第1回 寄席前に一杯。純米酒をキュ~ッと

 朝酒のメッカとしても名高き東京・上野。安く呑める大衆酒場の牙城において、厳選された純米酒が朝11時から呑めることにも惹かれて足を運ぶようになった酒場がある。「夜行列車」だ。"上野"で"夜行列車"。思わず演歌を口ずさみたくなる店名にも、ヤられた。

 チェーン店や個人経営店、老舗もあれば新しい酒場もある。モツ焼き屋もあれば街中華もある。匂いや景色、人種も、年齢も、さまざまなものが入り乱れ雑然とした界隈の一角に、縦長の白い麻暖簾が風に吹かれてゆらゆらと揺れている。そこには朱文字で「純米酒」、墨文字で「夜行列車」と大きく書かれ、脇には行燈風の看板も下がっている。実に渋い。明らかにここだけ違う空気が流れている。

 暖簾をくぐれば、店内は、うなぎの寝床のように奥に長く、緩やかにラウンドしたカウンターに8席、壁際に2席のみ設えられた、ひとり呑み好きには落ち着きのいい造り。初めて入った時は、和風スナック!?と思ったのだが、それもそのはず、元々はカクテルバーだったそう。そこを居抜きで引き継いだのが、カクテルバー時代の店主の友人にして、現店主のお父様。

 それまでは、上野と双璧をなす酒呑み天国な街・立石で、日本酒居酒屋をやっていたお父様。昭和32(1957)年にカクテルバーとしてオープンした店を、平成12(2000)年に店名ごと引き継ぎ、業態を「純米酒を専門とする日本酒のお店」としてオープン。以来、父、母、息子2人の家族4人で切り盛りをしてきた。

 あたしが初めてお邪魔したのは、コロナ禍になる前の2018年残暑厳しき折。エッセイストの坂崎重盛翁に連れてきてもらったのがきっかけだった。

 春風亭一之輔師匠の独演会を聴きに上野「鈴本演芸場」へ。その前に、軽く一杯、引っ掛けていこう。そんな趣向で立ち寄ったのだけれども、暖簾の風情、造りの鄙び感に一目惚れ。出される日本酒は、キリッと冷えたものが、ステム付きのグラスになみなみと注がれる。下の受け皿は磁器もあれば木枡もある。一升瓶ごと傾けて注がれるのだが、ぷっくりと盛り上がる絶妙な表面張力、それを一度注ぎで見事にキメる、その手技にも惚れ惚れとした。

 なんて清々しい酒場だろう。その日から、寄席に行く前の0次会酒場としても、あたしの定番ルートとなっている。

 カウンター目の前には、東北をメインに30酒近くの銘柄が書かれた木札がずらり並ぶ。その文字の様子もとってもいいのだ。お父様直筆のもの。埼玉のお寺の息子だったということで、筆文字に馴染みの深い環境で生まれ育ったゆえだろう。即興でサラサラとコースターに文字をしたためては、常連さんたちを喜ばせていたという。

 そのお父様、2022年に88歳でご逝去。お母様も現場から退かれたことで営業体制も代わり、現在は、兄(坂田哲人さん)と弟(坂田俊弥さん)の2人で切り盛り。営業時間も16時からとなった。

手書き木札の風情もいい
店主のお父様がご生前時に即興で書かれていたコースター文字

 かつて11時営業開始だった頃は、23時半まで通しで営業されていたので、昼酒からスタートし、夕方酒に至るまで数時間もひとりで呑み続けてしまったこともあった。

 11時から16時までは兄がひとりで、16時から23時半まではお父様、お母様、弟の3人体制という切り盛りの仕方だったのだけれども、16時で兄弟が入れ替わったことに全く気づかず、兄・哲人さんと思い込みながら弟・俊弥さんに話しかけ続けていたほど、心地よく酔った。16時から2人で一緒に切り盛りする現行の体制になってから、ようやく兄と弟の判別がついた次第。面目無い。

 そんな失礼な酔客に対しても実に寛容。「純米酒」にこだわっていると聞くと、蘊蓄満載な店かと敬遠される向きもあるかと思うけれども、この店に限っては、そんなことは一切ない。そもそも、店主自身が「呑んだ翌日の身体が楽だから」と身をもって経験していたからこその「純米酒」にこだわっての仕入れ。つまるところは、親父さんだって酒呑みだったということだ。

 それに何より、元々は朝11時から呑める店。蘊蓄どころか、どうぞどうぞたっぷり呑んでください。そんな鷹揚とした空気が流れている店なのである。

 朝11時営業開始時代は、夜勤帰りの方や社長さん、ご隠居さん方が早い時間からお酒に親しみにいらっしゃっていた。昼定食も併せてやっていた時期もあり、その時は、定食をわしわしと食べる人と酒を呑む人が同居している空間だったという。

「違和感はありませんでしたか?」と問うと、「お酒を呑む人は、そもそも時間の流れが違いますからねぇ」と笑う兄・哲人さん。その懐の深さもこの店の魅力だ。

 場所柄、観光客が一見でいらっしゃることもあり、インバウンドが盛り上がっている昨今は、外国人観光客が来店することもあるという。なんとも上野らしいこと。ますます開かれた酒場になっていますねぇ。嬉しい。

 夏真っ盛りのとある日の口開け16時。長いカウンターに敷き紙と箸置き、お箸がそれぞれにセットされ、準備万端で酔客を迎え入れる用意ができている中、カウンター席の隅っこでひとり呑む。他の客はまだいない。

 兄弟の仕込み仕事の音も心地よく響く中、夏場特に人気という「出羽桜 軽ろ水」を口に含めば、キリッと冷えていて身体にすう~と馴染む。華やかな香りがフワッと漂い、後口スッキリ。生酒だけれどもぼってりとせず、さらりとしているのもいい。通常より2~3度アルコール度数が低いからこそのライト感。生酒ゆえに管理が難しいお酒で、都内でも呑める酒場は限られるのだそう。店の入り口すぐに鎮座している樽にステンレスタンクを入れて冷やしてある。まさにここの看板酒と言ってもいい一酒。夏の一杯目にも最適な酒だ。

出羽桜 軽ろ水(かろみ)
*通常は、樽から注がれるので一升瓶は添えられません。

 蒸し暑さで熱った身体が落ち着いたところで頂くつまみは、「こんにゃくみそ漬」。市販のものに柚子、七味、味醂を調合し、さらに1~2日間ほど寝かせたもの。よく冷えていて、味もしっかりと染みている。何よりも柚子の香りがいい。こちらも夏場に人気が高いのだそう。ちなみにこの日のお通しは、「マカロニサラダ」。カレー味で食欲を刺激する。あぁ、お腹が空いた! まさにお通しとしてあるべき姿、完璧だ。今日も胃袋・肝臓ともに掴まれまくっているなぁ。

 そこへ重ねるように、今度は鼻腔をくすぐる爽快な香りが漂い始める。兄・哲人さんが大量の茗荷を刻んでいらっしゃるのだ。それらに酒盗を載せた「酒盗みょうが和え」も、えげつなく酒を進ませる。茗荷のシャキッとした食感から、鼻に抜ける清々しい香り、そこへ酒盗の濃厚な旨味が押し入ってくる。自ずと酒を迎え入れにいく手筈となる。酒呑みのツボをよく押さえた一品。

柚味噌のこんにゃくみそ漬
お通しのマカロニサラダ
酒盗みょうが和え

 さらにここで愛している酒肴がある。「あたりめ(酒びたし)」だ。容赦なくびたびたに酒に浸されたあたりめ。これをつまみに一杯やれば、酒を食べて酒を呑んでいるかのような異様な心持ちになる。「やまと豚もつ煮」もおすすめ。お母様の故郷である九州の麦味噌を使って仕込まれているのが、九州出身のあたしにとってはお袋の味のようで、とっても懐かしい気持ちになる。クラッカーと生ハムも添えられた自家製スモークチーズも日本酒の好相棒。酒と醤油に漬け込んで燻製をかけてあるのだが、醤油の香ばしさも相まって、日本酒に間違いなく合う。生ハムとクラッカーの塩気もいいのだ。

 和洋問わず、酒を呑ませる小粋な酒肴が揃っているのも、それらに寄り添う美酒があってこそ。山形・上喜元、宮城・一ノ蔵、長野・真澄など各地を代表する名酒の数々は、お父様が直接酒蔵へ足を運んで自ら選ばれたものや、蔵元自身が売り込みにきたものなどで、全て酒蔵から直送でやってくる。と同時に、それらの酒と共に酒粕も同梱されてくるのだそう。ということは、酒粕を使った酒肴も名物。「鮭の粕漬け」だ。各蔵元から送られてくる酒粕に2週間ほど漬け込まれた自家製。酒粕はその時によって異なり、酒蔵ごとに味わいの違いを楽しめるのも「夜行列車」ならではだ。

あたりめ(酒びたし)
やまと豚もつ煮
スモークチーズと生ハム クラッカー
真澄
鮭の吟醸粕漬

 11時営業開始時代は、16時に早上がりだった兄・哲人さんは、駅ビルでいっぱいやってから帰路につくこともあったそう。

「なぜ上野の街中の酒場ではなかったのですか?」そう問うと、「うちのお客さんに会ったりしちゃうでしょう。気を遣いますからね」。酒場の店主のプライベート呑み。それは確かに、お客さんとの線引きはひとつの大切な作法かもしれない。

 というものの、お客さんと店主さんたちの距離は遠くはない。放ってほしい人にはさりげなく接客、会話をしたい人とは近くなりすぎない距離感で話をしてくれる。

 そんな絶妙な間合いで接客をしてくださっていた中、夕方早めの時間帯にひと組のご夫妻が来店。茨城県日立市在住で、これから常磐線に乗って帰路につかれるのだそう。その前に、ここで馬刺しを食べて帰ることをルーティンにされていらっしゃるとのこと。

 席に着くや否や夫の方が、弟・俊弥さんに「髭、伸ばしているんですか?」と声をかける。その一言で、どんな関係性かがうっすら窺い知れるのだが、ベタベタと会話を交わし続けるわけでもなく、程よい距離感。

 かつては洋食屋さんでも修業をされていた弟・俊弥さん。その時は厨房のみ担当で、フロアー接客はなかったそう。

「今は、対面で接客もしなければいけないから大変です。だって酒呑みはアナーキーでしょう」という言葉に思わず笑ってしまった。なぜなら、16時に兄・哲人さんと弟・俊弥さんが交代されていたことに気づかず、ひたすら話しかけ続けていた自分のことを思い出したから。ぐうの音も出ない。確かに、アナーキーだ(笑)。でも、ちっとも人を不快にさせない見事なご接客ぶりなのは、さすが。

 弟・俊弥さんは、あたしがお店にお伺いするたびに、必ず「坂崎先生はお元気ですか?」と聞いてくださる。あたしがここのお店との酒縁を紡がせていただいたきっかけの人のことを、決して忘れていない。その気遣いに、毎回グッとくるのだ。そして兄の哲人さんも、さりげない接客が実に細やか。こちらがスイスイとお酒を吸い込むその様を、仕込みをしながらもよく観察されていて、絶妙なタイミングでチェイサーのお水を足してくださるのだ。なかなかできることではない、と思う。

 この日も、苦味の小ぎみよさが日本酒を呼び込む「きびなご一夜干し」をつまみながら、夏季限定の「花泉 ななろまん」、バターの濃厚な旨味もたっぷりの「カニオムレツ」に「〆張鶴 純」と、呑み継いでいたならば、「呑むの、早いですね」と笑いながら、都度チェイサーの水を注いでくださった。

きびなご一夜干し
花泉 ななろまん
カニオムレツ
〆張鶴 純

 さて、帰路に着く前の一杯を楽しみに来られたご夫妻。夫の方がこちらの常連さんで、ご自身の先輩に連れて来られたのがきっかけなのだそう。現在その先輩は、体調を崩されていらっしゃるそうだけれども「ここにちゃんと先輩います」と隣の空席を指し示しながら、日常送り迎えもされるなど、現在は先輩をサポートされていることなどを話してくださった。酒の縁は絆が堅いですねぇ。その先輩からの酒縁で、お父様が健在の頃は、一緒に旅行もされていたそう。

「父は、人を楽しませることが大好きだったんですよ」と兄・哲人さん。毎年、4、50人ほどのお客さんたちを集めて、バスを仕立てて酒蔵めぐりの旅をされていたそう。名付けて「純米酒会」。それぞれに役割分担をしながら年1回の恒例行事。また、噺家さんの定例会にも常連さんたちと参加されたりと、人を集めて遊ぶことがお好きだったのだそう。「何もすることがない人(=父)だからできるんですよ」と兄・哲人さんは笑うが、お人柄の好さが伝わってくる。

 そのお父様は、とっても趣味人でもいらっしゃった。敷き紙の上に置かれた箸置きは、石。これは荒川の河川敷で拾ってきたもの。研磨をかけているわけでもないのにちゃんと箸を置きやすい平べったい形に統一されているのも見事。お店オープン記念などで作られた各地のざっかけない古い猪口をコレクションされていたりもした。

 店内に貼られた手書き標語もふるっている。

「お酒は美味しいうちが花。ほどほどに」

 確かに。反省、猛省。

敷き紙の上に置かれた石の箸置き

 今日はこの辺にして、「鈴本演芸場」へ行こうか。ほろ酔いできく落語が最高なのだ。

 ちなみに「鈴本演芸場」では、館内で缶ビールも販売されており、お弁当片手に呑み食いしながら高座を楽しめるのもいい。まるで昔ながらの芝居小屋のような雰囲気なのだ。また、「鈴本演芸場」のHPでは「夜行列車」のことも紹介されており、席亭お気に入りの酒場でもある。

 そうそう。思わず演歌を口ずさみたくなる店名と書いたけれども、ここのBGMは、80年代ロック&ポップス。バンドを組んでいる弟・俊弥さん選曲だ。「父はジャズが好きでしたねぇ」と兄・哲人さん。時代、世代の移り変わりと共に変容をしていく。それこそが、次世代に受け継がれていく酒場のあり様なのかもしれない。

店名 純米酒Bar 夜行列車
住所 東京都台東区上野6-13-4
電話番号  03-3832-5409
営業時間 月・水・木・金・土・日・祝前日16:0023:00L.O.22:30
定休日 火曜
アクセス JR上野駅、京成本線京成上野駅より徒歩3

メニューは時期などによって替わります。