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7月29日(水)

 猛暑にふらふらとなって営業していると、妻からメールが届く。

「おねーちゃん(娘)が25メートル泳げたんだって。すごい!」

 先々週に地元の県営プールがプール開きしてから、私は娘と息子を連れて2度行った。そのとき娘は「息継ぎができないから13メートルしか泳げないや」とめげていて、私は息子を浮き輪に乗せつつ、クロールの息継ぎを教えたのだが、これがインサイド・キックを教えるの同様、難しいのだ。

「顔を上げて」
「水が入っちゃうよ」
「だから横にだよ」

 無理矢理身体をねじらせると勢い余って背泳ぎになってしまい、娘は不貞腐れて泳ぐのを辞めてしまった。

 さっそく家に電話を入れ、「おねーちゃんに変わって」と言うと、電話の向こうから「めんどくさいからいい」と返事する娘の声が聞こえただけで、結局娘は電話口に出ることはなかった。

 娘はいったいどんな気持ちでプール検定に挑んだのだろうか。
 25メートル泳ぎきったときどんな表情をしたのだろう。
 できることならその姿が見たかった。

 家に帰ると妻が緑色の布切れを水泳キャップに縫い付けていた。

7月28日(火)

 朝起きて隣に寝ている父親が丸坊主になっていたときの8歳の女の子の反応。
「うひょー、U字工事そっくり。ごめんねごめんね〜って言ってみて」

 朝起きて隣に寝ている父親が丸坊主になっていたときの4歳の男の子の反応。
「ぼくと一緒の頭だ。ゴシゴシ」

★    ★    ★

「朝日新聞」の文芸時評で斉藤美奈子が「覚えておいでだろうか。一昨年の夏、出版界を騒然とさせたのはケータイ小説の流行だった。大人の目には安っぽく映る十代の愛と性を山盛りにしたケータイ小説。それが上半期ベストセラー「単行本・文芸」部門のうち、トップ10の過半数を占めたのだ。しかるに、それから2年たった2009年上半期のランキングにケータイ小説は一冊も入っていない。ブームが去るのは早い。1〜2年前がウソみたい。」と書いているのだが、確かに特出して売れているものはないかもしれけれど、ケータイ小説はすでに定番化し、主に郊外の書店では、文芸書よりずーっと棚回転も良く売れているのだ。

 それと文庫化が進んでいるから、「単行本・文芸」部門のベストセラーに入らなくなったということもあるだろう。ケータイ小説を出している出版社の営業マンと話したときに驚いたのだが、その初版部数はハッキリ言って「単行本・文芸」部門でよほどのベストセラー作家以外考えられない部数であった。

 ブームが去るのが早いのは、ケータイ小説に限らず他のベストセラーもまったく一緒で、本日訪問した紀伊國屋書店新宿本店のKさんは「今まで経験したことがないくらい売行きがピタッと止まる。メディアに取り上げられた瞬間に在庫を持っているかが勝負」と話していたほどだ。人間の購買心理が変わってきているのだろう。

 その紀伊國屋書店新宿本店の対決フェアで村上春樹と並べられ、ずーっと気になっていた磯崎憲一郎の芥川受賞作『終の住処』(新潮社)を読む。

 芥川賞受賞作を読むのはいつ以来だろうか。帯に「妻はそれきり11年、口を利かなかった──」とあるが、口を利かないほうが幸せだと思う。文学性に関しては私にはわからないが、ようは笑える夫婦小説なのではないか。

★    ★    ★

『スットコランド日記』宮田珠己著の見本を持って取次店まわり。
N社の仕入れ窓口で、タイトルが誤植だと思われた。そりゃそう思うだろう。

7月27日(月)

 ついに『スットコランド日記』の見本が出来上がる。

 この気持ちをどう表現していいのか私にはわからないのであるが、宮田さんには本文以外にも私の大好きなイラストを書き下ろしていただき、元々宮田さんの大ファンであった組版職人のカネコッチは喜んでいろんなレイアウトを出してくれ、しかも今回は装丁までこなしてくれたのだ。私と宮田さんの無理難題にも嫌な顔せず、付き合ってくれたのがうれしかった。

 それだけではない。自費出版された『旅の理不尽』をいちばん最初に誉めた編集長の椎名さんは、なんと帯使用用の手書きの推薦文を書いてくれたではないか。ここまで来て営業を頑張らないわけにはいかないので、私は必死になって駆けずり廻った。多くの書店員さんが、「ちょいゲラ」に喜び、たくさんの注文をくれた。

 著者である宮田珠己さんが来社し、サイン本作り。その後、食事をして笹塚駅で別れる時、私は泣きそうであった。いや泣いていた。そして家に帰り、あとできることはなんだろうと考えた。

 願掛けだ!

 ただ残念ながら私が信じる神はサッカーの神様だけで、ほかの神様には興味が無い。でもとにかくこの本は多くの人に読まれて欲しいのだ。そういう場合どうやって願掛けしたらいいのだろうか。

 ひとまずバリカンを持って来て、12ミリのアタッチメントをつけ、妻に丸刈りにしてもらった。
 願いは通じるだろうか。

7月25日(土) 炎のサッカー日誌

 父親が寄り合いに出席せざる得ず、急遽余った浦和レッズVS名古屋グランパスエイト戦のチケットを娘に渡す。娘と一緒にサッカーを観に行ったのはすでに一年以上前で、小学校に入学してからは入場料もかかるし、邪魔臭いしで連れて行かないようにしていたのであるが、娘もサッカーを始めたことだし、そうなればサッカーのことも少しは分かって父と娘のサッカー談義なんかもできるんじゃないかと期待したのであるが、娘の口から出た言葉は「盆踊りの練習があるから行かない」であった。浦和レッズが盆踊りの練習に負けるとは。

 しかし試合が始まってみると、確かに盆踊りの方が楽しそうであった。

 この停滞を過渡期とみるか限界とみるか難しいところである。後半40分過ぎに主に指定席の人たちが席を立つのが物悲しかった。

7月24日(金)

 ゲリラ雷雨のような雨が降る中、出社しようとしたら夏休みの娘が声をかけてきた。
「パパ、待って」

 うう、やっぱりもつべき者は妻ではなく娘だ。きっと車で送るよう妻に言ってくれたのだ。そう思っただけでも涙があふれそうになったのだが、娘は1枚の紙を出して来た。

「パパさ、東京どこでも行くんでしょう? ポケモンのスタンプラリーやってるから押してきて」

 そう言って私にスタンプ帖になっているチラシを渡すと娘は2階に上がって行った。

 ひとり営業マンが、家族に尊重される唯一の時季であった。

7月23日(木)

  • 世界のサッカー応援スタイル
  • 『世界のサッカー応援スタイル』
    『サッカー批評』編集部,『サッカー批評』編集部
    カンゼン
    1,848円(税込)
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 と、とんでもない本が出てしまった。
 私が今までずーっと夢見た本である。
 こういう本が出ればいいなあと思っていた本である。
 それが出てしまったのである。

『世界のサッカー応援スタイル』サッカー批評編集部編(カンゼン)。

「サッカー批評」といえば、私が「本の雑誌」2009年4月号で編集長の森さんへインタビューを試みた雑誌であるが、あの森さんの不敵な微笑みの下で、こんな本を編集していたとは、もう脱帽どころか、丸刈りになってもいいのである。私は毎年勝手にサッカー本大賞というのを選んでいるが、この『世界のサッカー応援スタイル』は、サッカー本大賞の中の、サッカー本大賞、何を行っているんだかわからくなってきたが、キング・オブ・サッカー本である。

 どんな本かというの世界中のサッカーバカ=サポーターがどのようにおらがチームを応援しているか徹底ルポしているのである。スタジアムの雰囲気から、チームやサポーターの歴史、そしてそしてなんとチャント(応援のコール)まで克明に紹介されているのである。しかもイングランド、スコットランド、スペイン、イタリアなどのヨーロッパはもちろん、ブラジル、アルゼンチンなどの南米、そしてアジア、アフリカまで網羅しているのだ。

 例えばリバプールサポが歌うジェラードのチャントやフェルナンド・トーレスのチャントが。いやそんなレベルのものだけでなく敵チームを皮肉った、そう浦和レッズサポーターがかつてカズや武田に歌っていたようなチャントから、本気でヤバいチャントまですべて載っているのだから読み出したら止まらない。しかもそれがもう日本人の意識がぶっ飛ぶくらいすごいチャントなのである。

 ローマサポがユベントス戦で歌うチャントはこんな感じなのである。

 月曜日、
 パトロンの工場(フィアット社)に仕えに行くお前らはなんて哀れなんだ、
 オー、ユベンティーノどもよ、
 アニェリ家(フィアット社のオーナー一族)の連中どもの
 ○○○でもおしゃぶりしてろ
 ユーベ・メルダ、ユーベユーベ・メルダ(メルダ=糞の意)

 もちろん誇りを胸に自チームを歌うチャントは、そこに民族の歴史が含まれるため、読んでいるだけで涙があふれるようなものばかり。

 読み出したら眠れない、間違いなく、サッカーバカ必携の1冊。


 ★    ★    ★

 会社は京王線にあるため「ホーム」のはずなのだが、レッズサポの私には完全「アウェー」な京王線を営業。途中大雨が降り出し、いちだんとアウェー感が漂ったが、「がんばれよしつぐ」チャントを歌いつつ、夕方までしっかり営業す。

7月22日(水)

  • ニート (角川文庫)
  • 『ニート (角川文庫)』
    絲山 秋子
    角川グループパブリッシング
    482円(税込)
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「本の雑誌」の新企画「図書カード3万円でお買いもの」の第3回目の収録のため、絲山秋子さんの住む高崎へ向かう。

 絲山さんは今私が一番好きな小説家の一人なので、訪問前夜は眠れず、また昨日のような失敗をしないよう浜本と待ち合わせの大宮駅で、中途半端な時間にも関わらず、たぬきそばを食べたのであった。これで安心である。

 絲山さんの作品はすべてダメ人間が出てくるのであるが、私は逆に完璧な人間などどこにもいないと思っているので、ダメ人間という言い方が実はあまり好きではない。好きではないけれどそれぞれ絶望の手前にいる登場人物を絲山さんは安易に癒したり、救ったりしない。しない代わりにじっとどこかで見つめていてくれるような気がする。

 そう絲山さんの小説を読むと私はいつも思い出す出来事がある。
 それは中学一年の夏休みのことで、私は毎日サッカーに明け暮れていた。といっても一年生はボールを触れず、しかも水も飲めない炎天下のなか、声出しと球拾いをしていただけなのだ。それでは当然物足りないので、夕方家に帰ると、私は自宅の前にある小学校の校庭に潜入し、1時間も2時間も一人でボールを蹴っていた。今、思い返しても不思議なのであるが、私はそのとき上手くなろうと思って、練習していたのではなかった。ただサッカーがしたかっただけなのだ。

 そうやって1ヶ月が過ぎ、夏休みの終りが近づいて来たときだった。その時には3年生が引退していたので、一年生もちょっとずつボールを蹴れるようになったのであるが、ある日シュート練習でシュートを打った後、自分のボールを貰って、列に並ぼうとすると、それまで一度も話しかけられたことのなかったマキノ先輩が声をかけてきたのだ。

「スギエ、上手くなったな」

 まず私は、マキノ先輩が私の名前を覚えていることに驚き、また上手くなったと誉めてくれたのことにさらに驚いた。いやマキノ先輩の言葉がなければ、私は自分が上手くなったことにも気付かなかったかもしれない。そしてその言葉があったからこそ、今も私はサッカーと続けているのだ。

 絲山さんの小説を読むといつもマキノ先輩を思い出す。

★    ★    ★

 煥乎堂、紀伊國屋書店前橋店、ブックマンズアカデミー前橋店のどのお店も素晴らし書店さんだった。前橋なら住める。

7月21日(火)

  • 幻獣ムベンベを追え (集英社文庫)
  • 『幻獣ムベンベを追え (集英社文庫)』
    高野 秀行
    集英社
    572円(税込)
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 先日訪問した書店さんから手紙(FAX)が届いたのであるが、そこに私の特徴として「いつも笑顔で自信に溢れてない」と書かれており、大笑いしてしまった。確かに私はザリガニのようにいつも腰が引けていて、何ものにも自信がない。営業は店頭でバッティングする他社営業マンを見て自信を失い、サッカーはC・ロナウドやメッシのプレイを見て腰を抜かしている。

 だからいつまで経っても偉くなれない(見えない)のだと、私はそれを自分自身の弱点だと思い改善しようと考えていたのだが、この手紙ではそこが良いのだ!と誉められており、大変うれしかった。ありがとうございます!

 もう1件、銀座のK書店YさんからもFAXが届いていたのだが、こちらは先日紹介した『俺のロック・ステディ』に関しての連絡で、集英社のPR誌「青春と読書」で花村萬月と鮎川誠の対談が載っていることを伝えてくれたのであった。さっそく読んでみたが、鮎川誠がカッコ良かった。

 書店さんからの手紙(FAX)で思い出すのは、浦和レッズがJ2に降格した翌日のことである。会社に出社すると「死なないで」というFAXがたくさん届いていたのだ。あの頃はまだこのホームページもなく、私は書店向けDMでなぜか浦和レッズの事ばかり書いていたのである。今思い出しても泣けるエピソードである。

 高野秀行さんのお家に行って、昨年ずーっと聴講していた上智大学の授業の出版についての相談。一番懸念していたのはタイトルだったのであるが、神に打たれたように高野さんの口からぴったりな言葉が出て、もう恐れるものはなくなった。

 さて私はただいま減量しており、朝はバナナ1本とヨーグルトと豆乳と野菜ジュースで過ごしているのだが、さすがに成人男子にそれはきつく11時にはお腹がぐーっと鳴るのである。この日、高野さんの家に訪問したのはちょうどその腹が鳴る時間で、もし腹が減った場合のことを考え、高野さんの好物でもある(はずの)大福餅を6つ買って行ったのである。すなわち腹が減ったら「いただきものですがね」と出される大福を食べようと思っていたのだ。

 ところが高野さんとの話はいつもどおり最初から盛り上がり、しかも多岐に渡るため、気付いたら1時を過ぎていた。その時間を確認した瞬間、私の腹はキュルキュル伸縮し出し、あまりの空腹に目眩が襲ってきたのである。

 しかし高野さんの口からは「いただきものだけどね」が出ず、目の前に置かれている大福餅が袋から取り出される気配はない。私はもう我慢の限界であったのだが、そのとき高野さんのお腹もグウーと鳴った。いや鳴った気がしたのかもしれない。空耳か。どちらにしても私の空腹は限界をとっくに越えていたので、思わず「高野さんの好物ですから、ご遠慮なさらずどうぞ」と袋をあけるよう促したのであるが、高野さんは大福餅を確認しただけで開封せず、またプロレスの話に戻っていった。

 プロレスはこの際どうでもいいのである。
 私はもはや餓死寸前の男である。お願いですからその大福餅をひとつ恵んでください。恵んでいただけましたら、鬼ヶ島でもUMA探しでもソマリランドでもどこへでも付いて参ります、と言いたいところだったのだが、高野さんは相変わらずジャイアント馬場がいかに素晴らしいか話していたのであった。

 思い返してみると目の前にいらっしゃる辺境作家・高野秀行さんは早稲田大学探検部の隊長としてコンゴの湖へ謎の怪獣・ムベンベ(『幻獣ムベンベを追え』集英社文庫)を探しに行った際、マラリアに罹り生死を彷徨っている隊員・田村氏に向かって「病は気から」と言ってのけた人物なのであった。

 普通の人間であればそこで人間関係がぶち壊れるのが当然かと思うが、探検部というのは恐ろしい集団で、後に隊員・田村氏はこのときの体験をふまえ、人生で一番大切なものは家族であると知り、「やるっきゃない」という人生訓を得たと喜んで語っているのである。

 ということは、今、私が大福餅を食わせてもらえず、空腹で死にそうになっているのも、もしかしたら高野さんから何かを教わろうとしているところなのかもしれない。たぶん今回は「やるっきゃない」では、ないであろう。「食うっきゃない」か? 奪っていいのか、その大福餅を。

 私の記憶はその辺で飛んで、次に意識が戻ったときには松屋で牛丼を食べていた。
 もしかして高野さんは大福餅が嫌いだったのだろうか。

7月17日(金)

 昨夜は本屋大賞の理事会・総会で、今期も無事終了し、来期が始まることとなった。
 会の最後に韓国の学生がやってきて「本屋大賞」の取材をされていたが、本屋大賞受賞作品は韓国でも人気があるのだというから驚く。

 何度も書いているが、本屋大賞は酒飲み話の延長なので、そう真剣に考えず、まあ一緒にマッコリでも飲もうじゃないかと思ったのであるが、私は今晩中に単行本版『スットコランド日記』の原稿を1ページ目から344ページ目まで目を通さないといけないので、焼き肉を食べたい気持ちをぐっとこらえ、泣く泣く赤坂見附を後にしたのである。

 ところが本日徹夜明けでふらふらになって会社に着くと、その『スットコランド日記』の著者であり、もうすぐ四万十川に川下りに行くという宮田珠己さんから、来週更新分の「スットコランド日記」の原稿が届いていたのであるが、そこに私を貶めるとんでもない文章があるではないか。

 くそー、肉、食えばよかった。

★    ★    ★

 本の雑誌社史上最速重版となった『SF本の雑誌』の2刷目が出来上がって来たので、鵜匠となり、助っ人たちを直納へ向かわせる。しかし2刷目も本日には半分ほど出荷されており、在庫切れは時間の問題であろう。社長及び事務員及び編集者及び経理及び助っ人及び編集長から「お前は思い切りが悪い!」と罵られているのである。

 どうしてゴール前だとあんなに思い切りがいいのに、仕事となるとダメなんだろうか。

7月16日(木)

  • 俺のロック・ステディ (集英社新書)
  • 『俺のロック・ステディ (集英社新書)』
    花村 萬月
    集英社
    792円(税込)
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「青春と読書」の連載時から楽しみに読んでいた花村萬月『俺のロック・ステディ』が集英社新書で発売されたので、即購入。かなり独断に満ちたロック論なのであるが、論に独断がなければ面白いわけがない。ロックにそれほど詳しくない私であるが、「はじめにリズムありき」から始まるこの本は、無茶苦茶面白いのである。

 突然「地下街」という言葉が好きになる。
 太陽の照らない場所を「ヘブン」と呼ぶことにした。

7月15日(水)

 朝、「週刊文春」を買う。
 なにせ読書面で『今夜もイエーイ』の大竹聡さんが著者インタビューされているのだ。二枚目に写った写真とまるまる1ページ紹介されていてビックリする。

 その「週刊文春」を報告がてら発行人の浜本の机に置いておくと、しばらくして呼び出される。

「おまえ、すぎえじゃん!」

 暑さというのは恐ろしい。ついに13年間も付き合って来た人間の名前もわからなくなってしまったんだろうか。49才、『明日の記憶』か『博士の愛した数式』か。

「そうですよ、おれ、すぎえですよ」

 哀れみを持って応対すると、浜本はぶるぶる首を振って、そんなことは知っていると言う。良かった、まだ軽度なんだな。しかしまた浜本は言うのである。

「おまえ、すぎえじゃん!」
「だから、おれは、ずーっとすぎえですよ」
「違うよ!! おまえ、すごいじゃん」

 どうも誉めていたらしい。

★    ★    ★

 梅雨が明けたらそこは亜熱帯地方であった。
 いきなりの猛暑である。私はもう生きているだけで精一杯である。

 京浜東北線の埼玉を営業す。

 新都心のK書店Uさんとお話していると「担当になって半年、今の並べ方がお客さんにとって良いのか悩んでます」と漏らされるが、おそらくそういう想いを持つだけでも、お客さんに何かが伝わっていると思う。

 その後、浦和のK書店さんを訪問しようと浦和パルコに入るとなんとREDS GATEに元浦和レッズの水内猛と阿部敏之がいるではないか。阿部ちゃんは想像していたよりずっと大きく、そしてカッコ良かった。サインをもらおうかと思ったが、私が注文を貰わないといけないのであった。K書店Sさんを訪問し、本日発表の直木賞の話など。


★    ★    ★

 いったん家に帰りシャワーを浴びてから、埼玉スタジアムへ。

 ナビスコカップ準々決勝の試合が、21,271人にしか入らないとはどういうことだ。おそらく埼玉スタジアムの公式戦最低記録ではなかろうか。

 この暑さのなか走り回り、素晴らしいサッカーを繰り広げる選手達に失礼である。浦和レッズの営業マンよ! 走っているか? 代わりならここにいるぞ。

7月14日(火)

  • 本の現場―本はどう生まれ、だれに読まれているか
  • 『本の現場―本はどう生まれ、だれに読まれているか』
    永江 朗
    ポット出版
    1,980円(税込)
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    honto
 通勤読書は『ジパング島発見記』山本兼一(集英社)。
 1500年代に日本へやってきた外国人、フランシスコ・ザビエルやルイス・フロイスなどの視点で描かれる連作短編集。誰もが大変人間くさく面白い。

★    ★    ★

 なぜかどの書店さんでも「責任販売」の話題となる。

 最近、朝日新聞の一面にも掲載されたこの新たな取引制度(書店さんの利益は増えるが、リスクも増える)であるが、今のところ「責任販売」で扱われる本に魅力がないのか、ほとんどの書店さんが客注でもないかぎり、注文する気がないと言っていた。また議論の場に書店が入っていないことにかなり不服な様子であった。

 そんななか西荻窪のK書店Kさんから伺った、理にかなった責任販売の方法論は大変勉強になった。それと書店さんが返品率を下げることに真剣に取り組まないのと、出版社が万引き対策に真剣にならないのは、同じ穴の狢であるというのも頷ける話だ。

 先日拝聴した取次マンの対談では、「責任販売の『責任』を書店に押し付けるのはどうかと思う!」と言っていたが、それは現場レベルの感想であって、流れとしては今の流れが進んでいくような印象であった。

 ところでコミックに関していうと、何件かのお店では返品率をある一定の枠内におさめる変わりに新刊の指定配本を受け付けているようだが、あれを他のジャンルに応用するのはできないのだろうか。巻数ものだからできるのだろうか。

 責任販売を論じるなら再販制度もセットで論じた方がいいと思うんだけれど、どうなんだろうか。再販制度で思い出したが、「非再版」の文字がデカデカと印刷された『本の現場 本はどう生まれ、だれに読まれているか』永江朗(ポット出版)は、最後についている対談が興味深かった。残念ながらこういう本をどう扱っていいのか書店さんはわからないようであるが......。

 そういえばこういう話題は十年くらい前には飲み会の大きなネタであったが、今はもうこんな話をすることもなくなった。現場はそれどころじゃないのかもしれない。

7月13日(月)

 梅雨が明けてしまった。
 私はもう日本から脱出しようと思う。

7月11日(土) 炎のサッカー日誌

 最近は、スタジアムに入る前にひとり芝生に寝転がって持参した缶チューハイを飲んでいる。

 そこでいろんなことを考える。主にこれから始まる試合のことなのだが、それ以外でも家族のこと、仕事のこと、思いつくままに考える。答えを求めるというよりは、自分の気持ちを確かめるようなもんだ。営業という仕事を長くしているとつい「自分の気持ち」を忘れてしまうことがある。だから僕は埼玉スタジアムの池のほとりの芝生の上で、自分を取り戻す作業をしているのかもしれない。ある程度整理ができたところで、仲間が待つスタジアムに向かう。

★   ★   ★

 試合開始までまだ少し時間があった。私はとっくのとうに還暦を過ぎた両親とともにゴール裏の席に座っていたが、父親は食べ終えた弁当の空き箱を持って、席を立った。すると母親が身を寄せるようにして話しかけてきた。

「この間、お父さんから電話あったでしょう?」

 そういえば数日前の仕事中、本(『SF本の雑誌』)が売れて良かったなと電話があったのだ。

「お父さん、すぐ電話切ったでしょう。あれさ、うれしくて泣きそうだったんだって。お父さんもあんたのこと心配してるのよ」

★   ★   ★

 確かあれは小学6年生の夏休みだった。
 私はやることがなく家でぼんやりしていたら、独立したばかりの父親から「暇なら働きに来い」と言われ、その翌日から電車とバスに乗り継いで父親の会社に向かった。そこは自動車修理工場の上の、一日中金属を叩く音が聞こえるうるさい場所だった。窓が小さく、日も当たらなければ、とても狭かった。社長の机もなく、みんな作業机で仕事をしていた。

 私もそのなかに加わり、ボール盤でプラスチックに穴をあける作業をした。あけてもあけても終わらなかった。でもその仕事は営業でもある父親が必死になって取ってきた仕事だ。私は夢中になって穴をあけていた。

 そういえば父親はほとんど会社にいなかった。私と一緒に出社するとすぐに中古のワゴン車に乗って出かけて行き、夕方戻ってくるのだった。何か注文が取れたときは嬉しそうに社員に話しかけ、思ったようにいかなかったときは、すぐに組み付け作業の仲間に加わった。ある日、外に出て行く父親が私に声をかけた。

「いくぞ」

 出来上がった製品を車に積んで、父親は車を走らせた。ラジオからはAM放送が流れていたが、私は始めて見る東京の下町の景色に見とれていた。狭い敷地に多くの家が建っている。太い道から細い道へ、そしてまた太い道を通って、父親の目指す「とりひきさき」と呼ばれる工場に向かった。

 工場に着くと父親は慣れた様子で建物に入って行った。すぐ向こうの会社の人を連れてきて、私を紹介した。小さな声で「こんにちは」というのが精一杯だったが、その知らないおじさんは嬉しそうに父親を見つめた。

「よっちゃん、会社作ってすぐ、跡取りかよ。羨ましいなあ」

 私はあの小さな会社のどこが羨ましいんだと思ったが、何よりも父親が「よっちゃん」と呼ばれていることに驚いた。父親とそのおじさんの仕事を越えた親密な関係が現れているように思えたし、私の知らない父親の姿がそこにあった。私が荷台に積まれた段ボール箱を下ろす姿をふたりは腕を組みながら見ていた。

 また車に乗ると父親は話しかけてきた。
「腹減っただろう?」

 言われてみれば昼をとうに過ぎていた。
「ラーメン食べよう。すぐそこに美味い店があるから。でもな、絶対大盛りを頼むなよ。そのお店は普通でも多くて食べきれないくらいの量が入っているから。たまに知らないやつが大盛り頼んで焦ってるんだよ」

 私は父親に言われたとおり普通のラーメンを頼んだが、周りの作業着姿の人たちはそれに大盛りのご飯を添えていた。みんな首にタオルを巻いて、油まみれの手であった。

 数えてみると、あの頃の父親は今の私と同じ歳くらいだ。

★    ★    ★

 去年ならばずるずるとDFラインを下げていたであろうが、サンフレッチェ広島の佐藤寿人のゆさぶりにも負けず、闘莉王と阿部は必死になってラインを上げていた。その結果、68分に高原からエジミウソンへ絶妙なパスが通り、同点となる。

 そして後半80分過ぎ。私の目の前で、18歳の原口元気が、サンフレッチェ広島のディフェンダーと競り合っていた。全身をディフェンダーにぶつけ、ボールをキープする姿を見ていたら、私の目から涙があふれて来た。

 今、彼は、必死にプロサッカー選手の扉をこじ開けようとしている。いやこじ開けた扉から、飛び出そうとしているのだ。

 その必死に戦った原口が倒されると主審の岡田正義は笛を吹いた。そのフリーキックからエジミウソンのゴールが決まり、浦和レッズは勝利した。

 私は父親と肩を組み、エジミウソンのゴールを祝った。

7月10日(金)

  • Feel Love vol.7 (祥伝社ムック)
  • 『Feel Love vol.7 (祥伝社ムック)』
    角田光代 江國香織 朝倉かすみ 辻内智貴,三崎亜記 白石一文 三浦しをん 市川拓司,奥原しんこ
    祥伝社
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    honto
 東京国際ブックフェアが開かれているのだが、今年は時間がないので不参加。

 ムックの『Feel Love』vol.7が角田光代特集だったので購入してみたが、そのなかに収録されている「旅と日常」というエッセイがあまりに素晴らしく、読み終えたとき涙が止まらなかった。

 私も若い頃、ファミリーレストランやショッピングセンターにいる家族を、とても不快に感じていたのだが、子供が生まれ、いろんな意味でそこしか行く場所がないことに気づき、そしてそこに幸せがあると理解したとき、日常を引き受けたのだ。

 今、何を書かせても角田光代はすごい。

 ところで私の脹ら脛は、大変なことになっており、子持ちししゃものようだ。もしかしたら子供が生まれるかもしれない。最近はランニングだけに飽き足らず、ついに「野菜」を食べだし、目黒考二なみのダイエット生活も始めている。

 こう書くと健康を追い求めているかのように思われそうだが、そうではなく、ドM魂が炸裂してしまっているのだ。

7月9日(木)

  • 高校サッカー勝利学―“自立心”を高める選手育成法
  • 『高校サッカー勝利学―“自立心”を高める選手育成法』
    本田 裕一郎
    カンゼン
    1,760円(税込)
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    honto
  • 祖母力 うばぢから オシムが心酔した男の行動哲学
  • 『祖母力 うばぢから オシムが心酔した男の行動哲学』
    祖母井 秀隆
    光文社
    1,980円(税込)
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    honto
 私は高校受験とき、当時埼玉県で一番サッカーが強かった武南高校に合格していた。
 その後、県立高校に受かったので入学することにはならなかったが、もし県立高校に落ちていたら、私は武南に行って、サッカー部に入るつもりであった。

 もちろん私の実力では、2軍どころか3軍、4軍、3年間球拾いで終わるの覚悟をしていた。それでも一生に一度くらい本物に接するのもいいかと考えていたのと、卒業してしまえばレギュラーも球拾いも一緒、「俺、武南サッカー部出身なの」なんて言って、あのユニフォームを自慢げに着たかったのだ。

 しかし行かなくて良かった、と心底思ったのは、『高校サッカー勝利学 "自立心"を高める選手育成法』本多裕一郎(カンゼン)を読んだからだ。この著者・本田裕一郎先生は高校サッカーを見ているなら誰もが知っているであろう、07年に高校サッカー三冠達成をした流通経済大柏高校サッカー部の監督である。いやこれが無茶苦茶なんだ。

 始めて赴任した市原南高校では、新設校のため何もない。グランドも山を切り開いたばかりで石ころだらけ。そこをこの本田先生は自分で整備するのだが、その記述がすごい。

「ますはみんなで石拾いをして、自分の車に電信柱みたいなものをロープで括り付けて、グラウンドをならす...。そんなことを何回やったかわかりません。この作業で何台、車をつぶしたことか」

 なんと車をつぶしているではないか。しかもグラウンドだけでなく「私はこういう仕事が好きで」と言い、丸太やトタンを手にして50人が入れる部室も作ってしまったというから恐ろしい。

 もちろんサッカーの練習はそれらを上回る情熱で取り組むから半端ではない。朝から晩までの練習は当然で、不甲斐ない試合をした日は怒りのあまりバスに一人で乗り込み帰ってしまい、選手達に60キロ走らせて学校に帰らせたこともあるとか。遠征だって宿泊費がないから「毛布を持参して芝生の上に寝たり」しているのである。

 昨年出版された『祖母力』の祖母井秀隆も、オシムを招聘するために毎日同じ時間に電話をかけ、そのとき気持ちを盛り上げるため彼の国の音楽を聴き続けたというとんでもない人であったが、それに並び、あるいは勝るサッカーバカが、この本田裕一郎先生である。

 ただしかし。この本田先生、これだけだと単なる熱血サッカーバカ先生なのであるが、自分のやっていることに疑問を持ち、間違えたと思うとすぐ方法を改めるのである。だから次に異動した習志野高校では、もう何も厳しいことを言わない。時代によって強くなる方法は違うのであろうし、とても人間臭い、いい人なのだ。

 それにしても、浦和レッズは山田直輝や原口元気などユースからどんどん良い選手が入ってきているが、日本のサッカーを支えているのはこういった高校サッカー部の先生であったり、私の娘のサッカーチームで毎週ボランティアで教えているコーチたちなのであろう。

 とにかくサッカーバカにはおすすめの1冊。

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 五反田のB書店さんを訪問し、担当Tさんに『SF本の雑誌』の売行きを確認すると、すぐさまバーコードを読み取り、冊数を教えてくれた。その瞬間、閃くものがあり、後に訪問した蒲田のY書店Kさんにも同様のお願いをしたところ、こちらでは私の注文書に書いてあるISBNコードを打ち込んで確認してくれたのであるが、そのときそのパソコンにはマウスとともにバーコード読み取り機が付いていたのである。そこで私は確信を得たのである。

「もしかして注文書にバーコードをつけた方が便利ですか?」

 確認する意味でKさんに話を伺う。

「あっ、そうかも。ISBNが13桁になって以来、読み取り機がバーコードだけに反応するようになったからね。だから注文書にもスリップに入っているようなバーコードがあると便利だね」

 やっぱりそうなのだ。昨年末、私は中井の伊野尾書店さんでアルバイトさせていただいたのであるが、そのとき「これを注文してみてください」と渡されたのが、バーコード入りのスリップだった。それをピッピするだけで、発注画面に書名があがり、あとは冊数を打ち込むだけで、注文が取次ぎ店に飛ぶのである。

 なんて便利なんだろうと思ったのであるが、それは逆にもしスリップにバーコードがついていない商品があった場合、恐ろしく不便に感じることでもあった。ピッピに慣れると13桁の数字を打つだけでも面倒くさい。それが人間のサガだ。

 もちろん他の出版社ではとっくのとうにやっていることだと思うけれど、ひとり営業の私にとって本日は大変有意義な一日であった。必要は発明の母。

7月8日(水)

 出版業界はなぜ部数で公表するんだろうか。1000円の本が100万部売れるのと2000円の本が100万部売れるのでは、売上としては倍ほど違うのに、広告を見てもリリースを見ても「○○万部突破」の文字ばかり。まあ読者にとっては金額なんて関係ないからそうなるのかもしれないが、お金大好きな営業マンとしては金額で発表して欲しい。

 というわけで1、2巻合わせて200万部を突破した『1Q84』村上春樹(新潮社)を計算してみると37億8千万円であった! って一般企業に勤めている人は、えっあれだけ騒いでそれだけなの? と思ったであろう。東京の一等地のマンションが、数億円で売られるのであるからそういう営業マンから見たら、なーんだと思われても仕方ない。

 しかし2008年の書籍の売上が8878億円と言われる出版業界において、37億8千万円は約0.4%である。年間8万点の新刊プラス数十万点の既刊本のなかでたった1冊の本(2冊本だが)が、この数字を達成するのはやはり大変なことである。近々新潮社の周辺でうろつき、見知った営業マンや編集者に昼飯を奢ってもらおう。

 ちなみに著者印税10%で計算すると、約3億7千万円である。こちらには私も「少な!」と衝撃を受けた。世界の村上春樹が(もちろん翻訳されればそちらからも入るんだけど)、7年ぶりに出版した長編なのに、3億7千万円か......。プロ野球でいうと巨人の小笠原道大と同程度で、先日レアルに移籍したC・ロナウドは約17億円だ。やっぱり作家って儲からないんだなあ。

 さて、私は毎日の営業を終えると注文書を事務の浜田に渡すのであるが、その際、一日にいただいた注文を金額に換算するようにしている。もちろん返品がある業界であるから、それがそのまま純売上になるわけではないのだが、自分が一日どれだけの金額を売り上げたのかわかるので、大切なことだと思っている。

 またそれぞれの本に関しても最終的に印刷費やその他の資料が私のところに集まってくるので、あの本でいくら儲けた、あの本でいくら損したというのを常に頭に入れている。もちろんだからといって、それだけが本の価値を決める判断基準ではないのであるが、私は、携帯電話の機能ではメール以上に電卓を使用している回数がずーっと多い。

 夕方、自分のその日の売上を計算すると、いつも心臓の動きが激しくなる。
 なぜなら給料分働いていないのがハッキリするからだ。

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 川崎のM書店Sさんを訪問。直納分『SF本の雑誌』を渡すと、「じゃあ一緒に展開しにいきましょう」と新刊台のゴールデンラインに4面で面陳してくれたではないか。思わずいいんですか? と聞いてしまったが、なんとSさん、私がお店を後にした数時間後には、わざわざ販促パネルを作ってくれて、それを写メして送ってきてくれたではないか。

 しかも私のすべてをかけて制作している8月の新刊『スットコランド日記』に関しても、売場の担当者Kさんに「これは杉江さんが命をかけて作っている本だから、このスペースとこのスペースをもらって展開していいかな?」と私の変わりに頭を下げて、どーんとした部数を注文してくれた。

 Sさんのすごいところは、その部数を売り切るための努力をしてくれることで、本が来るのをただ黙って待つなんてことは絶対しない。『スットコランド日記』に関していうと、私が手にしていたカバー見本と、書店向けDMで配布した「ちょいゲラ」をコピーし、さっそく店頭で猛アピールし始めているのである。その展開風景も写メしてきてくれた。

 こういうことに感謝の意を伝えても、Sさんはいつも不思議そうな顔をする。そして決まってこういうのだ。

「なんで? 俺たち本屋は面白い本をいっぱい売るのが仕事じゃん。売るためなら何でもするのが当然でしょう?」

7月7日(火)

 あー、つい数日前『学問』山田詠美(新潮社)と『猫を抱いて象と泳ぐ』小川洋子(文藝春秋)が今年ナンバー1小説なんて断言してしまったのだが、それらと肩を並べるほどすごい小説を発見し、本日も出社前にエクセルシオール・カフェの人となってしまった。

 その小説とは『デンデラ』佐藤友哉(新潮社)で、佐藤友哉といえばメフィスト賞でデビューし、2007年には三島賞を受賞しているから、北上次郎=目黒考二から小説の面白さを教わった私には関係ない作家だと考えていたのが大間違いだった。これは『コインロッカー・ベイビーズ』村上龍や『告白』町田康や『ミノタウロス』佐藤亜紀のようにジャンルなんて関係なく、人の心を鷲掴みにする「小説」であった。

 70歳になると『村』から『お山』に姥捨てされる世の中で、その『お山』から救出された老婆50人がこっそり『デンデラ』という集落を形成していた。そこで幸せに老後を暮らしているのかと思いきやある者は村への復讐に思いを馳せ、ある者は死ねなかったことを恨む。そんな『デンデラ』へ飢えにより冬眠することに失敗した巨大羆が襲ってくるのだが、その怖さは吉村昭の傑作『羆嵐』なみだ。ああ、こんな小説を手にして会社に行っていられるか......。


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「品切れになりそうになったら、在庫を机の下に隠すんだよ」

 とずーっと昔に教えてくれたのは、同業営業マンだったか、書店員さんだったか。ようは在庫がなくなりそうになったら、自分の担当している書店さん用に在庫を隠し持ち、いつもお世話になっているお礼じゃないが、迷惑がかからないようにするのが営業マンの腕の見せ所なのである。

 まあそうはいっても在庫数がデータ化され、なかなかそうもいかなくなっているようだが、そんなことはチビ出版社の本の雑誌社には関係ない。実は月曜日の朝の時点でこれは品切れになると予想し、私は200冊の『SF本の雑誌』を隠していたのであった。

 書店さんからの電話注文は面白い。通常の注文であれば、電話に出た人間にそのまま注文するのであるが、急ぎや在庫の心配があるときは担当の営業を呼び出す。というわけで本日は朝から私宛に電話があり、浜田にバレないよう小さな声で「大丈夫です。持って行きます」なんてやっていたのであった。

 そうこうしているうちに昼になり、幻の国・ソマリランドから帰国した、高野さんと打ち合わせ。笹塚駅前のドトールで3時間に渡って旅の話を伺えるのは、役得以外の何ものではない。幸せだ。

 そうして外へ出ると、会社から携帯にメールが届く。

「浜田です。秋葉原のS書店さんから『SF本の雑誌』の2回目の追加注文が届いたんですが、杉江さんの机の下にある奴から抜いて直納しました」

 バレバレではないか......というか、夕方会社に戻ったらその机の下も空っぽであった。
 よく考えてみたら、本の雑誌社で営業は私しかいなかったのである。

7月6日(月)

  • SF本の雑誌 (別冊本の雑誌 15)
  • 『SF本の雑誌 (別冊本の雑誌 15)』
    本の雑誌編集部,本の雑誌編集部
    本の雑誌社
    1,650円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
 朝、出社するとすぐに電話が鳴る。本屋大賞でもお世話になっているM書店Tさんからだった。
「杉江さん! 『SF本の雑誌』ある?」
 ある?って、もちろん先週水曜日にできたばかりだから、あるに決まっている。
「じゃあ○部。」
「ありがとうございます」
「実は今お店の在庫0なのよ。週末で全部売れちゃって」
 売れちゃって?! 水曜日搬入でそれなりの数を納品しているではないか。どういうことだろうか。丸の内上空にUFOでもやってきて、怪しい光線で吸い取られてしまったのだろうか。
「じゃあ、直納しますよ」
「ありがとう!!」

 電話を切ると今度は横浜のY書店Iさんから電話が入る。内容はTさんとまったく同じであった。ああ、俺は仕事をしている夢を見ているのだ。夢でも売れているのは楽しいな。

 それから何件も電話注文を受けていると、編集のタッキーが出社してきた。こいつは本物のSF者だから、週末に栃木県で行われた第48回日本SF大会・とちぎSFファン合宿に参加してきたのである。いやどうせ参加するならできたばかりの『SF本の雑誌』を売って来い!と150冊持たせたのであるが、やけに身軽に出社してきたではないか。

「どうした?」
「全部売れちゃいました」
「は?!」
「SF者書店員の安田ママさんが手伝ってくださって150冊完売です」

 そういってタッキーは手持ち金庫から売上たお金を取り出した。夢なら覚めないでくれ、とばかりに私は布団のなかにもぐった。

 夢のなかの時間は刻々と過ぎ、私はその間にあわてて注文書を作り、書店さん数百件にFAXを送ったり、助っ人を直納に行かせ、営業に飛び出した。そして夜、会社に戻ったら事務の浜田から呼び出され、数字に弱い私でもわかるメモ紙を見せられ、今日一日で『SF本の雑誌』の在庫がなくなってしまったことを教えられる。どうも狐と狸が悪さをしているようだ。

 私はあわてて印刷会社に連絡をいれ、重版の手配をした。
 夢か現実か、もはや私には判断がつかない。

6月30日(火)

 私は、18歳のとき、もうこんなだらけた生活はやめようと、働きだした。その最初の職場は、東京駅前にある八重洲ブックセンター本店であった。週5日、10時から18時のアルバイトで、真新しいタイムカードを押すと、理工書のフロアーである3階に連れていかれた。そこが私の配属先で、担当は医学書だった。もちろん上司や先輩がいて、知識のない私には簡単な仕事しかできなかった。でも仕事は楽しかった。毎日パチンコや麻雀をしているより、ずっと楽しかった。

 しかし厳しくもあった。
 1冊の本を売るために、誰もが本気だった。平台に数分穴が空いていただけで、フロア長の呼び出され、「あの瞬間に本が売れたかもしれないだろう!」と怒鳴られた。月曜日の朝には新聞の書評に載った本をテストされ、閉店後には問い合わせリレーが行われた。そして各フロアのバックヤードで多くの涙が流れていた。仕事ができない自分が悔しくて、みんな泣いていた。でも鉄扉を開けて売場に出るときは、みんなその気持ちを胸の奥にしまい、笑顔になっていた。

 当時、1階のフロア長を勤めていたMさんと出会ったのは、そうやって働いた後、先輩と向かった居酒屋だった。それまでフロアが違うので話をすることもなかったし、何よりMさんはいつもバックヤードで叫んでいた。あれはどうした? これはどうした? だから私は怖かった。怖いから近づかないようにしていた。その日の飲み屋でもMさんは同僚の人たちと本のことや売場のことで激論を交わしていた。「バカヤロー」、お互い怒鳴り合っている姿を見て、私は本を一生の仕事にしようと決めた。

 そのMさんが店長になられたので、いろんな出版社が集まりお祝い会をすることになった。私は幹事でもなんでもなかったのだが、とにかく下働きをしようとお店に向かったのであるが、お店に着くなり、Mさんがこう叫んだ。

「オスギ! お前は八重洲の人間なんだからこっちに座れ」

 そんなことを言われたら、涙が止まらないではないか。

6月29日(月)

 表紙を見た瞬間に傑作だと思い給料日前だというのに即購入した山田詠美の新作『学問』(新潮社)は、その期待を越える超傑作で、これは仕事どころではない、いや通勤している場合ではないと会社に向かうのをやめ、駅前エクセルシオール・カフェに飛び込み、最後まで読み続けてしまった。

 7歳のときに父親の転勤で静岡県美流間市に移り住んだ仁美とその同級生であり、それぞれ人間の欲望の代表として描かれる心太、無量、千穂4人の人生を描いたものなのだが、性の目覚めから愛との関係性、そしてそのずっと先にあるはずの死の匂いなど、まさにこれは山田詠美にしか書けない小説で、かつて伊坂幸太郎の『重力ピエロ』の帯に「小説まだまだいけるじゃん」というとんでもないコピーがあったが、通勤をサボって読み終えた私の頭のなかにあったのは「小説やっぱりすごいじゃん」であった。

 読み終えてしばしその世界に浸りつつ、ふとカバーに目をやるとそこに当然のごとくタイトル『学問』とある。この内容にこのタイトルをつけた山田詠美の凄さに改めてひれ伏す。『猫を抱いて象と泳ぐ』小川洋子(文藝春秋)とともに今年ナンバー1の小説間違いなし! いやこれから先、永遠と読み継がれる名作だろう。

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 人生というのはわからないものだ。
 あるとき池袋のS書店Yさんを訪問すると「杉江さんレッズサポじゃないですか」と分かりきったことを聞かれたので、その場で指を噛みちぎり真っ赤に流れる浦和レッズ型+の血を見せたのであるが、「でも知らないと思うんだけど」とある名前を口にした。

 その名前は「岩瀬健」で、私はその名前を聞いた瞬間、なくなったことを忘れた指を顔の前で振り、「知らないも何も駒場や国立で何度岩瀬健の名前を叫んだと思っているんですか! あの頃は変動番号制とはいえ、浦和の10番の選手ですよ」と興奮して叫んだのであったが、後に続いたYさんの言葉を聞いて今度を思い切り沈黙したのであった。

「そうなんだ。私、岩瀬さんと友達だから今度呼ぶから飲もうよ。」

 う、浦和レッズの選手(元)と酒を飲む?

 ありえない。絶対にありえない。そんなことが私の身に起こるなんてありえない。いやありえたとしてもとても口を聞けない。

 いやこれはきっと嘘だ。何せ引退してすぐの浦和レッズの大将こと福田正博とバッタリ埼玉スタジアムのフットサルコートで出会っただけで、私は福田のことをブラザーと呼ぶほどだ。それどころか娘の幼稚園にやってきた浦和レッズハートフルサッカーでは、娘よりも先に登園し、「手伝いますよ」と先生を装い、土橋正樹と渡辺隆正と一緒にゴールを運んだだけで、私は彼らふたりをマブダチと呼んでいるのだ。

 だからきっとYさんもたまたま岩瀬健がお店に来て、本を買っていくときにレジに立っていたから「友達」と呼んでいるのだろう。ありえない、ありえない。

 ありえないはずだったのに、この夜、はらだみずきさんの『サッカーボーイズ13歳』の文庫化を祝う会に参加するとそこに岩瀬健がいて、実はもう岩瀬健と会うのは3回目で、気付いたら浦和レッズのことなんかよりも、もっと深いサッカーの話や、岩瀬健は本が大好きで村上春樹や伊坂幸太郎などの話で盛り上がり、そしてその目に宿るプロという生き様に私はひれ伏していたのであった。

 人生、何が起こるかわからない。
 そのことを明日朝起きたら、娘と息子に伝えようと思う。

(敬称を略させていただきました)

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