作家の読書道 第174回:彩瀬まるさん

2010年に「女による女のためのR‐18文学賞」読者賞を受賞、2013年に長篇小説『あのひとは蜘蛛を潰せない』で単行本デビューを果たした彩瀬まるさん。確かな筆致や心の機微をすくいとる作品世界が高く評価される一方、被災体験をつづった貴重なノンフィクション『暗い夜、星を数えて 3・11被災鉄道からの脱出』も話題に。海外で幼少期を過ごし、中2から壮大なファンタジーを書いていたという彼女の読書遍歴は?

その1「同じお話で何度も号泣」 (1/7)

――小さい頃の読書の思い出といいますと。

彩瀬:たくさんの本の印象が残っているわけではないんですけれども、ひとつだけ、何回読んでも号泣した本があるんです。4、5歳の、たぶんクリスマスの時に、竹下文子さんという方の『わたしおてつだいねこ』という本をもらったんです。シリーズ化されていて、絵本というよりも小学校低学年の子が読む児童書ですね。すごく忙しい主婦のお母さんのところに、ある日突然かわいい猫が来て「なんでもします」と言ってお手伝いさんになるんですが、猫だから何もできないんですよ。お洗濯ものはすぐに落としちゃうし、アイロンはかけられないし...。失敗の内容や台詞はうろ憶えですけれど、おばさんが猫に「これじゃお手伝いさんじゃないわ、申しわけないけれど、お暇をお願いします」って言う。猫はすごくしょんぼりして「本当にごめんなさい。私、猫だけどお手伝いがしたかったの」、「お母さんが『忙しくて猫の手も借りたいわ』って言うから、『私でもお手伝いできるかもしれない』と思ったけれど、なにもできなくてごめんなさい」と言って出ていってしまうんです。そのお母さんは、昼間はだんなさんは仕事に行っているし子どももいないけど、猫とご飯を一緒に食べていた時はとても幸せだったと気づいて、出て行った猫を追いかけて「なにもできなくていいの」と言っておうちに招き入れる、という話です。なんかわからないけれど、それを読んで毎回号泣していました。
「なにもできない」と言って泣く猫がかわいそうだったんですよね。はじめはすごくショックで読み返したくなかったんですけれど、でも結果的にお父さんとかにねだって何度も読んでもらって、そのたびに泣いていました。なんであんなに泣いたんだろう。なにもできないってことは辛いことなんだって分かってつらくて、でもその次に「なにもできなくてもいいの」というおばさんの言葉があって嬉しかったのかな。

――生産的なことができないと価値が認められない辛さって成長するにしたがって身をもって感じますけれど、そんな幼い頃にそれを実感したんですね。

彩瀬:なんで子どもの段階でそこまで泣いたのかは分からないですけれど、小学校低学年向けの本だから、やっぱり子どもの琴線に響くようにできた話だったんだろうと思います。小さい頃読んだ本というとまずこれが思い浮かびます。

――彩瀬さんは帰国子女だそうですね。

彩瀬:そうです。5歳の時からアフリカのスーダンに2年間住んで、7歳から9歳をアメリカのサンフランシスコで過ごしました。小学校4年生の時に帰ってきて、千葉大学付属の帰国学級に編入しました。

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――へええ。スーダンではどんなところに住んでいたのですか。

彩瀬:首都のハルツームにいました。イギリス占領時代に建てられたどっしりした家で、1階がアラブの富豪で、2階に日本人の単身赴任の人が住んでいて、私たち家族は3階に住んでいました。たしかバスルームとトイレがふたつあって、使用人のお姉さんの部屋もあって、床が全部タイル張りで。リビングの壁面には、父が日本人大使館にたまっていた日本の漫画や小説のなかで処分されるものをまとめてもらってきたとかで、何百冊という本がだーっと並んでいました。『ゴルゴ13』全巻とか、赤塚不二夫の漫画とか。私は小さかったので漫画しか手に取っていませんが、小説もあったんだと思います。なので、私にとって一番古くに読んだ漫画は『ゴルゴ13』です。全然分からずに読んでいました。また、ベランダがすごく大きくて、そこでウサギを飼っていました。スーダンの日本人コミュニティに日本舞踊の先生がいたんです。だんなさんが商社かどこかの方だったんだと思うんですけれど、そのご夫妻が食肉市場でウサギを買って「ペットにどうぞ」ってプレゼントしてくれたんです。

――食肉市場で......。

彩瀬:そうなんですよ。大家さんの子どもが私よりも少し年上で一緒に遊んでくれていたんですが、家に遊びに来て「ウサギは食べるために飼ってるの?」って言うからびっくりして「違うよ!」って言ったりして(笑)。ある日、放し飼いにしていたら空から鷲系の猛禽類が狙って滑空してきて、ウサギは無事に逃げられたんですけど、勢いを殺しきれなかった鳥の方はベランダのタイルに激突して死んでいました。それを使用人のハウスボーイの男性が平然と持ち帰ったり、すごく刺激的で面白い生活でした。

――学校は?

彩瀬:アメリカ大使館が運営している、現地に駐留している外国人の子どもが通うアメリカンスクールに通っていました。日本人は私もいれて4、5人いたのかな。やっぱり商社とか政府関係や公務員の人の子どもが多かった。

――サンフランシスコは現地校と補習校ですか?

彩瀬:そうですね。平日は現地校に行って、土曜日に補習校の日本人学校に行っていました。私が行っていた現地校は、たまたま現地のアメリカ人の普通の子しかいなくて、日本人は私一人でした。一応英語も話せましたが、家族が日本語なのでメインは日本語でした。

――読む本は英語でしたか、日本語でしたか。

彩瀬:英語の本も学校では読んでいたんですけれど、そんなに頑張って読んでいなかった気がします。絵本ならなんとなく内容が分かるんですよね。青虫が何か食べていて、いっぱい食べてお腹が痛くなっている、ということが分かる。でも、やっぱり小さかったから漫画が主でしたし、本格的に本を読みだしたのは帰国してからです。
小学校4年生の頃に帰国して帰国学級に編入したんですが、4年生は帰国子女が私だけで、先生と1対1で授業を受けていました。体育や美術の授業だけは普通学級に入れてもらったんですけれど、普段は教室が離れているから必然的に一人で活動していることが多くて。普通学級の子に「日本語の発音がおかしい」と言われて「そうか、私はすんなり日本のコミュニティに馴染めるわけでもないんだな」とも感じました。それで休み時間に一人でやたらと本を読んでいました。学校の図書室に通って、1日1冊とか2冊とかは必ず借りて帰って読んで、翌日返していました。それが小学校の4年から6年の間ですね。

――どんな本が好きだったんですか。

彩瀬:モーリス・ルブランのアルセーヌ・ルパンと、コナン・ドイルのホームズシリーズを全部読みました。結構ライトノベルを置いてくれている図書室だったので、水野良さんの『ロードス島戦記』を一生懸命読んでいました。自分でも買ってもらって、全巻持っていましたね。『ロードス島伝説』も。子どもだったからか、現実的な話よりも、驚かせてくれるような世界が好きだった気がします。
それと、講談社X文庫ホワイトハートの流星香さんという方のシリーズものも買い集めて読んでいました。完全なファンタジー系で、面白かったんです。当時は書店もそういう10代の子ども向けの、同じ作家さんの本がだーっと並んでいるイメージでした。

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プロフィール

彩瀬まる(あやせ・まる)
1986年生まれ。2010年「花に眩む」で第9回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞しデビュー。著書に『あのひとは蜘蛛を潰せない』(新潮社)『骨を彩る』(幻冬舎)『神様のケーキを頬ばるまで』(光文社)『桜の下で待っている』(実業之日本社)がある。自身が一人旅の途中で被災した東日本大震災時の混乱を描いたノンフィクション『暗い夜、星を数えて 3・11被災鉄道からの脱出』(新潮社)を2012年に刊行。