作家の読書道 第124回:白石一文さん

今我々が生きているこの世界の実像とは一体どんなものなのか。政治経済から恋愛まで、小説を通してさまざまな問いかけを投げかけている直木賞作家、白石一文さん。彼に影響を与えた本とは何か。直木賞作家であり無類の本好きだった父親・白石一郎氏の思い出や、文藝春秋の編集者だった頃のエピソードを交え、その膨大な読書体験のなかから、特に大事な本について語ってくださいました。

その1「小説家の父の影響」 (1/6)

  • 夏への扉 (ハヤカワ文庫 SF (345))
  • 『夏への扉 (ハヤカワ文庫 SF (345))』
    ロバート・A・ハインライン
    早川書房
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  • 失われた世界―チャレンジャー教授シリーズ (創元SF文庫)
  • 『失われた世界―チャレンジャー教授シリーズ (創元SF文庫)』
    コナン・ドイル
    東京創元社
    648円(税込)
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――白石さんの読書量は膨大だと思うので、今日はその一端だけでも教えていただければ、と思っております。

白石:自分が読んできた本について話すのは、プライベートを打ち明けるようで恥ずかしい気もしますね。それくらい自分にとっては本が大事だったんです。僕の父親は白石一郎という小説家だったので、物ごころつく前からまわりに本だけがありました。

――お父さんも相当な読書家だったのでしょうね。

白石:親父は本当に本を読むのが好きで、好きさ加減がエスカレートして作家になったんです。幼少期から本ばかり読んで大きくなって、小学4、5年生の時には自分で小説を書きだしたそうです。いろんなジャンルを書いてクラスで回し読みさせると、時代小説が一番ウケがよかったと言っていました。「目明し仁吉捕り物帖」といったそれっぽいタイトルを勝手にこしらえてせっせと書いていたようです。小説家になりたかったものの大学を出て小さなゴムメーカーに勤めるんですが、朝が起きられなくてどうしようもなかった。それで父親、つまり僕の祖父に「会社を辞めたい、小説を書きたい」と手紙を書いたそうです。姉たち、つまり僕の伯母たちは「社会に出たらそんな甘えは断じて許されない」と怒ったそうですが、祖父は「すぐやめて佐世保に帰ってこい」と電報を打った。考えられないですよね(笑)。祖父にとっては年をとってから生まれた唯一の男の子ですから、甘やかしていたようです。父は死ぬまで伯母たちや親戚の人たちに"坊や"って呼ばれていました。父が亡くなった時の葬式でも伯母たちは「坊やは本当にかわいかった」って言っていました。実家は金持ちだったようです。父は釜山の生まれなんですが、生まれた時に市役所の前の広場で花火があがったそうです。それくらい一目置かれる一家ということですよね。引きあげてからも佐世保の市長官舎のようなところに住んでいて、とにかく広くて大きな家が怖かったそうです。それで狭い住まいがいいと言って、僕らは小さな団地に住まわされたわけです。しかも家の中は本で埋まっている。本代にお金が消えていくから母が一生懸命に働いて、僕と双子の弟の遊びは父の原稿用紙のマス目に色を塗っていくことくらいでした。僕にとっては本を「読まない」とか「読書が趣味」とかそういう発想は初めからなく、本は読むのが当たり前だったんです。

――気づいたら本を読んでいた、という。

白石:6歳の頃には小説を読んでいました。家のなかに字が氾濫していたので、はやくから字は読めたんです。弟は元気なんですが、僕だけ身体が弱く、扁桃腺を腫らして入院して切除したうえに、小学校に入る頃には喘息がはじまってしまった。喘息は副交感神経が優位になる夜中に発作が起こるので、一晩中七転八倒し、当然次の日の学校には行けなくなる。昼間の楽しみといえば本を読むこととテレビを観ることだったんです。終戦直後に大学生活を送った父に比べればはるかに豊かな時代に育ったのに、僕はまったく趣味というものを作れなかった。今でも趣味らしいものは何もないんです。テレビは白黒でした。夏休みなどには「日曜洋画劇場」が特選企画をやっていて人気の映画を毎日放送してくれるんです。めちゃめちゃにカットされている『鉄道員』や『自転車泥棒』や『わが谷は緑なりき』などを見ました。本は小2で『罪と罰』を読んでいました。米川正夫さんの訳でしたね。

――えっ、小2で、ですか。

白石:あとはゲーテの『若きウェルテルの悩み』、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』、モームの『月と六ペンス』なんてね(笑)。読んでいるというと偉そうですけれど、要するに字面を追っているだけです。『モヒカン族の最後』や『ジャングルブック』、シートンの動物記やファーブルの昆虫記なんかも小さいときに読んだ記憶がありますね。当時は父と本屋に行くと、児童書ではなく大人向けの小説の棚にいくわけですが、面白そうだなと思った本を手に取ると、後ろで「ふーん」と鼻で笑うような感じがするんですよ。「へえ、お前そんなものを選ぶのか」という。「それは面白くない」「それはお前にはまだはやい」と言ってくるので、結局父の指導で本を選んでいました。父は妄想家なので、空想科学とか絵空事が大好きでしたね。孫悟空がいちばん好きだと言っていました。「だってお前、猿が雲に乗るんだぞ、棒が一瞬で伸びるんだぞ」って。読ませてもらえたのは『孫悟空』ではなく『西遊記』ですが、確かに面白かった。あとはイソップでもアンデルセンでもなく『グリム童話』は読んでもいいと言ってもらえた。グリムは大人でも読める仕掛けがあるけれども、当時の僕はもちろん普通の童話として読んでいました。

――難しい本ばかりではなかったんですね。

白石:SFもたくさん読みました。ハインラインの『夏への扉』、レイ・ブラッドベリの『何かが道をやってくる』、ハミルトンの『スターキング』、チャペックの『山椒魚戦争』、スタニスワフ・レムの『ソラリスの陽のもとに』。小学4、5年生の頃からコナン・ドイルも読み始めましたが、父はシャーロック・ホームズではなくて『失われた世界』を最高傑作だと言っていました。小さい頃にそうやって洗脳されたので、今でも『ジュラシック・パーク』の恐竜が出てくるシーンでは嬉しくて涙が出そうになります(笑)。そうそう、E・E・スミスの「スカイラーク」シリーズや「レンズマン」シリーズなども父がストーリーを話してくれました。アリシアとエッドールといういい星と悪い星があって、アリシアの意を受けた人たちがレンズマンとなる。レンズマンの腕にはレンズがあって......。僕と弟は聞き惚れて、当然SF小説好きになりました。星新一も読んだんですが、父に言わせると「話が短い。もっと長いのも読みなさい」。そこで光瀬龍や眉村卓や小松左京の長編を読むようになりました。『日本沈没』を読んで興奮した父が「日本が沈むんだぞっ!」って言っていたのを憶えています。筒井康隆さんも父が大好きだったので読みました。夜中に仕事場から父の笑い声が聞こえてくるんです。これは来るなと思ったらやっぱりやってきて僕たちを起こして「こんな面白い話がある」と言って、自分が読んだばかりの筒井さんの本を読み聞かせるんです。それが『俗物図鑑』だったりする。それで小学生・中学生のうちに筒井さんの『48億の妄想』、『霊長類南へ』、『おれに関する噂』、『ベトナム観光公社』や『家族八景』、『七瀬ふたたび』、『わが良き狼(ウルフ)』なんかを読んだ。真鍋博さんの装画や挿絵もよく憶えています。漫画では手塚治虫さん。父が世界で最も尊敬していたのが手塚治虫さんとウォルト・ディズニーと円谷英二でした。ですから小2、3の頃にはすでに洗脳されていた僕も、「尊敬する人を書きなさい」と言われるとこの三人の名前を書くわけです。

――小説家以外の方々ですね。

白石:円谷英二に関しては、ゴジラ映画だけは外出大嫌いの父が連れていってくれましたからね。黒澤映画にも連れていってくれましたが、小さい子供に『椿三十郎』なんて分かるわけがないですよ。でも刷り込みって怖くて、大学に入って気づいたら黒澤の映画に熱中していました。漫画は小さい頃に水木しげるさんの『墓場の鬼太郎』を貸本で読みましたね。梶原一騎のスポ根モノももちろん愛読したし、福本和也が原作の『黒い秘密兵器』や、ちばてつやの『紫電改のタカ』などにも熱中した。桑田次郎や横山光輝も好きでした。父は講談社の『少年マガジン』の原作も書いていたんです。木山茂さんの『王者の剣』や石川球太さんの『犬丸』とか。毎週父が雑誌を枕元におくので、僕と弟は読んで感想を言わないといけないんですが、手塚さん以外の漫画家を手塚さんより褒めると機嫌が悪くなるんですよ。合評のようですね(笑)。といってもまだ小学生の頃でしたから、30半ばの男から「いかに手塚さんが素晴らしいか」を折伏されたらそりゃイチコロですよね。今でも僕にとって手塚さんは神様ですもん。でも『鉄腕アトム』ではないんですよね。『ライオンブックス』や『空気の底』。『火の鳥 未来編』は今思い出しただけで涙が出そうです。小さい時に読んだ本で僕に決定的な影響を与えたのは手塚さんですね。彼は空想的な話やキャラクター漫画が多いため、男女関係の描写も淡いんです。リリカルでプラトニック。僕も男女関係のドロドロを書こうとしても、気をつけないとどうしても発想がロマンティックになっていく(笑)。手塚さんの『ザ・クレーター』の「生けにえ」はマヤ文明で生け贄になった女性が首を斬られる瞬間に「1回だけ女として生きたい」と願う。するとふっと気づくと現代になっていて、彼女は男の人と出会って結婚して幸せに生きていく。でも旦那さんとご飯を食べようとしている時だったかに、時間がくるんですよね。すーっと消えていって、気づけばマヤに戻っていて首を斬られようとしているところに戻る。そういう描き方がものすごくうまい。『空気の底』の一編も、人類が滅びて保育器のなかにいた男の子と女の子だけが生き残る。兄弟みたいに育つんだけれどもあるビデオで男女関係が描かれているのをみて、お互いにぽーっと赤くなる。やがて結婚式をあげようとしてドームの外に出て、深い森の教会の跡で折り重なって死ぬというような話なんです。そうした世界が、何の予備知識もない小さい頃に入ってくるんですから、ものすごく影響を受けるんです。

――お父さんが面白いといったものを素直に吸収してきたんですね。

白石:本人が好きで読んでいるものばかりでしたから。それに家に帰っても父が仕事をしているので、こっちもあまり音をたてられない。僕は身体が弱いから外で遊ぶという発想もなかったので、勉強するか本を読むしかなかった。新聞も小2か小3の頃から読んでいました。当時は冷戦の真っただ中なので、核戦争が怖くてたまらなかった。そんな小学生だったから、学校でもまわりの人間と話が合うわけがない(笑)。

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プロフィール

しらいしかずふみ 1958年福岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。文藝春秋勤務を経て、2000年『一瞬の光』でデビュー。2009年『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』で第22回山本周五郎賞を、2010年『ほかならぬ人へ』で第142回直木三十五賞を受賞。著作に『不自由な心』『僕の中の壊れていない部分』『私という運命について』『どれくらいの愛情』『永遠のとなり』『心に龍をちりばめて』『この世の全部を敵に回して』『砂の上のあなた』『翼』『幻影の星』など多数。