その1「泣ける本から笑える本へ」 (1/5)
――幼い頃の読書の記憶といいますと。
酒井:小学生の頃は第二次大戦やベトナム戦争ものが好きでした。悲しい物語を読んで泣きたかったんでしょう。戦争に行ってしまった息子を待っているお母さんの話とか、『ベトナムのダーちゃん』とか...。そういうものが妙に好きな時期があって、学校の図書館や近所の図書館でよく借りていました。微笑ましい絵本はまったく読んでいませんでした。
――ご兄妹はいますか。その影響は。
酒井:3つ上の兄がいて、漫画はその影響で『少年チャンピオン』や『少年サンデー』を読んでいました。『がきデカ』や『まことちゃん』といった不条理ギャグ漫画にどっぷり浸かって、少女漫画はあまり読まなかったですね。
――学校では感想文などは得意でしたか。
酒井:読書感想文を書かされるのが嫌いで、いまだにそれがトラウマで書評は不得意です。読み散らかすのはいいんですが、その後に義務がついてくるのが嫌だったんです。でも小学生の頃に作文教室に通っていました。そこでも特に得意だという感覚はなかったんですが、分量を書けと言われることは苦痛ではありませんでした。まあマス目を埋めることはできたかな、という。
――今思うと、どういう子供だったのでしょう。
酒井:活発で運動が好きで、学校のクラブ活動でも「運動クラブ」に入っていました。小学校では運動のクラブというと運動クラブというものしかなかったんです。マット運動などをしていました。
――一学年の人数が少なかったのでしょうか。小学校から女子校ですか?
酒井:そうです。小学校の頃は1クラス36人が2クラス、中学になると4クラスになりました。小学生4年生くらいからなんとなく内向化が始まったんです。それまではクラスの中でもわーっとはしゃいでいたんですけれど、人前で喋ったりするのが嫌になりましたね。物心がついたってことなんでしょうか(笑)。エロ本の立ち読みとかをして親に心配をかけていたのもこの時期ですね。文房具屋さんの前にある雑誌のラックにある本とか、空き地に捨てられているエロ本とかを見ているような子供でした。
――それはみんなでキャーキャー言いながら見ていたのか、それともひとりで...。
酒井:あ、ひとりです(即答)。こそこそやっていました。親はすっごく心配だったと思います。見てはいけないものを見たいという好奇心が強かったんですよね。
――本以外で夢中になるものはありましたか。その頃よく見ていたテレビ番組とか。
酒井:ごく当たり前にドリフを見て、その後ひょうきん族を見て、「ザ・ベストテン」を見て...という、まっとうな小学生らしいテレビの道をいきました。
――その後、読んだ本といいますと。
酒井:高学年になってくると筒井康隆さんの不条理SFや、星新一さんの本を読むようになりました。親が当時ベストセラー作家として君臨されている方々の本を持っていたので、瀬戸内晴美さんの本をぱらぱら見たりもしました。好きだったのは井上ひさしさん。『モッキンポット師の後始末』や『青葉繁れる』といた仙台青春ものが好きでした。たぶん、父親が持って帰ってきた本だったと思います。井上ひさしさんは『ブンとフン』も笑いながら読んだ記憶があります。戦争ものを読んで泣くのが好きだったのに、この頃から笑える本が好きに。たぶん、泣き尽くしたんだと思います(笑)。
――中学生になってからの読書は。
酒井:中2くらいの時に、父親が買ってきた宮脇俊三さんのデビュー作『時刻表2万キロ』を読んで、鉄道の世界に目覚めました。自分では全然鉄道に乗ることがなかったし、旅行といえば家族旅行くらいしか行ったことがなかったので、こういう旅の世界があるんだと新鮮な感動を覚えました。そこから鉄道好きというか、鉄道本好きになって、内田百閒の『阿房列車』などを読むように。内向的だったので、外の世界を本で知ることができるという体験には、めくるめく興奮がありました。
――映像や写真よりも、文字で旅することが好きだったのでしょうか。
酒井:あ、でもテレビの「兼高かおる世界の旅」は好きでしたね。旅の雰囲気を感じるものはなんでも好きだったと思います。将来、旅に関する職業に就くのがいいかもしれないと思っていましたが、どんな仕事があるのか知らなかったのか、新幹線の売り子さんとか、あとは「歌うヘッドライト」を聴いてトラック運転手さんに憧れていました。
――学校で流行った本、みんなで読んだ本などはありました。
酒井:コバルト文庫とかでしょうか。富島健夫の青少年のセックスものとか...。やはりそちら方面の本が好きで、友達と回し読みしていました。雑誌『mcシスター』などを読むようになって、ファッションに目覚めたのもこの頃。学校の授業で特徴があったとすれば、聖書をがっちり読まされたことですね。毎日礼拝があって、中学の途中までは日曜も学校に行って礼拝に出席しなければいけなかったんです。毎日聖書の違う部分を読んで、牧師の先生のお説教があって、聖歌を歌って。聖書の授業もありました。
――聖書を読まされた経験によって、自分の中に根付いたものはありますか。
酒井:人によって受け止め方は違ったと思いますが、私の場合は原罪意識。自分は悪人であるという感覚です。すごく憶えているのは、学校では制服がなかったんですが、小学生の頃に「明日何着ていこうかな」とつぶやいたら先生に「聖書には、野の花ですら神様は美しく装って下さるのだから何を着ようかと思い悩むな、と書いてありますよ」というようなことを言われて、がーん、私は悪人なんだ...と思ったんです。今考えると、その先生も新卒で入ってばかりで真面目にやっていただけなんですよね。それを小学生だからわりと真面目に受け止めてしまっていました。とはいえやっぱり日々、「何を着ようか」と思い悩んでいたわけですが、かえって大人になってから、そのことを思い出します。中高生の頃はもっと生々しい欲望を満たすことに夢中で、そこまで考えていませんでしたから。
――生々しい欲望といいますと。
酒井:モテたい、とかですね(笑)。高校の頃には合コンみたいなものがあって、そこで男子校の男子たちと交流を深めていました。渋谷でみんなで集まってその後宮下公園に消える、みたいな感じで。遊ぶのが好きな、軽~い高校生でした。放課後にはよく渋谷に遊びに行っていました。単に練り歩いたり、喫茶店で男子たちと落ち合ったり、当時はディスコというものがあったので、時にはそこに行ったり。
――雑誌などでも高校生がもてはやされるようになった頃でしょうか。
酒井:そうですね。学校が私服だったので大人っぽい格好をしようと思えばできたところを、そういうのは損だと気づいて他の学校のチェックのスカートとVネックのセーターにハイソックスという服装をみんなで揃えて渋谷に行ってました。女子高生であることをウリにしなければいけないと気づき始めた時期です。