その1「読み書きが好きだった」 (1/5)
――幼い頃の読書環境はいかがでしたか。
川上:父親は適度に本が好きだったようなんですが、家に子供がすぐ読める本がたくさんある感じではなかったんです。でも、芥川賞を受賞した時のインタビューで「家に本がなかった」と言ったら、「あったわ!」と言われました(笑)。家で本を読むというイメージはなくて、図書館や児童館に行って童話を読んでいたように思います。描かれている絵をよく憶えていますね。文字を読むようになるのははやかったと思う。幼稚園ごろから漢字があってもなんとなくの意味で読んでいました。「事」という字がなかなか覚えられなくて、幼稚園の卒園アルバムも「事」をとばして読んでのを憶えています。
――読書が好きだったんですね。
川上:読書というよりは、読み書きが好きだったみたいです。小学生の頃は4月に新しい教科書をもらうとすぐ1年分読んでしまっていました。それで、はやく来年の教科書をもらえないかなって思っていました。字を書くことも好きで、教科書を音読する宿題が出た時に保護者に「聞きました」と書いてもらうんですが、どうにかして親の筆跡と同じように自分でも書けないかと思って真似して書いていました。草書のような崩した文字をすごく練習しましたね。
――そういえば、お母さんごっこが好きな子供だったんですよね。物語世界を作ることが好きだったのでしょうか。
川上:そうなんです、ものすごくお母さんごっこをしていました。子供ってよく違う自分になりたいとか、うちの親は本当の親じゃないんじゃないかといった空想をするといいますが、そういうドラマティックな出自を演出することはありませんでした。ただ、切実なものとして、違う自分になれないからこそ、お母さんごっこでいろんな家庭を設定したり、違う名前をつけあったりしてフィクションを求めていたのかもしれません。一種の変身願望ですが、子供として違う誰かになって冒険したいというよりは、はやく大人になりたかったんだと思う。子供はあまりに非力なので、世界によりリーチするためには大人にならないと駄目だと思っていたのかもそれません。お母さんになりたいというわけではなくて、子供にとって大人というものの情報が、お母さんという存在くらいしかなかったんですよね。
――大人になってこういうことがしたい、といった願望はありましたか。
川上:なかったですね。ただ大人になって職業を持って、きちんと生活できる人になりたいと思っていました。
――小学生の頃に読んだ本で、憶えているものはありますか。
川上:タイトルも憶えていないんですが、時計がいっぱい出てくる外国の絵本があったんです。建物の各階に時計があって、男の子がすべての階の時計の時間をあわせようとする。でも移動しているうちに時間がずれてしまう。その階にいる時は1時1分なのに、次の階にいくともう時間が経ってしまっているんですよね。どうすればいいんだろうと困って、最終的には自分がひとつ時計を持つ、ということを発見するんです。どの階に行っても持っている時計の時刻は正確ですから。それを読んだ時に、世界の秘密に触れたような気がしたんです。「今」というものに執着があったのかもしれませんね。「今」というものの不思議、「自分であるしかない」ということの不思議、一回死んだら本当に死んでしまうんだ、というようなことをずっと考えている子供でした。
――観念的なことを考える子供だったんですね。
川上:いつもいろんなことを不思議だと思っていました。唾って口の中で平気で飲みこむのに、外に出した瞬間に汚いものになるのはどうしてだろうとか、自分の手で太ももを触っている時に触っているのか触られているのかどっちなんだろう、とか。そういう境目みたいなものが気になっていました。たぶん、小学校時代の半ばで祖父が亡くなって、身近な人が死ぬという体験をしたことが大きかったんですね。死って、自分の理解を超えていました。すぐそこにいたのに数時間後には骨になって返ってきたのを見て、今までのすべてはなんだったんだろう、どうなってしまったのだろうと思った。個人の消滅というものを全員が体験するということに世界の秘密を感じて、祖父が死んでから数年、3年生から6年生になるまでぐらい、ずっと引きずりました。生きることとか死ぬことの意味不明さに怖くて夜中に起きて電気をつけたりしましたね。作文にもそういうこと書いたんです。今思っていることを書く、という課題が出たのかな。「みんなが死んでしまうことが怖い」「すべての人にかならずやってくる死というものに、どうやったら耐えられるかわからない」「みんなの死には耐えられそうにないから、勝手な考えだけれども、自分がいちばん最初に死にたい」というようなことを書いたと思います。そうしたら一人の先生が褒めてくれたんですよ。そういうことを言うと「死ぬ話なんてやめなさい」とか「子供はまだそういう話はいい」とか言われていたのに、その大竹欽一先生はみんなの前で拍手をしてくれて、「その疑問の答えは先生もわかりません、でもそう感じたことを忘れないでください」って言ってくれて。照れるし感動するしで、トイレにいってわーっと泣きました。小学生の時の文学的な思い出は、それがいちばん。
――作文の授業は好きでしたか。
川上:国語と美術の授業は大好きでした。お話を作ってみる授業がなによりも楽しかったですね。いちばんテンションが上がりました。「熱のこもった十円玉」というタイトルのものを書いたのを憶えています。女の子がずっと十円玉を握っていて、その十円玉がだんだん熱くなってゆくというただそれだけの話。それと、国語の先生が面白い授業をしてくれたんですよね。『古事記』とかの内容を先生が20分くらい話して、残りの時間で先生が喋った内容を書かせるんです。それも楽しかった。ですから私は、独自に家で本を読んでいるというよりも、国語教育とともに歩んできたわけですね(笑)。高校に入ってからも国語の先生とやりとりしましたし、大学は通信制でしたがテストの答案に対して先生がお手紙をわざわざくれたりして。国語を介してできた人とのつながりは結構今でも残っています。
――読み書き以外に、何か夢中になったことはありましたか。
川上:すべて人並みなんですよね。何か専門的に語り尽くせるものもないし、今に至るまでずっとアイドルとか芸能人に夢中になったこともないし。でも集中して好きだったのは『ドラえもん』。まるまる1冊模写しました。模写といっても子供がチラシの裏に描いたものですからぐちゃぐちゃだったと思いますけれど。読み書きが好きということの延長で好きだったんでしょうね。それを藤子先生に送ったら下敷きと、全国の私のようなドラキッズ対応用の葉書が送られてきました(笑)。それは嬉しかったですね。どうも、好きなものがあったらその世界を愛でるだけじゃなくて、自分でも実践してみたいという気持ちがあったようです。字もすごくきれいな字があれば書いてみたいと思うし、可愛い絵があったら描いてみたいと思うし。