作家の読書道 第157回:平野啓一郎さん

ロマンティック三部作と呼ばれている初期三作品を発表した第一期、短篇集を発表した第二期、「分人主義」を打ち出した第三期、そして短篇集『透明な迷宮』から始まる第四期。変化し続ける作家、平野啓一郎さんは、読書の傾向にも変遷が。ご自身の著作にも影響を与えた作品についてなど、今改めてその読書遍歴をおうかがいしました。

その1「読書嫌いが三島に出合うまで」 (1/6)

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

平野:最初は絵本になりますよね。キプリングの小説を絵本にした『ジャングルブック』や『アーサー王伝説』、あとは日本の絵本ももちろんいろいろ読みました。小学校の時は、これは僕に限らないと思うんですけれど、学校で伝記をたくさん読まされました。エジソンとかライト兄弟とか、アメリカ人の伝記が多かったんですが、今思うとそれは戦後の影響じゃないかな、と。当時は面白いなと思って読んでいましたが、別にライト兄弟やエジソンって、伝記で読まなきゃならないほどの人じゃなかったようにも感じます。エジソンは、まあ今のスティーヴ・ジョブズみたいな人だったのかもしれません。ベーブ・ルースもどこの出版社の伝記シリーズのラインナップに入っていましたが、どうして日本の子供がベーブ・ルースの伝記を読まなきゃいけないのか不思議といえば不思議です。そのことについては一度調べてみたいなと思いながら、そのままになっています。他には、図書館に江戸川乱歩の子供向けの少年探偵団のシリーズが一揃いあったので、だいたい読みました。それと、当時は子供向けの図鑑が流行っていたんです。「恐竜大百科」とか「プロレス大百科」とか「野球大百科」とか。そういうのは好きでした。

――本を読むのが好きな子供でしたか。

平野:いや、嫌いでした(笑)。運動場で野球をしたりサッカーをしている方が好きでしたね。燦々と太陽が輝いている時になんで家の中で本を読まなきゃいけないんだろう、というのは今でもありますね、仕事をしている時に。だから特に読書少年というわけではなかったです。

――作文は得意でしたか。

平野:あ、それは得意でした。いろいろ賞をもらっていましたね。

――大人が喜びそうな作文を書くコツを知っていたりとか?

平野:いえ、大体フィクションだったんです。嘘なんです(笑)。普通に書いているうちにそれだけじゃ面白くなくなって、途中から虚構をいれるんです。そんなに本当のことだけを書くものとは思わなかったんですよね。みんなも色をつけて嘘を書いていると思っていたんで、本当のことを書いていると知った時にはびっくりしました。僕は人権週間の時の作文に、虐められた体験を書いたんです。でも僕、虐められたことがないんですよ。虐められた子の気持ちになって、一人称体で虐められた体験を書いたら、それが真に迫っていたようで賞をもらって、学校の廊下に貼りだされちゃったんです。朝、学校にいったらみんながわーっと群れをなしているので「なにかな」と思ったら、それを読んでいるんです。それで友達に心配されたり、先生に職員室に呼ばれて「絶対に言わないから、この中で虐めているのは、誰のことなの?」と聞かれて、今更作り話ですと言ったら怒られるな、と困りました。それは別に「こう書いたら賞を獲れるだろうな」とか「褒められるだろうな」というのではなく、ただ「虐められている人間の気持ち」というものを書いたつもりでした。今では作家になったから、自分のそうした過去を肯定的に語りようがありますけれど、そうじゃなかったら、ただの嘘つき少年ですね(笑)。

――今振り返ってみると、どういう少年でしたか。わりと冷静な子供だったのではないかと。

平野:人から変わっているとは思われていましたが、自分では普通のつもりでした。友達も多かったですし、しっかりしているから「学級委員をしなさい」と先生から言われるような感じでした。それは高校までずっと変わらなくて。でも嫌でしたね。中学、高校くらいになると、学級委員って真面目なことを言わなきゃいけないし。先生が授業を忘れて来ないことがあると、サボりたくても職員室に呼びに行かなきゃいけない。でもみんなからは「まだちょっといいだろ」と言われて、その狭間に立つのが嫌でした。それに僕自身がお洒落に興味のある時代でしたから...。

――お洒落?

平野:いや、たいしたことはないんですけれど、髪型に凝ったり、学ランの裏ボタンにチェーンのついたりとか、そんなのですよ(笑)。でも、校則が結構厳しいから、色々校則違反しながら、風紀指導をしたりして。まわりからは僕が真面目な顔で「起立」とか言っているのがなんかおかしいって、面白がられていました。

――ああ、今思い出したんですけれど、平野さんが大学在学中にデビューされた時、「茶髪でピアスの京大生」ということでも騒がれましたよね。さて、読書が好きになったのはいくつの頃ですか。

平野:読書少年と認識されだしたのは中学生くらいです。もういろんなインタビューで言っていますけれど、中学2年生の時に三島由紀夫の『金閣寺』を読んで「これはやっぱすごいな」と思ったんです。それまでも小学校の学級文庫の日本の名作を読んで時々面白いなと思うものはあったんですけれど、のめりこんで本を読む時間を多く作るという風には全然ならなかったんですよね。だけど「三島由紀夫面白いな」と思い始めてからは、趣味は読書になりました。あともうひとつ。僕、中学が私立だったんですよ。それで、すごく遠くて、電車とバスを乗り継いで、通学に1時間半くらいかかったんです。その間に本を読むようになりました。それで、少し本を読み始めた頃に『金閣寺』を読んで感動したんですよ。

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――『金閣寺』が最初の三島だったんですか。

平野:そうです。僕は1975年生まれなんで、小学4、5年生の頃というと1970年の三島が割腹した事件ってほんの15年くらい前の出来事で、学校の先生には生々しく憶えている人も多くて。小学校6年の時の先生が「三島由紀夫という頭のおかしい作家がいて、自衛隊に突入して割腹自殺した」という話をしていたんですよね。そんなに頭のおかしな作家ってどんななんだろうと、俄然興味がわきました。それで、中学生になったくらいの頃に「そういえば」と思いだして読んだんです。

――『金閣寺』は何がそこまでよかったのでしょうか。

平野:最初は文体ですね、やはり。今まで読んできた小説の文体とは全く違っていて、きらびやかだし。主人公が暗くて、それも10代の心に響くものがあったというか。その暗さときらびやかな文体が、蒔絵のコントラストのように魅力的に感じられました。最初は気持ち悪いような感じもしたし、主人公の考えていることにもついていけなかったんですけれど、自分はなにか変なもの、異様なものに触れているという衝撃がありました。それで夢中になって読んで、そこから三島の作品を読んでいくようになりました。
三島は多読な作家だったので、作品を読んでいると、いろんな固有名詞が出てくるんですよね。トーマス・マンがどうしたとか、谷崎潤一郎がどうしたとか。それで好きな作家が好きだった作家なら俺も好きだろう、みたいな感じで、三島を通じて彼が好きだったいろんな作家を読んでいきました。僕は音楽を聴く時も同じで、好きなミュージシャンが影響を受けたアルバムをずっと遡っていく感じなんです。文学も完全にそういう形で読書の幅を広げていきました。だから中学の読書感想文で賞をもらったのはモーパッサンの「首飾り」か何かでした。短い作品なんですけれど、それもたぶん三島がモーパッサンの話を書いていたからだと思います。

――その頃小説を書くことに興味はありましたか。

平野:いいえ。でも書くことにはずっと関心があって、日記はつけていました。その時々に思ったこととか、詩みたいなものは書いていました。

――三島つながりで読んでいくなかで、好きな作家や作品はありましたか。

平野:中学生の時はトーマス・マンの初期の作品が好きでしたね。『トニオ・クレーゲル』なんかはすごく感情移入しながら読みました。美や芸術の世界に憧れる主人公が、もう一方で市民社会ってものに憧れて、どっちで生きていいか分からないという、そういう揺れが良かったんですよね。大体その年頃ってみんな太宰を読みますよね。でも三島由紀夫は太宰が嫌いだったから、その影響もあったのかな、僕も太宰は嫌いだったんです。今読むとすごい才能だと思いますけれど。僕はずっと「芥川のほうが好きだな」と思っていたけれど、最近、太宰の古典を題材にした作品を読んでいると「ああ、才能でいうと太宰のほうが全然上だな」と思います。その頃のものを中学の時に読めば違ったんでしょうけれど、その年頃だとやっぱり『人間失格』とかのほうが読むから、するとなんか、主人公がいやなんですよね(笑)。道化を演じていることを見抜かれて「ワザ、ワザ」と言われるけれど、あれだって本当に隠そうとしていて見抜かれたんじゃなくて、気づいてもらうようなヒントを残した道化のしかたでしょう。そういう自意識が苦手でしたね。まあ実際はそこまで単純ではないけれど、太宰の、世の中は低俗で、自分は感受性豊かでいつも傷ついている、という感じが嫌でした。僕は親族一族が医者や歯医者や公務員が多かったので、そういう人たちを見ていても俗物とは思わなくて、立派に生活していると思ったしそういう生き方にも憧れがありましたから。トーマス・マンはそうした市民社会にも、芸術にも憧れているところが良かったんです。

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プロフィール

1975年愛知県生れ。北九州市で育つ。京都大学法学部卒。大学在学中の1999年、「新潮」に投稿した「日蝕」により芥川賞を受賞。以後、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。著書に『日蝕』、『一月物語』、『葬送』、『滴り落ちる時計たちの波紋』、『決壊』、『ドーン』、『かたちだけの愛』、『私とは何か―「個人」から「分人」へ―』、『空白を満たしなさい』、『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』などがある。