履歴書の趣味欄に書き込みたいほど私は大掃除が大好きだ。
特に照明器具と換気扇、網戸洗いは誰にも手出しをさせないほど夢中になる。思うに一年溜まった汚れがすっきり落ちて行く様子に心が奪われているのである。
12月に入ると週末の予定を立てる。網戸と照明器具は外で洗うため天気が良くないといけない。換気扇は天候に左右されずに洗浄できるのでいつもでいいのだが、年末まで引っ張ると正月料理を作る妻に邪魔にされるので、なるべく早く片付けたい。というわけで、1週目に換気扇、2週目に換気扇およびワックルがけ、そしてこの週末網戸洗いに精を出したのであった。
家中の網戸を外し、ガレージに並べる。一番大変なのは天窓についた網戸なのであるが、こいつが一番汚れており、だからこそ私の心を一番ドキドキさせてくれる存在なので、洗わないわけにはいかない。3メートルのハシゴをテーブルの上から立てかけ、妻にハシゴを持ってもらい私は上と登っていく。
毎年のことだが、この瞬間、一年の行いが走馬灯のように蘇る。主に家庭生活についてであり、もし妻がそのことを一年間根に持っていたらどうなるのか。もしやハシゴをちょいと動かして私を転落させるのではないかと心配になるのだ。その証拠に、一番上まで登ったところで下を見ると、妻が「ふふふ」と笑っているのである。あんたの人生は今私の手の中にあるのよ、そうつぶやいているように見える。しかもその回りでうろうろしている息子が、僕も手伝うとか騒ぎ、ハシゴに手をかけようとしているではないか。息子のせいにして私をたたき落とす気なのだろう。ああ。
妻の判断は、来年も私を生き延びさせるほうに決まったようで、無事天窓の網戸を外すことができ、あとはホースとタワシで洗うだけである。無我の境地という言葉があるが、約1時間、まったく何も考えずに洗い続けると、網戸はピカピカになった。あとは乾かして設置するだけなのであるが、年々段取りが良くなるので、午前中の、それも早い時間に終わってしまったではないか。なんだか物足りないのである。
そこで近所を徘徊してみると、息子がいつも遊んでもらっているサイトーさん家の網戸が特に汚れているように見えた。運良くサイトーさんの旦那さんが窓を拭いていたので「お宅の網戸を洗いますよ」と手に持ったタワシを掲げると、それならこれをとサイトーさん家の子ども二人を差し出され、「大掃除で邪魔なので預かってください」とのことであった。
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2009年は恐ろしいほど本が売れない年だったと思う。特に夏ごろから書店さんの悲鳴が大きくなり、11月は「聞いてくれるな」状態、そして期待の12月も低空飛行のままで、出版業界だけ一足先に2番底へ突入してしまったかのようだ。大手出版社の赤字決算、大日本印刷グループによる数々の買収、多くの雑誌の休刊など、まさに「終わりの始まり」の年だったと後に語られることになるだろう。この先どこへ行くのはまったく予想が付かないし、正直言って、出版業界で働いていることに不安を感じない日はない。
でもと、私は考えるのである。
まだ、あるんじゃないか。
面白い本を作る方法が。
そしてその本を売る方法が。
あきらめるにはまだ早い気がするのだ。
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2010年も、頑張って「本の雑誌」および単行本を作って参ります。
応援よろしくお願いします。
ありがとうございました。
知人の紹介で、出版業界への就職を考えている大学生が、出版営業という仕事について話を聞きに来る。聞く相手を間違っていると思うのだが、いまどき出版業界に就職したいと考えるだけで、すでに人生を踏み外しているわけだから、私に営業の話を聞いたところで誤差の範囲であろう。
午後からは営業。埼玉を廻るが、会えたり、会えなかったり、混んでいたりで、五十点の出来。
営業がうまくいこうが、いかなかろうが、私はひとり駅のベンチで迎える夕方が好きだ。寂しいのも悪くない。
直帰して、息子の五歳の誕生日パーティーを開く。
ショベルカーのミニカーを渡すと、「ぼく、これ、ずーっと欲しかったんだよ」とマンガのように飛び跳ねて喜ぶ。
ありがとう息子。
昨日町田を営業した際、L書店のSさんと文庫の平台の前で話をしていたのだが、平積みになっている文庫本に視線が釘付けになってしまった。
『どん底の人びと ロンドン1902』ジャック・ロンドン(岩波文庫)
いつか読もうと思っていたのにその存在をすっかり忘れてしまっていた本だ。
Sさんとの会話が終わった後、即購入し、読了。
1902年、ロンドンの極貧地域・イーストエンドを潜入取材したのは、『荒野の呼び声』や『白い牙』で有名なジャック・ロンドン。
「お若いの、年は絶対取るなよ。若い中に死ぬといい、さもないとわしのようになる。本当のことを言っているのだ。(中略)ああ、死んだほうがましだ。お迎えが来るのがいくらはやくたって、かまわんよ、本当だよ」と話す絶望しかないホームレスが路上にたくさんおり、そういった人たちと一緒に暮らしつつ、真実の姿を映し出して良くのである。久しぶりに胸を鷲掴みにされたような気分になる本だった。いろんなことを考える。いろんなことを考えろ。
それにしても数日前に読んでいた、同じイギリス、年代はさらに以前の『ブレイスブリッジ邸』アーヴィング(岩波文庫)とまるで違うではないか。これが世の中というものなのだろうか。
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営業を終えて、会社に戻ると、事務の浜田がおかんむりの様子。
「聞いてくださいよ。今書店さんから返品了解の電話があったんですけど、何の本ですかと尋ねたら『おすすめ文庫王国2009年度版』っていうんですよ。あんまりなんでそれ先週だしたばっかりの本ですけどっていったら驚いていて、なんか去年のものと間違えたらしいんです」
その報告を受け、もしやと思ってamazonで確認すると、「このミス」も「ミステリが読みたい!」も「本格ミステリベスト10」もその他もろもろのベストテン本がみんな2010年版と表記しているではないか。それらが回りにあって、ひとつだけ2009年度版と書いてあったら、書店員さんも間違えるだろう。おお、正直者がバカを見るってやつか。そういえば、「このミス」は、表記を先送りするため、一年飛ばしたのではなかったか。浜本と緊急会議。
本好きにとって幸せな朝とは、前の晩、読み始めた本が面白く、しかし途中で睡魔に襲われ、数十ページ読んだところでバタンと閉じてしまった翌朝だろう。
これから大きく展開するであろう物語への期待と、もうここまで進んだらつまらなくなるはずがないという信頼を胸に、例えば私のような通勤1時間半の人間にとって、それはつらいはずの満員電車が、楽しい読書空間になるのである。ああ、早く続きが読みたい。その一心で着替えも朝の準備もいつもより早く済ませ、自転車を必死にこいで駅へ向かったのである。
それなのに鞄を開けたら、本が入っていなかった。
誰か『天地明察』冲方丁(角川書店)を貸してくれませんか。
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小田急線を営業。
こんな時期なのに売上を伸ばしている担当者、店長さんに話を伺うと、「いやー基本的なことをやっているだけですよ」と答えが返って来た。本をキレイにならべ、帯やスリップのズレを直す。そして機械任せにせず欠本調査をしっかりして注文を出すこと。何十年も前から行われてきた書店員の仕事をしているだけのようであるが、機械任せ、データ任せになった今、こういうことを忠実に行っている書店が意外と少ないのである。
というわけで営業も基本が大切なのだと感じた夜である。
ファンならば本を買おう!と叫んだからには買わねばならない。
2520円の大枚をはたいて『狩猟サバイバル』服部文祥(みすず書房)を購入。すぐ読み始める。
ほとんどの装備を持たず、食料も現地調達で魚や野草はもちろん、蛇やカエルを食してきた『サバイバル登山』家の服部文祥が、次なる方向として狩猟に向かうのは当然といえば当然か。
今作では猟銃を手に、単独で冬季の山に入り、鹿狩りと登頂を目指すのであるが、肉は偉大である。前作までの「飢え」の不安がまったくなくなり、そういう意味ではサバイバル度は格段に変化したかもしれない。次は『羆撃ち』久保俊治(小学館)に弟子入りし熊撃ちに挑戦か、あるいは銃と決別し、いちだんとサバイバル方面に突き進むのか。服部文祥の動きに注目だ。
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夜、大学生協&出版社合同大忘年会に参加。
営業マンの基本である「誘われたらとにかく顔出してみる」に基づき、初めて参加してみると、渋谷の飲み屋を借りきっての大盛況な会であった。懐かしい人、意外な人、はじめての人などと名刺交換しつつ、いろんな話題で盛り上がる。
しかしこの会で一番驚いたのは幹事の方々がみんなコスプレしていたことだ。胸毛やスネ毛を出してチャイナドレスを着ているではないか。生協業界は奥が深い。
やっと意識が回復した。土曜日、 ステレオフォニックスの新譜『Keep Calm and Carry On』を聴きながら埼玉スタジアムに向かったのは覚えているのだが、その後、記憶喪失に陥っていたのだ。
この週末いったい何があったんだろうか。
『本の雑誌』1月特大号が出来たので、年末の挨拶もかねて浜本とともにお茶の水の茗渓堂さんへ直納。店長の坂本さんとしばしお話。ちょうど昼時だったので、どこかでメシを食っていくかとなり、最初に向かったのは讃岐うどんの人気店・丸香。しかし13時を過ぎてもお店の前に行列が出来ておりあきらめる。じゃあということで、私が前の会社に勤めていた頃、よく行っていた菊水へ。久しぶりのひじきメシを堪能する。
その後、ここまで来たならばと古本屋さんの新日本書籍を訪問し、かつて四谷のB書店にいらっしゃったSさんを訪問。浜本とは20年ぶりぐらいの再会で、思い出話に花を咲かせるのかと思いきや、浜本は自分が持っているサンリオ文庫やその他の本が今いくらぐらいで売れるのか真剣に聞き入っていた。しかし文庫1冊で6万円って!!!
浜本と神保町で別れた後、銀座を営業。
思い起こせば一年前、「本の雑誌」で椎名編集長が窮状を訴えたのであるが、そのとき一番に「『本の雑誌』をなくしてなるものか!」と応援フェアの協力を申し出てくれたのが、三越の正面にある老舗の書店・教文館さんなのであった。
担当のYさんに「おかげさまで一年もちました」と報告をすると、とても嬉しそうに笑ってくださる。
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思えばこの一年いろんなことを教わった。
会社の状態を知ってまず私の頭に浮かんだのは家族であった。私にとって仕事とは、家族を養う手段なのであるが、その家族を私のわがままで苦しめてはいけない。家族のためには、ここで零細出版社から身を引き、もっと安定した職業に転職するのが一番かと思った。
悶々と悩みながら実家に帰った際に、母親にふとこぼすと、母親は表情を変え、大きな声を上げた。
「それが男のすることか? 私はそんな子に育てた覚えはないよ。浦和レッズがJ2に降格したときの岡野雅行を思い出しなさいよ。小野伸二や山田暢久に電話して、移籍するな、一年でJ1に復帰させようってみんなを説得したんでしょうが。わたしはああいう男が好きだ。いやあれが男だ。男がすたるようなことをするならもう家の敷居はまたがせない」
父親は何も言わなかったが、母親がその気持を代弁した。
「本当に困ったらお父さんに相談しなさい」
その言葉の向こうには小さな頃感じていた父親の大きくて厚い手のひらがあった。
そして、しばらくして兄貴からはこんなメールが届いた。
「大丈夫、どんな決断をしても必ず上手くいく。
心配するな。
腹を決めれば、怖いものなんて何もない。
家族が元気であれば、あとはおまけみたいなもんだ!
もう一度言う。
絶対、大丈夫だ。
心を静かにして、深呼吸して、行くべき道を決めればいい。
どちらを選んでも、自分で決めた決断なら、必ず上手くいく。
心配するな。」
これがプライド・オブ・スギエなんだろう。
そして私は目が覚めた。
私にはまだ「本の雑誌」でやりたいことややり残したことがたくさんあった。母親の言うとおりここで逃げたら一生後悔するだろう。今までの負け犬人生くそ食らえ。いや今は負けを認めて、ここから頑張ればいいじゃないか。
そう思ったら後はやるだけだった。
あれから一年が過ぎたのである。
おかげさまで「本の雑誌」はどうにか持ちこたえ、無事、年を越せそうである。
応援してくれた読者、著者、執筆者、書店、出版社、取次、企業の方々には、もう感謝の言葉以外ない。本当に一年間ありがとうございました。
私たちにできることは、浜本が去年の今頃、社員に向かって言った言葉に尽きる。
「俺たちは雑誌や本を作ることしか出来ない。とにかくみんなで頑張って面白い雑誌、面白い本を作っていこう」
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教文館書店さんではこんな本が売れているそうだ。
『仮面の女と愛の輪廻』虫明亜呂無(清流出版)
『徳川夢声の小説と漫談これ一冊で』徳川夢声(清流出版)
『人情馬鹿物語』川口松太郎(論創社)
通勤読書は、大竹聡の『大竹聡の酔人伝 そんなに飲んでど〜すんの!?』(双葉社)。忘年会シーズンにぴったりな飲みすぎコラムの連続なのであるが、大竹さんの著作の色が1作ごとにその顔色及び肝臓の色になっているのはなぜなんだろうか。次の表紙は真っ黒か。
営業中の会話が今年一年を振り返るような話題になるのであるが、ほとんどの書店員さんが「今年は悪かったねえ。『1Q84』以外に売った記憶がないよ」と話される。世の中の景気の悪さも反映しているのだろうが、文芸書の売上はただいば絶不調、前年比二桁落ちのお店ばかりである。
とにかくみなさん、本を買ってください。
いやお金がないのはわかります。私もないですから。でもファンだと思う作家さんの本だけは、せめて購入して読んであげてください。その1冊が作家さんの生活を支え、次作の糧になるのです。よろしくお願いします。
......って甘えなのかもしれないな。
私たちが思わず買いたくなるような本を作らなければならないのだ。
夜、『空色メモリ』応援団の飲み会にお呼ばれし顔を出す。著者の越谷オサムさんと担当編集者及び営業マン、そして越谷ファンの書店員さんたちが集まっていたのだが、おそらく私は越ケ谷高校出身ということで呼ばれたのだろう。
いや応援団のひとりなのだ。私は高校にほとんど行っていなかったので、越谷さんの書く高校生活を羨望のまなざしで見つめているのである。あの頃、こうやって過ごせば、それがたとえ『空色メモリ』の主人公のようなイケテない男の子であっても、学校生活は楽しかったはずなのだ。
『おすすめ文庫王国2009年度版』の見本を持って、直行で取次店さんを廻る。
その合間に『ロスト・トレイン』中村弦(新潮社)を読む。誰も知らない廃線と、その廃線を追って姿を消した鉄道オタクのおじさんを探す、ファンタジー鉄(廃線)ミステリー。鉄道オタク版「フィールド・オブ・ドリームス」といったところか。
各取次店さんが思いの外空いており、板橋のK社に行ってもまだ時間に余裕があったので、明日訪問しようと考えていた地方小出版流通センターへ。担当のKさんが「『放っておいても明日は来る』面白かったよ! 売れてるし、続編出しなよ」と言われる。
続編......あんなとんでもない人があと8人もいるのか?! と思ったが、以前高野さんは「終わってみたらあの人も呼べばよかったって思う人がいっぱいいるんだよね」と話していたのだ。類友恐るべし。
夜は、取次店N社の社食で謎の忘年会。
通勤読書は、『ひとり旅ひとり酒』太田和彦(京阪神Lマガジン)。雑誌「西の旅」に連載されていたものが写真とともに収録されているのだが、まるで一緒に旅しているような心地で、最後は読み終えるのがもったいないぐらいだった。酒、骨董、珈琲などまさに大人の旅なのであるが、私にとっての旅とは浦和レッズのアウェー観戦で、しかもいつも現地に着くとすぐスタジアムに並びだし、試合が終わると即帰宅の弾丸ツアーだから、大人の旅とは無縁なのである。
会社に着くと発売して約一週間の『放っておいても明日は来る』高野秀行著の追加注文がパタパタと入り出す。高野ファンに売れているのか、就活本として売れているのか判断が難しいところだが、予想以上の滑り出しと、それ以上の評判の良さにうれし涙が出る。
この本が出来上がり店頭に並ぶまで、いや誰かに読まれるまで私はとっても不安だったのである。今まで何冊も本を作ってきたのに、なぜこの『放っておいても明日は来る』に限ってこんなに不安なんだろうと不思議に感じていたのだが、その理由がわかった。
そうなのだ、私はこれを授業で聞き、テープ起こしで聞き、原稿で読み、何度も何度も接していたからすっかり忘れていたのだが、これはある意味書き下ろしの作品だったのだ。
だから世の中に出るまでに読んだのは私と書き手の人たちだけで、そうなると自分はものすごく面白いと思っているものの、一般の人の反応というものがまったく見えず、暗闇を歩いているような気分だったのだ。それがふたを開けてみたら、大変評判がよく、今、パッと明かりが付いたような感じである。できることなら重版がかかって、晴れ渡る空の下に出たい。
終日『おすすめ文庫王国2009年度版』の事前注文〆作業。
これにて2009年の新刊は終りだ。人生でいちばん頑張った一年を振り返るのはもう少し先になるだろう。