第3話 I lit a fire

 冬のはじまり、誰も来ない夜である。店内を照らす電球、時計の振り子の音、ストーブの薬缶からたちのぼる湯気もよそよそしい。僕に話しかけてくれるのは、いつもながらのラジオ深夜便だけだ。今夜の二時台は久石譲特集、ムードは悪くない。人のいない店内でよく響いている。今日の売上はゼロだった。

 開店してから、こんな夜はいくらでもあった。もともと深夜に出歩く人などほとんどいない町であるから、深夜に訪れるお客さんが少なくともおかしくない。ただ、僕の店に限っては、客足が絶えない夜もあったのだ。一人ずつに確かな手応えがあった。今年はこれまでに輪をかけて客足が遠のき、頭ひとつ抜けない。「不景気」という、つまらない文字がちらつく。表に出て煙草を吸う。言い訳に火をつけて、息を吐く。

 今年の六月頃に尾道市内にあったローカルチェーンの書店が閉店した。創業の地であっただけに地元から書店がなくなることに悲しむ声は多かった。とあるマダム達が店に訪れた際も残念がる声を漏らしていたが、僕は毒づく。

「そんなこと言ったって、誰も本買ってないでしょう? 古本屋はともかく新刊書店は厳しいですよ。うちでも一冊くらい買ってくれたらいいんですけどねぇ」と最後は彼女たちに釘ひとつ。店内に入るなりいい雰囲気ねぇと口をついていたが、ハナから本は買わぬと分かる。油を売られても、うちでは買取しかねる。古本のいい匂いと話すそれは、浄化槽から立ちのぼる下水の匂いだ。

 本屋、古本屋が町に必要だから店を続けている訳ではない。文化の灯を消したくない、という高尚な心も持っていない。明日の一杯の酒のため、一本の煙草のため、一篇の詩となるような時間のために古本屋を生きる。単純に自分の暮らしに必要だから、今夜も店を開けている。誰にも求められていなくとも、僕はこの店を頼りに生きていくしかない。

 

 常連さんが深夜に開く喫茶店を尾道で始めると聞いたのは最近のことだ。深夜の古本屋に続く、はしごできる夜の喫茶店が町にあればいいと長年言い続けていたが、まさか現実になるとは。その人はいつも深夜に訪れては、木下夕爾、木山捷平に太宰治と日本文学の良書ばかりを買っていかれる。もの静かながらチャーミングな雰囲気をまとう彼女が店主ならきっといいお店になるだろう。

「それで営業時間ですけど、朝四時まで営業したほうがいいですか?」

 彼女が大真面目に聞いてきたので、思わず笑ってしまった。夜暮らしの僕が言うのも矛盾しているが、どうか無理だけはしないで欲しい。開店は来年の桃が咲く頃だそうだ。

 

耐震工事の関係で店の周りには足場が組まれ、いつも灯りが漏れる窓も養生のためにベニヤで覆われた。ただでさえ目立たない店が、夜に隠れてしまった。これだと取り壊しに間違えられそうだ。今夜もお客さんは少ないだろう。だが、今夜もストーブを灯す、看板を灯す、ラジオを流す。今夜も火をつける。煙草に、あるいは心に。ポケットの詩に火をつけた。

 

ともしびをともそう

消えることのない火を点けよう

 

昼のさなかには ひとに見えない

けれど

夕方の 薄やみに

あるいは夜になってほんとうに暗い

そんな時に

燃えていることがそれと知られる

 

輝かず

光を放たず

まるい小さなあかるみの内で

静かにひとり燃えてやまない

そんな燈火を この夜ともそう

岩田京子「ともしび」

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