作家の読書道 第98回:藤谷治さん

現在、青春音楽小説『船に乗れ!』が話題となっている作家、藤谷治さん。主人公の津島サトルと同じく音楽教育を受けて育った少年は、どのような本と出合ってきたのか。幅広いジャンルの本と親しみ、大学生の頃にはすでに小説家を志していた青年が、デビューするまでに10数年かかってしまった理由とは。藤谷さんが経営する下北沢の本のセレクトショップ「フィクショネス」にて、たくさんの本に囲まれながらお話をうかがいました。

その1「ヴァレリー、モリエール、チャップリン、落語」 (1/7)

  • ドラえもん (1) (てんとう虫コミックス)
  • 『ドラえもん (1) (てんとう虫コミックス)』
    藤子・F・不二雄
    小学館
    463円(税込)
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  • モリエール全集〈1〉 (1972年)
  • 『モリエール全集〈1〉 (1972年)』
    中央公論社
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――一本日は藤谷さんが経営するセレクト書店「フィクショネス」での取材。書店を経営されているということは相当な本好きだと思うのですが、幼い頃はいかがでしたか。

藤谷:記憶はないんですけれどお袋がよく話してくれるのが、寝る前に本を読んでもらう年頃、つまり3歳くらいの頃、一緒に川の字になって寝ていると夜中に真ん中の僕がいなくなっている。探してみたら冷蔵庫の前にいて。ほら、扉をあけると電気がつくでしょう。あの明かりで絵本を開いていたらしいんですよ。そこから字を覚えていったみたいですね。もちろん自分では覚えていません。覚えている読書というと、小学2年生の時に小学館の『小学五年生』を読んでいたこと。『小学二年生』の「ドラえもん」が幼すぎて、もっとストーリー性のある「ドラえもん」を読みたかったから(笑)。

――自発的に本を読む子だったんですか。

藤谷:好きでした。字が読める、ということが好きだったんじゃないかな。家の中に結構本があったので、気がついたら読んでいましたよ。でも覚えているのは「ドラえもん」や「のらくろ」。「のらくろ」は講談社から出ている、布張りの本を何巻が揃えてもらっていましたね。活字の本というと、家に子供向けの文学全集がありまして。僕の世代は、家に全集を揃えるという習慣の名残があったんです。それで「メリー・ポピンズ」「飛ぶ教室」「シャーロック・ホームズ」などを読みました。ハドソンの「緑の館」があったことも覚えています。

――それが小学校低学年の頃ですか。

藤谷:そうですね。中高学年になると、立派な本というものが好きになったんです。中に何が書いてあるということ以上に、箱に入っていて装丁がきれいて、ヒモがついていて、という本が好きになって。僕は稲村ヶ崎に住んでいたんですが、それはもともと祖父母の家なので、祖父母の蔵書がそのまま残っていたんですね。そこから引っ張り出して読んでいたのが『ヴァレリー全集』。

――小学生でポール・ヴァレリーですか。しかもおじいさんの本だったら、旧漢字だったりしたのでは。読めましたか。

藤谷:読めません(笑)。翻訳者によっては新漢字もあったんですけれどね。ただ、話が錯雑になるんですが、小学4年生の頃に親父がよくチャップリンのリバイバル上映に連れていってくれたんですよ。モンティ・パイソンの放送が始まったのもその頃。それで、コメディというものに興味を持ち始めたんですよね。ヴァレリーも詩は分からなかったけれど、「我がファウスト」という抽象的なコメディを書いていて、それを読んでいました。もう一切覚えていませんけれど。

――でも当時、ユーモアは感じ取っていたんですかねえ。

藤谷:感じ取っていなかったでしょうねえ。完全にポーズです。本当に読んで面白いと思ったのは、祖母の本棚にあった『モリエール全集』。中央公論社から出ている、鈴木力衛訳のものですね。これに関しては好きでその後もずっと読んでいて、小口が汚くなっちゃうほど。後ろの解説を読んで年表を作ったりして。モリエールには相当影響を受けました。じゃあなぜ先にヴァレリーの話をしたのかというと、今の僕の中にまったく残っていないから。小さい時に読む本は残るっていうけれど、ものには限度があるんでしょうね(笑)。今『ムッシュー・テスト』を読んでもそんなに面白いと思わないし。ただ、形見分けのように全集はもらってきたので、いつかは全部読んでみたいと思っているんです。

――モリエールは、何が藤谷少年の心に響いたのでしょう。

藤谷:コメディだってこと。あと、立派な本に、コメディが入っているのがいいなあと思っていましたね。結果的に笑いということに関しては相当高尚な教育を受けましたね。小学3、4年の頃は、上野の鈴本演芸場に連れていかれて、落語も聞いていましたから。

――お父さんが連れていってくれたのですか。

藤谷:親父が秋葉原で会社を経営していたんです。職場に僕を連れていくんですが、すぐ邪魔になるので、鈴本か交通博物館に連れていく。交通博物館は大人がずっとついていなくちゃいけないけれど、鈴本ならキップ売り場のおじさんに声をかけて、座らせておけばいい。昼の部から夜の部まで、ずっと座っていました。落語に関してはまったく飽きずに聞いていましたよ。

――フランスの古典と、日本の古典...。

藤谷:そしてチャップリンと。笑いに関してはハイソサセティにいたんですよ(笑)。呉服屋の丁稚にもいいものを触らせるというでしょう。まずいいものを知るという。音楽と笑いに関してはラッキーでしたね。

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プロフィール

作家。2003年に『アンダンテ・モッツァレラチーズ』でデビュー。2008年『いつか棺桶はやってくる』が三島賞候補。近作に『船に乗れ!Ⅲ』など。