなければならない。
ところが問題は私のハートが鳥。すなわちチキンハートなのであった。営業ですら書店員さんに声もかけられずお店を後にすることが多々あるというのに、王様に声をかけるなんてことができるだろうか。
しかししかし、人生には一度しかないチャンスというのもあるだろう。この機会を逃して、二度とこれほどまでにカズさんと近づくこともなかろう。行くしかない! 行け!ヨシツグ! お前のその股の間についている二つのタマはこのときのためにあるのだ。まさに「タマシイレボリューション」だ。
というわけで、私は、全身から(主にタマより)勇気を振り絞り声をかけたのだった。
「三浦知良選手ですか?」
王様は私を見て、小さくうなづいた。
「あ、あの、この間のゴールありがとうございました」
「ありがとう」
王様が口を開いた。その声はまさにあのキングカズさんの声だった。そして私がそっと手を差し出すと、その手を強く握り返してきた。カズさんの手は冷たく、そしてまったく贅肉が付いていなかった。
手を離し、私がカズダンスを披露しようとしたとき、信号が青に変わり、王様はマネージャーのような人と颯爽と渡って行ってしまった。
カズさん、あのゴール、本当にありがとうございました。
朝、新聞を見ていた娘から本屋大賞受賞作を教えられる。
「これ気になっていたんだよね。パパ持ってる?」
会社にあることを告げると、持って帰ってくるよう言われる。
早く私のイチオシで、本屋大賞2位となった「ふがいない僕は空を見た」窪美澄(新潮社)を一緒に読めるようになりたい。
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震災及び余震などで、例年の何倍も神経をつかった本屋大賞発表会が無事終わったので、心置きなく営業に出かける。
埼玉の書店さんを回るとあちこちで「売れているよ!」と声をかけられる。なかには「ありがとう」と感謝してくれる書店員さんもいるのだが、私が選んだわけでもないし、もはや発表会でも「スタートしましょう」と合図するくらいしかやることもなく、その言葉は投票していただいた書店員さんと、実行委員の他の面々に送ってあげてください。
浦和の紀伊國屋書店さんで、長谷部誠の『心を整える。』(幻冬舎)が売れているという話題。サッカーをほとんど知らない担当者さんの方が「もういない選手だから闘莉王の本くらい?と思ったけれど、全然違った」と反省されていた。
それはそうなのです。なにせ「俺たちの長谷部」ですから。
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「本の雑誌」5月号で北上次郎さんが「素晴らしい。山田太一の傑作だ。」と絶賛していた『空也上人がいた』(朝日新聞出版)が、その言葉どおり傑作だった。
81歳のおじいさんとヘルパーの若者、そしてその間に入る中年女性の恋を交えた関係を描いた小説なのだが、北上次郎さんが書かれているとおり、たった150ページの小説なのに、その奥深さはただものではない。小説というものの、その素晴らしさを教えてくれる傑作だ。
1時間ほど前に「本の雑誌」5月号が製本所から届けられ、私は今、志願してツメツメこと定期購読者の方々へ封入作業をしている。
ラベルにある、1ヶ月前までは意識することのなかった住所、連日テレビや新聞やネットで目にする文字を手にし、私は祈っている。
無事届きますように。そしてなによりご無事でありますようにと。
そしてまた「本の雑誌」が無事にできあがってきたことにほっとしている。ガソリン不足、紙不足、インキ不足、もしかしたら出来上がらないんじゃないかと心配していたけれど、印刷会社、製本所、製紙会社、インキ会社の方々のご尽力により出版することができた。
これまで見積りや見本帳などでしか意識することのなかった「紙」というものが、有限であるなんてを考えたことがなかった。想像力を大切にしなければいけない仕事をしているにも関わらず、自分自身に想像力がなかったことにがっかりしている。
かつてペンと電話があれば、そして今はパソコンがあればできるといわれる出版という仕事も、本当は多くの人たちの、いろんな仕事によって成り立っているのであった。そしてなによりも読者、お客さんの本が読みたいという思いによって支えられているのだ。
今、とても本や雑誌を読むような気分じゃないかもしれない。
それでもいつか必要になったときのために、私たちは作り続けていきたい。
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前号「本の雑誌」4月号が出来上がってきたのは震災の2日前、3月9日のことになります。定期購読者のみなさまの分は、その日の夕方、配送業者にお渡ししました。
震災によって手元に届いていない、あるいは届いたけれど読む前に消失してしまった、または送付先に戻ることができず読むことができないなどございましたら、いつになっても結構ですので、ご連絡ください。改めてお送りさせていただきます。
それからいつも本屋さんで買っていたんだけど、購入しそびれてしまったという方。ぜひ本屋さんにご注文ください。バックナンバーとして在庫取ってありますので、ご安心ください。
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「本の雑誌」は、どんなときでも「本の雑誌」です。
5月号でも、面白おかしく、面白おかしい本をたくさん紹介しています。
よろしくお願いします。
恐ろしい本である。ものすごく恐ろしい本だ。
『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』中島岳志(朝日新聞出版)
秋葉原の歩行者天国にトラックで突っ込み、そののちナイフを振り回し、7人を殺し、10人に負傷を追わせたあの男の、まさに生まれてから今までの軌跡を追ったノンフィクションである。
何が恐ろしいかというと、人間というものの、あるいは社会というものの恐ろしさが、この淡々と事実を伝える本によって、身に染みてくるからだ。
この本を読む限り、彼の母親はたしかに過剰で異常ともいえる育児をしているが、彼自身は決して不幸には見えない。それどころか正直私より友だちがいるようにみえるし、職場の仲間にも恵まれているように思える。それでも彼は殺人を犯す。
ただしこの本はその原因を母性やネットや派遣労働といったものに安易になすりつけるような本ではない。もっともっと大きな、社会や自己や他者やいろんなことを見つめさせてくれる本だ。著者が「是非、先を急がず、ゆっくりと彼の人生と向き合ってほしい。少しずつ立ち止まりながら、読んで欲しい」と書くような本だ。
しかしおそらく読み出したらページをめくる手を止めることはできないだろう。
それほど恐ろしい本だからだ。
震災から20日。
都内の書店さんはだいぶ日常を取り戻しつつあり、またお客さんも場所によって差はあるものの、随分とその姿を見かけるようになった。
しかしまだ営業時間の短縮や、「一本一本確かめてどこの照明が最低限必要かチェックしたんですよ」と荻窪Y書店Mさんが話されるように節電は続いている。そして被災地の本屋さんに本や雑誌が届けられるようになるには、まだ時間がかかりそうだ。
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リニューアルされた東京堂書店ふくろう店を覗くと、Kさんから「ずいぶんよくなってきたから棚を見ていってよ!」と声をかけられる。このKさんは、私の八重洲ブックセンター時代の上司であり、その後、茗荷谷のブックスアイで話題を集め、この度の転職、そしてリニューアルで、またまた大活躍されているのであった。
たしかにその言葉どおり、本好きなら心をくすぐられるような本が並べられており、思わず私も仕事を忘れ本を購入してしまった。ちなみにKさんの推薦は『高校放浪記』稲田耕三(角川文庫)であった。
夜、大竹聡さんと「下町放浪 浅草・上野・神田ぶらりぶらり」の取材で、佃・月島を歩く。
震災後、町で酒を飲むのは初めてかもしれない。
銀座のロックフィッシュはとても混んでいた。
そのうち3人は「酒とつまみ」のメンバーで、泥酔人、発行人兼編集長、そしてカメラマンであった。
どうも3人とも待ち合わせすらしていないのに、ここで顔を合わせたようだ。
すっかり飲み過ぎてふらふらになって帰宅。
子供会が主催した浦和レッズハートフルサッカー教室に娘が当選したので、休みを取って会場へ。
私は正真正銘心の底から神に誓って仕事をしたかったのだが、車を走らせることは出来ても停めることができない妻の代わりに、不承不承嫌々ながら埼玉スタジアム第4グラウンドに向かったのである。
会場では、駒場スタジアムのバックスタンドに生息していた指示ラー(試合中適当に指示をしまくる人たち)による容赦ない指示に涙を流してベンチに帰っていった城定信次や、こそこそと浦和レッズを離れヴェルディーや大宮アルディージャで活躍した桜井直人が指導にあたり、私の娘にサポーターの罵倒に負けない心を植え付けてくれたのであった。
いやほんとは目の前に元浦和レッズの選手がいることに感激し、何かの間違いで私を誘ってくれはしないかとリフティングやらフェイントやらかましていたのだが、声をかけてくれたのはハートフルクラブのキャプテン、鉄人・
落合弘さんであった。落合さんからは「最近の親はなっとらん!」と叱られてしまった。
そして教室が終わって配られるシールを娘から奪い、良き休日が終わったのであった。
相棒とおるから「疎開しました」というメールが来たので、てっきり放射能から逃れるために子どもを連れて関西にでも行ったのかと思いきや、大腸にアメーバーだかスライムだかが増殖し、緊急入院してしまったのであった。
あわててお見舞いに行くとそこは感染症病棟と呼ばれるところで、何やら「面会は大人のみ」とか「マスク着用」などと至る所に注意書きが貼ってあったのだが、実は私、とおるが入院した病院が、我がランニングコースにあったため、ジャージの上下にランニングシューズというまさにランニングのついでにやってきてしまったのであった。
当然マスクなんて持っておらず、仕方なくポケットに入っていたiPodのイヤフォンを鼻の穴に二つ突っ込み、感染対策とす。
そんな格好で私が突然現れたものだから、相棒とおるはえらく動揺し、心拍数が跳ね上がってしまい、モニタリングされていた看護婦さんが血相を替えて飛び込んでくるは、「あんたは誰で、なぜこんなところにいるのだ? その鼻に突っ込んでいるものは何ものだ?」と大騒ぎとなり、結局とおるとは何も話せないまま病院を追い出されてしまった。
よくよく外に出て面会時間をというのを眺めてみれば、そこには午後3時~午後7時とあり、私が仕事を終えて家に帰ったのは確か8時を過ぎており、30分はランニングをして病院まで行ったものだから9時近くだったのではなかろうか。どうりで暗いと思った。
家に帰ると、相棒とおるからメールが届いており、「お見舞いありがとう」と書かれていたので、少しは喜んでもらえたようだった。
ところで相棒とおるは、兼ねてから食い意地がひどく、落ちているものでも「1,2、3、セーフ!」とか言って、拾い食いする奴だった。おそらく今回の病気もそれが原因だと思う。