小説も詩も映画も大好き (1/1)
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――子供のころは、どんな本を読んでいたんですか。
ゴードン:僕は病気がちの子供で、アレルギーや喘息があって、日光にもそんなにあたっちゃいけなかった。スポーツもできなかったし、だからとにかくたくさん本を読んでいた。
好きだったのは、エドガー・アラン・ポーや、C・S・ルイスの「ナルニア国物語」、モーリス・センダックの『かいじゅうたちのいるところ』。それにアーサー王物語やアレグザンダー大王の物語みたいな騎士物語や、ファンタジー文学、歴史物語も。
アイザック・アシモフのSFや、『少年たんていブラウン』『2分間ミステリ』のようなシンプルなミステリーも大好きで、ある日、自分でもミステリーを書いてみようと挑戦したんだ。で、完成したお話を学校の教室で読んだ。手がかりは単純で、犯人が「彼は2月30日にどこそこに行った」って言うんだ。すると、クラスの友達が「そいつが犯人だ!」って(笑)。
――子供の頃からミステリーが好きだったんですね。
ゴードン:うん、それに詩も好きだった。まだ小学校の2~3年生だったから、7歳くらいの頃だね。最初は学校の宿題だったんだけど、自分でもいつも詩を書くようになった。ときどき、祝日やなんかの家族の集まりで詩を書いてと頼まれると、あっという間に、たぶん一時間かそこらで書き上げたよ。みんな「すごい」って褒めてくれたんだけど、恥ずかしがりだったから「拍手しないで」って、手を押さえたりしてた。内気すぎて、今でも誕生日に「おめでとう」って言われても、顔が上げられなかったりするんだ。
でもちょっと心配されてもいたと思う。奥さんが死んじゃった老人の話とか、哀しい詩ばかり書いていたから。
――ポーの影響ですか。
ゴードン:そうかもしれないね。たぶん真似しようとしたんじゃないかな。他にも子供向きじゃない、もうちょっと大人向きのものも読んでいた。図書館で複雑な詩を読んで、もちろんぜんぜんわからなかったけど、なんとなく感じが好きで、音楽を聴くみたいに読んでいた。そういった詩から強い感銘を受けたと思う。理解はできなかったけど、夢中になった。
――図書館や書店にはよく行っていたんですか。
ゴードン:うん。いつも図書館、書店に行っていた。今でも、巡回ルートがニューヨークにあって、週一でぐるぐる書店をまわってる。
それに誕生日や休暇にはいつも家族が本をいっぱいプレゼントしてくれた。とてもいい先生がいて、両親に本のリストをくれたんだ。それに沿って親が本を買ってきてくれた。
子供の頃、クレヨンでポーの『赤死病の仮面』をそのままなぞって「by デイヴィッド・ゴードン」って書いたことがあるんだ。これは自分の作品だぞって。バレバレなんだけど(笑)。母は僕が子供の頃に書いたたくさんの話を、まだ箱に入れてとっておいてくれている。カンフーやゴジラの話をね。
――マンガも読んでいたのですか。
ゴードン:すごくたくさん。子供の頃だから、今からするとちょっと古いキャラクターだね。スパイダーマンやバットマン、レッド・スカルやシャドーが好きだった。アベンジャーズやキャプテン・アメリカも。テレビ番組もオリジナルバージョンで見ていたよ。
でも新しいのには追いついていないから、今映画でリメイクされて、みんながスター・トレックやスパイダーマンの話をしていても、70年代の話しかわからない(笑)。
――ティーンエイジャーの頃はどんな本を。
ゴードン:多すぎて挙げられないけど、芸術系の若者の御多分にもれず、ビートニクの書き手にはまって、ジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズに憧れた。トマス・ピンチョンの実験小説も読み始めたし、同時にジャンル小説もどんどん読んだ。フィリップ・K・ディック、レイモンド・チャンドラー、ジョルジュ・シムノン、ジム・トンプスンなんかだね。ジム・トンプスンが大好きで20冊は読んだし、ディックも本棚いっぱい分は読んだ。
だから、文学だから難解だというのもよくわからないし、ディックやシムノンがシリアスじゃないっていうのもわからない。僕にとってはどちらもすごく面白い小説で、それでいいんじゃないかって。
――『二流小説家』の主人公はジャンル小説の書き手で、『ミステリガール』では実験小説の好きな作家志望。それは両方から来ているんですね。
ゴードン:うん。そして大学院で詩をやっていたから、詩もたくさん書いて、読んだ。T.S.エリオットやウォレス・スティーヴンス、オーデン、キーツといった英米の偉大な詩人たちに、俳句や禅匠の詩も。
日本の小説は、もちろん村上春樹はアメリカでも有名で、ずっと読んでいた。他に谷崎潤一郎や川端康成も愛読していたし、あと浮世絵にとても興味があって、関連書を何冊も読んだ。枕草子や源氏物語にも挑戦したよ。大長編だから、全部は読み通せていないけれどね。
――読まない本はあるんですか(笑)。
ゴードン:あははは。一番弱いのは新しい本だね。いつも自分の好き勝手なものばかり読んでいて、新しいものを追いかけるという嗜好がない。学校でも授業を持っているから、そうなるとどうしても古い本ばかりになってしまうんだ。
――『ミステリガール』では主人公がプルーストの『失われた時を求めて』を持ち歩いていますが、とくに思い入れがある本なのでしょうか。
ゴードン:実は僕も何年もプルーストを持ち歩いていたんだけど、読めなかったんだ。休暇に行っても、「よし、プルーストだ」って開くんだけど、2、3ページ読むともう駄目で、パタンと閉じてしまう。ところが、ある日突然面白くなって、一気に最後まで読んでしまった。終わりが近づいてくると登場人物たちと別れなくちゃいけないのが悲しかった。彼らと知り合いになったような気がしていたから。
人生において、その時心に刺さる本っていうのはその時々で違って、たとえば『オン・ザ・ロード』でも、十代の頃は、すごく解放されるような、大冒険に出るような興奮を味わえた。でも、大学院でもう一回読みなおしてみたら、よく考えるとエネルギーはいっぱいあるけどずっと同じようなところをぐるぐるまわってるだけで、どこにも行き着かない。あれっ、前に読んだときとずいぶん違うなあと。プルーストも、最初に読んだ時はたぶん若すぎたんだろうね。
文学っていうのは、どんな本にでもいつでもアクセスできるのがいいところだと思うんだけど、やっぱり出会いのタイミングというのは大切で、ドストエフスキーにはまった時のことをよく覚えている。ニューヨークでメッセンジャーの仕事をしていて、いつもあちこち歩きまわったり、オフィスで荷物の待機をしながら、次から次へとひたすらドストエフスキーを読んでいた。あるいは、ちょっと人間関係とか女性関係にいろいろあった時は、サミュエル・ベケットを読んでいたりとか。やっぱりタイミングっていうのは非常に重要で、正しい時に読むと、よりわかったり、楽しめたりするというのはあると思う。
――作家になろうと思ったのはいつごろですか。
ゴードン:お分かりの通り、ほんとうに小さな時から。もうずっと作家になろうとしてきたから、いつ決めたとか、なぜなろうとしたか思い出せないくらい。ただ、絶対に作家にならなきゃいけないというのが自分の心の一部になっていた。それに他に何のスキルもなかったから、選択肢はなかったんだよ。
――まさに生まれながらの作家ですね。本が出るまで、どんな仕事をされていたのですか。
ゴードン:たぶん20じゃきかないぐらいのいろんな仕事をやった。書くことについては、ゴーストライターからコピーライター、編集に下読みまで、あらゆる種類の仕事をやったよ。会社勤めも家庭教師もやったし、『二流小説家』の主人公みたいに、ポルノ雑誌で働いていたこともある。
とにかく最低限暮らして行けるだけのお金をもらえる仕事、なるべく拘束時間が少なくて、書く時間をたくさん取れる仕事をいつも探していた。だからボスにもっと出世させてやるって言われたときも、「忙しくなるのは嫌だから」って断って、ちょっと問題になったこともある。「だったらもうこの会社では君に将来はない」って。
――難しい質問ですが、いちばん好きな本はなんですか。
ゴードン:回答不可能な質問だね(笑)。言えないなあ、うん、ものすごく難しい。だって、プルーストはもちろんユニークな作家で、紛れもなく世紀の偉大な作家の一人だと思う。でもたとえばプルーストがシェイクスピアと比べて優れているかと言われても比べようがないし。
現代文学だと、たとえば、やっぱりカフカより偉大な人はいないんじゃないかと思う。でも、誰かがドストエフスキーのほうが好きだっていうんだったら、まあ、それもOK(笑)。
――『ミステリガール』では、映画についてもたくさん言及されていますが、お気に入りの映画はなんですか。
ゴードン:また回答不可能な質問を(笑)。選べないんだけど、もし一つ選ばなきゃいけないとしたら、ヒッチコックの『めまい』。いろんな理由で好きなんだけど、やっぱり完璧な映画の一つだと思う。
――最近読んだ本で、印象に残った本はありますか。
ゴードン:だいたいいつも変な本を読んでいるんだ。『ミステリガール』を書いているときは、ヘンリー・ジェイムズの『ある婦人の肖像』を読んでいたし、あと、最近だとイヴリン・ウォーを再発見して大ファンになった。それにP.G.ウッドハウスも。
――どちらもコミカルな作風ですね。
ゴードン:うん。ヘンリー・ジェイムズは違うけど、イヴリン・ウォーはかなり笑えて、しかもちょっと暗い面もある。ウッドハウスはとにかく吹き出してしまうくらい面白い。日本に来る飛行機の中で、大声で笑いながら読んでいたよ。ウッドハウスの文章はとても美しいし、物語を構成する力も素晴らしい。昔のエディションを見ると、いろんな作家の推薦文が載っていて、みんな「最高だ」「天才だ」って言ってる。作家にとって心に響くものがウッドハウスにはあるんだと思う。喜劇小説なので、一見簡単そうに見えるんだけど、実はかなり深い難しい技術が使われている。ダンサーやマジシャンはすごいことを何でもないようにやって見せるけど、でも絶対真似できない。それと同じじゃないかな。
――日本でも翻訳が進んで、『ジーヴス』シリーズをはじめたくさんウッドハウスの本が出ています。
ゴードン:翻訳はきっと大変だろうね、トーンが非常に重要だから。僕もあんまりのめりこみすぎないように気をつけているんだ。影響を受けて、自分のキャラクターが今のニューヨークでは使わないような言葉をしゃべってしまったら大変だから(笑)。でも今は、ウッドハウスがどういうふうに小説を組み立てたり文章を書いたりしたかというのに取り憑かれていて、とにかく読んでいる。
――ゴードンさんの作品にも、どこかコミカルなトーンがあるような気がします。
ゴードン:喜劇的な要素はストーリーを活気づけるから、いつも入れたいと思っている。シリアスなシーンでもちょっとコミカルな要素を入れたり、笑えるところを書きながらも、シリアスな本を書くような気持ちでとか、常に両方の面が存在するようにしているよ。バーナード・ショーの言葉「人が死んでも、人生は依然として可笑しく、人が笑っても、人生は依然として深刻である」だね。たぶん、僕はただ本が面白いものであってほしいんだと思う。