作家の読書道 第118回:桜木紫乃さん

北海道を舞台に、そこに生きる人々の姿を静謐な文章でつづる作家、桜木紫乃さん。釧路で生まれ育った少女が、ある日アパートの一室で見つけた一冊の文庫本とは。読めばいつだって気合が入るという小説や漫画とは。大好きな小説と作家、意外な趣味(?)、さらには一人の女の波乱の人生を描いた最新作『ラブレス』についてもおうかがいしました。

その1「窓辺に残されていた『挽歌』」 (1/4)

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――桜木さんは作品にもよく出てくる釧路のお生まれなんですよね。どのような幼少期を過ごされたのでしょうか。

桜木:うちは親二人とも職人で、床屋だったんですよ。私が15歳の時までお店を開いていました。お弟子さんもたくさんいました。私と妹のお守りはお弟子さんに任されていたんです。一人前になるには10年はかかりますけれど、その前に辞めていく人たちを何度も見ましたね。

――いちばん古い読書の記憶といいますと。

桜木:小学校の頃も本は読んだと思うのですが憶えていないんです。はじめて小説を読んだと思ったのは中学2年生の時。原田康子さんの『挽歌』です。早熟でしょう(笑)。うちは1階で床屋をやりながら2階はアパートにして貸していたんですけれど、春に大学生の人が就職して出ていくので、空いた部屋の掃除をしてお小遣いをもらっていたんです。その日も雑巾と掃除機を持って部屋に入ったら、段ボール箱がひとつ置かれていて、窓辺に一冊だけ文庫本があったんです。それが『挽歌』でした。この部屋に住んでいた人が出ていく直前まで開いて、そこに置いていったんだなあって、ドラマチックに感じました。文庫本を開いた記憶はそれがはじめて。掃除もしないで読みふけりました。男女の機微は分からなかったんですが、釧路が描かれているので、知っている道、図書館、公民館が出てくる。自分の生まれた土地が物語の舞台になっているのはこんなに面白いのか、と思いました。読んだ後にその場所に行くと架空の人物がそこにいるように感じられる。それが小説に興味を持ったきっかけです。その時に自分も書いてみたいなと思った記憶もありますね。結局30歳すぎまで書かなかったんですけれど。

――そこから読書にも興味が湧いたのですか。

桜木:その段ボールの中にびっちり文庫本が入っていたんです。両親は小説を読む人ではなかったので、隠れてそこから一冊一冊読みました。森村誠一さんの『星のふる里』などがありました。原田康子さんの本もそろっていましたね、『サビタの記憶』や『廃園』や...。それを大学時代に住んでいた部屋にすべておいていった人に物語を感じずにはいられませんでした。妄想癖があるものですから、その人は『挽歌』に出てきた桂木夫人を惑わす青年、古瀬達巳に違いない、と思ったりして(笑)。娯楽のない町だったので、妄想だけが楽しみだったんです。その後は、本屋で立ち読みをするようになって...、買わなくてごめんなさい。

――そこではどんなものを読んでいたのですか。

桜木:角川文庫の横溝正史。『犬神家の一族』あたりかな、映画化されてメディアミックスで盛り上がりを見せていたんです。北海道は歴史も伝統もないけれど、もしもこの話が北海道が舞台だったらどうなるのかなとか想像していました。小説でも歌でも出てくる土地に興味がいくんですよね。そこに行きたくなっちゃうし。

――それが中学生くらいの頃ですね。その後は。

桜木:森村誠一さんの『悪魔の飽食』などを読んでいたせいか、高校時代は731部隊に関する本にはまりました。自分の知らない世界が書かれてあると思いました。山崎朋子さんの『サンダカン八番娼館』も読みました。今でも時々読み返しますね。夜中に映画化されたものを見て、元からゆきさんを演じているおばあさんがすごい、と思ったら田中絹代さんでした。映画も繰り返し見ます。今の自分のベースにあるのはそのあたりかなと思うんです。女性の身体の価値であるとか、春をひさいで生きていく様子とかが描かれていると目がいく。自分の思っている身体の価値と男性が思っている価値はすごく違うんだなということは、書いていても不思議なんです。答が見つかっていけばいいなと思いながら書いています。

――好きな本は繰り返し読むのですか。

桜木:私は読んだ冊数は少なくて、好きな本を何回も読むんです。開くたびに落ち着くんですよね。読みながら「ああ、これが好き」って思う。最近では『ラブレス』を書く前の頃に、編集者が水村美苗さんの『本格小説』を薦めてくれて、年末にどっぷりとハマりまして。執筆している間もつねにマウスの横にありました。2階で原稿を書いているんですが、宅急便なんかがくると1階に駆け下りていって中断しますよね。そのたびに開いていました。もう、ど真ん中にきたんです。私は英語は全然ダメなんですけれど、水村さんのように日本から出てネイティブな英語を話すようになっている方が書く日本語ってなんて美しいんだろうって。さーっと読めてしまうんですよね。どこを開いても美しい日本語。憧れます。文章が美しくて、物語で引きずり込ませていく小説が好きなんだなと思います。

――10代の頃の話に戻りますが、学校ではどういう存在だったんですか。

桜木:目立たなかったと思います。憶えているのは休み時間にいつも文庫本を開いていたこと。いちばん本を読んだのが高校受験の前。先生に怒られたんですよ。「女流作家にでもなるつもりかー!」って。なぜ"女流"ってつけなきゃいけないんだろうって思いました。デビューした後、釧路でのイベントの際にその先生が杖をついてわざわざ来てくださったんですよ。70歳もだいぶ過ぎたくらいのお年だと思うのですが。「あの時怒られたけど、今も作家とは呼べないかもしれないけれど、もの書けるようになったの、ごめんね」って言ったら「(弱々しく)そんなこと言いましたかねえ~」って(笑)。謝ることができてよかったなって思いました。わざわざ会いにきてくださるとは思わなかったんです。心をぐらぐらさせられるのは好きではないんですけれど、旧姓で呼ばれて「(再び弱々しく)元気そうだねえ~」って言われたら...。心を落ち着かせなくちゃならない時になぜ先生が現れるの、って思いました。

――いい話です...。当時、文章を書くのは好きだったんですか。

桜木:中学の時は特別好きということもなかったんですが、高校は文芸クラブに入りましたね。でも冗談みたいなクラブだったというか。100文字の課題を書いて提出したら先生に「お前オレの時間を返せ」と言われたりしていました(笑)。

――小説以外に好きなもの、心に残っているものはありますか。

桜木:アラン・ドロンの映画『愛人関係』を観て、物語の最後はこうでなきゃ、と思いました。ミレーユ・ダルクと弁護士役のアラン・ドロンが冬のニースの展望台に行くんですけれど、最後に銃声がこだましてエンドロールとなるんです。小説でやるとハードボイルドになりそうですけれど、いつか書きたいですね。そう思うと、14、5歳の頃にはもう好きなものの傾向ははっきりと決まっていたんですね。

――漫画は。

桜木:いっぱい。『スケバン刑事』、『ベルサイユのばら』、『エースをねらえ!』、『生徒諸君!』、『摩利と新吾』、『日出処の天子』...。今でも長編を書く時には佐伯かよのさんの『緋の稜線』と津雲むつみさんの『風と共に去りぬ』を全巻読んで「よっしゃー!」と思ってから取り掛かります。

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プロフィール

北海道釧路市生まれ。2002年「雪虫」で第82回オール讀物新人賞を受賞。2007年、デビュー作となる単行本『氷平線』(文藝春秋)で注目を集める。他の著書に、『硝子の葦』(新潮社)、『風葬』(文藝春秋)、『凍原』(小学館)、『恋肌』(角川書店)がある。