その1「大好きだったシリーズ」 (1/6)
――このインタビューでは、いつもいちばん古い読書の記憶からおうかがいしているんです。
野中:いちばん最初に読んだ本のタイトルは憶えていませんが、小学校に入学する前から本は読んでいました。たしか全10巻くらいの童話全集が家にあって。アンデルセンやグリムの作品、アラビアンナイトなどが入っていたのかな? 母は気前よく本を買ってくれたけれど、読み聞かせはしてくれないひとで、「ねえ、お母さん、読んで」ってお願いしても、「自分で読みなさい。読めるでしょう?」って突き放されちゃうので、淋しいなあ、と思いながら、ひとりで繰り返し読んでいました。特にアンデルセンが好きでしたね。『みにくいあひるの子』とか『人魚姫』とか。
――たとえばグリムとアンデルセンでは、何が違ったんでしょうね。
野中:アンデルセンって、人生の悲哀みたいなものを、透明感を持たせながら書いているでしょう? 悲しいけれど、とても美しい。よく磨かれたガラスや氷、雪のように清らかで、ちょっとひんやりした印象があったんですよね。お姫様が王子様に出会って幸せになりましたという紋切り型のおとぎ話よりも、もっと人生そのものという感じがしました。
――ああ、「人魚姫」もヒロインが王子と結ばれました、という話ではないですよね。「マッチ売りの少女」もアンデルセンですね。
野中:そう。『雪の女王』も! アンデルセンの作品の、深みがあって、清廉で、ごまかしのないところが好きでした。そして、小学生になってからは、岩波少年文庫の『メアリー・ポピンズ』のシリーズに夢中になりました。もちろん、メアリー・ポピンズが使う魔法にわくわくしたんですが、なにより彼女の性格描写にびっくりしていました。乳母なんだけど、子どもたちのご機嫌を取るようなところはまったくなくて、めちゃくちゃ厳しいんですよね。大人に対しても、子どもに対しても、厳しくて高慢ちきで辛辣で、悪口芸に秀でていて、ほとんど理不尽なくらいに、いつも不機嫌。だから、「いったい、なんだろう、このひと?」って怯えながら、こわいもの見たさの気持ちから、ページをめくっていました。でも、その甘口じゃないところが、好きだったんでしょうね。ぴりっと香辛料のきいた歯応えのあるビスケットをさくさく食べているみたいな楽しさがありました。作品に登場する子どもたちも、メアリー・ポピンズのことを「すごく怖い」と思っていて、遠慮しながら接しているんだけれど、それでもなお、好きで好きでたまらないっていう、その気持ちにも共感していました。それから、小学生時代の思い出の作品としては、なんといっても、さとうさとる先生の『だれも知らない小さな国』ですね。コロボックル・シリーズ、懐かしい、忘れがたい! いまだにアマガエルを見かけると、コロボックルが着ぐるみを着て、カエルになりすましているように思えてしまう(笑)。ほかには『大草原の小さな家』シリーズや『赤毛のアン』シリーズも愛読していました。
――冊数のある長いシリーズがお好きだったんですね。
野中:シリーズものは、やはり読み応えがありますよね。読んでも読んでも、まだ続く、人生そのもののようにっていう感じがよかったのかなあ? お誕生日やクリスマスのプレゼントといえば本ばかりで、図書館でもよく借りていたので、わりと読書家の子どもだったと思うのですが、とりわけ印象に残っているのは、『メアリー・ポピンズ』『だれも知らない小さな国』『大草原の小さな家』『赤毛のアン』など、ほんと、シリーズものばかりですね。
――『大草原の小さな家』はテレビドラマでも放送されていましたよね。
野中:そうそう。テレビのシリーズも大好きでした。子ども心にも、あれは理想の家族だった! 開拓者精神に富んだ、頼り甲斐があって、かっこいいお父さん。料理や裁縫が上手で、美人で優しいお母さん。そして、親友みたいな、仲良し姉妹。それでいて、幸せな情景ばかりが描かれているわけではなく、お姉さんが失明したり、男の子を養子に迎えたりしてドラマチックでしたよね。
わたし、少女の成長譚が好きなんですよ。『大草原の小さな家』も『赤毛のアン』も、家族や友達、学校の先生や近所のひとたちとの関係や、主人公の少女たちの気持ち、女の子同士の友情や、男の子に対するほのかな恋心がすごく生き生きと描かれていて、遠くで暮らしている仲良しの友達から届く手紙を読んでいるみたいな読書体験だった気がします。そうやって、彼女たちと共に、わたしも日々、成長していくような。でも、本の中のほうが、わたしの実生活より時の流れがはやいので、はじめのうちは登場人物たちと等身大の気持ちで読んでいたのが、彼女たちのほうが先に歳を重ねて、いつのまにか、わたしよりお姉さんになってしまうんですよね。「あー、大人になっていくって、こういう感じなのかな?」なんて思いながら読んでいました。それから、彼女たちの生活のありようを知るのが、ほんとうに楽しくて。食べ物やお洋服の描写が細やかなのが、よかったですよね。ホームメイドのバターやパン、パイ、クッキー。素朴なんだけれど、衿や袖に可愛らしい工夫のしてある木綿のお洋服。彼女たちのライフスタイルに憧れて、うちでパンやパイを焼いてもらったり、「ローラみたいなお洋服が欲しい」と母にねだったりしていました。母はお菓子作りや洋裁が得意だったから、かなり、わたしの期待に応えてくれてました。少女趣味なところのあるひとなので、一緒に楽しんでいたんじゃないかな? でも、その一方で、小学2年生か3年生のときに、モーパッサンを読まされました。母が小説を読むように、わたしを導きはじめたんです。
――え、小学生に「脂肪の塊」ですか?
野中:ううん(笑)、『女の一生』。お誕生日のプレゼントに、「はい、これ読みなさい」って。まだほんの子どもだったから、ぽかんとしちゃって、「なんですか、これ? え? 『女の一生』ってタイトルなの? タイトルに見えないけど」と思いました。いったい、どういうつもりで、年端のいかない子どもに『女の一生』を勧めたんだろう? 今振り返っても、よくわからない。無防備な子どもの心に、拭いようもなく不幸の影が擦りこまれちゃったら、どうするの? どうしてくれるのよ? って思うんだけど、でも、当時は、母の気持ちに応えようとして、一生懸命、読みましたよ。
――訳文も古くて難しかったのではないですか。
野中:『ジェーン・エア』は小学生向けにリライトされたものを勧められて読んだのですが、モーパッサンは、そもそもリライトなんてなさそうですよね。活字もちっちゃくて、読めない漢字もたくさんあって、さんざん、あちこちすっ飛ばしながら、苦労して読み進めた記憶があります。最後のページを読み終えて、本を閉じたときの「はあ。なんだかなあ......」という薄暗い疲労感が、いまだに残っているような気がします(笑) 母は映画も好きで、特にオードリー・ヘップバーンの大ファンで、テレビの深夜劇場でオードリーが出演している映画が放映されるときには、「ぜったいに観なきゃね!」と妙にはりきって、わたしは8時くらいに寝かされて、夜中に起こされるんです。「ほら、はじまるよ。観なくちゃ!」と。でも、母はさっさと寝室に引きあげて、寝ちゃうんですよ。わたしだけテレビの前に残されて、眠くてたまらないのに、ひとりぼっちで『尼僧物語』とか『ローマの休日』なんかを観ていました。
――お母さんの影響で、名作をきちんと押さえることができたとも言えますね。
野中:でも、一緒に観てくれないの、なぜ?(笑) そういえば、こんなこともあったなあ......母はヴィヴィアン・リーも大好きで、『風と共に去りぬ』がいかに素晴らしい映画か、ヴィヴィアンがいかに美しいかを日々語っていたんですよ。で、いよいよ深夜劇場で放映されることになったので、例によって「ぜったいに観なくちゃ!」と母娘ともども、すごく楽しみにして、わたしは8時に寝かされたのに、はっと目覚めたときには、窓の外が明るくなりかかっていたの。母が枕元にしょんぼり立っていて、「ごめんなさい、寝過ごしたわ」って。わたしが悔しがって大泣きに泣いたせいもあって、母がお詫びに小説を買ってくれました。それがたしか全3巻の、それなりに厚みのある、上下段の組みになっている本だったんです。モーパッサンは、正直なところ、いまひとつ楽しめなかったけれど、『風と共に去りぬ』は夢中になって読みました。小説を読む喜びに目覚めた最初の作品になったと思います。小学校4、5年生の頃です。
――すごい。やっぱり、本はとりわけ好きな子どもでしたか。
野中:好きでしたね。本ばかり読んでいたかもしれません。まあ、ほかに楽しめることがなかったともいえる。運動が得意じゃなかったし、なにかにつけて不器用で。ジャングルジムなんて本当に怖くておそるおそる登っていたし、おままごとをしても、なんだか泥くさい感じになって、ほかの女の子みたいにきれいにできないし、塗り絵をしても、つい力いっぱい色を塗って枠からはみだしちゃうから、出来上がったものを見て、これはひどいな、と自分でもがっかりしていたので、本を読むのがいちばん安全で安心でした。だれかと自分を比較しなくて済む、一人遊びが好きでしたね。
――じゃあ、どちらかといえば人見知りをするタイプだったのですか。
野中:人見知りだったと思います。授業中、答えがわかっていても手を挙げて発言することもできなかった。通信簿には必ず「内向的な性格です。もっと活発に積極的に、クラスに参加しましょう」と書かれてありました。小学校の4年生か5年生のときに、これじゃいけない、と一念発起して、内気でシャイな性格を克服しようと、学校の教室の窓から、見ず知らずの通行人に向かってにこにこ笑いながら手を振るとか、学校の帰り道、ランドセルを道端に置き去りにして、「どうなるかみてみよう」という実験をやったりしましたね。そのままスタスタ歩いていくと、誰かしら追いかけてきて「これ、あなたのでしょう」と言ってくれるので、「どうもありがとう」とちゃんと挨拶できるかどうかを自分に課していました。当時、自意識過剰という言葉は知らなかったけれど、自分が自意識過剰だから生きづらいんだということはなんとなくわかっていたので、大人になって性格がかたまらないうちに、なるべく早めに性格や行動を外向的に変えていかなくちゃ、と。とにかく強く生きようと思って試行錯誤していました。
――将来なにになりたかったのでしょう。
野中:小学校の卒業文集には「童話作家になりたい」と書きました。すでに小説を読みはじめていたのに、それでもなお、卒業文集には「童話作家になりたい」と。さとうさとる先生のコロボックル・シリーズがとても好きだということも書きました。でも、そのことは、ずーっと忘れていたんですよ。わたし、「パンダのポンポン」という童話のシリーズを書いているんですが、その1巻目を上梓したときに「そういえば、小学校の卒業文集に"童話作家になりたい"って書いたっけ」と思い出して。夢って忘れた頃に叶うんだなあって。いまだに、どうして「童話作家になりたい」と書いたのかな? と、ときどき考えます。子ども時代の直感って、時空を超えて千里眼みたいな正確さがあるのかもしれないから、あのときの直感、予感をたいせつにしなくちゃ、と思っています。
――小学生の頃、物語を空想したりしていたんですか。
野中:空想癖のある子どもだったと思います。現実の生活のほかに、パラレルに存在する、もうひとつの世界でも生きていて、そこでは、わたしは三人姉妹の末っ子だったの。ごはんを食べるときも、眠るときも、お稽古事に通う道すがらも、いつも、わたしは二人の姉のことを思い描いて、声には出さずに会話を交わしたりしていました。彼女たちのことが、ほんとに大好きだった。ちょっと『若草物語』っぽい姉妹関係だったかな? で、その世界では、母は乳母だったの。「あ。乳母がイチゴにヨーグルトとハチミツをかけてくれた、ありがとう」みたいな感じ(笑)。