12月18日(水)売るよ

打ち合わせをしていて出られなかった電話の主は、高野秀行さんの新刊『酒を主食とする人々』のゲラをお渡ししていた書店員さんだった。

折り返ししなきゃと思ってスマホを確認したら、留守電が入っており、再生ボタンを押した。

「杉江さん、忙しいところごめん。高野さんのゲラ読み始めたんだけど、これめっちゃ面白いじゃん。これ、売るよ!」

と録音されていた。

本を作っている間というのは本当に孤独で、不安に陥いるものなのだった。

書き手からお預かりしている原稿は当然めっちゃ面白い!と思っているんだけど、もしかしてそう思うのはこの世で自分ひとりなんじゃないかとゲラを読んでいるうちにどんどん編集ブラックホールに落ちていくのだ。

『酒を主食とする人々』は高野さんの魅力が存分に詰まった傑作で、今のところ唯一の読者である私はすごく自信があるのに、やっぱりその編集ブラックホールに引き寄せられていた。

そんな中、初めて第三者の人から「めっちゃ面白い!」と言われたことが編集ビッグバンを起こすほどうれしかった。しかしそれ以上にその書店員さんが「売るよ!」と言ってくださったのが泣けるくらいうれしかった。

そしてまたそれは自分の胸に突き刺さる言葉でもあった。自社の本の売上が芳しくなかったときに、「売れなかった」と言いがちだ。しかしそれは間違っていて、本当は「売らなかった」と言わなければならないのだ。

「売るよ」と留守電を残してくださった書店員さんは、それだけプロフェッショナルなのだった。こんなに心強い言葉はそうそう聞けるものではない。

12月17日(火)山田裕樹『文芸編集者、作家と闘う』

「普通なら初版二万部だが、ゲラを読んでみて、やりようによってはかなりの部数まで化けるかもと感じる作品があったとする。販売・宣伝の現場担当者には、後者の方をやりたがるスタッフも少なからず存在した。そういう彼らと仲良くなり信用してもらうと、編集者の仕事は格段にやりやすくなるのである。」

山田裕樹『文芸編集者、作家と闘う』(光文社)読了。

著者本人も「引退した老人の自慢話と読まれても構わない」と言っており、所々そう感じないでもないけれど、それを圧倒する実績と独特な語り口、そして何より小説を愛し過ぎてる姿に引き込まれた。

山田裕樹氏は、北方謙三、逢坂剛、船戸与一...と錚々たる作家と並走した集英社の名物編集者で、その様々なやりとりと小説論、編集ノウハウが記される。

そして上記に引用したとおり、この編集者は社内を巻き込むのが上手い。熱を伝えて、しっかり宣伝や営業をその気にさせて、愛する小説を売っていく。売るからこそ作家に信頼されていったのだろう。

原稿が届くと「いやあ、面白かった」といった後に、「しかし、もっと面白くする方法があります」と続けるのが得意技だったそうだ。

面白くする方法を考えられる編集者が、今、どれほどいるだろうか。

12月16日(月)二十歳

東大前の本の店&COMPANYさんに注文品を届ける。この居心地の良さはなんだろう。

息子の二十歳の誕生日。新潟にいるので一緒にお祝いすることはできないが、なんだかほっとするのだった。もう自分になにがあっても大丈夫。

12月15日(日)木内昇『雪夢往来』

  • 雪夢往来
  • 『雪夢往来』
    木内 昇
    新潮社
    2,200円(税込)
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    HMV&BOOKS

 晴天。風もないので、父親のお墓参りののち、母親の車椅子を押して散歩。

 いつもならのんびり時間をかけて町内を一周するのだけれど、今日はつい早足になってしまう。なぜなら年末までとっておこうかと思っていた木内昇の新刊『雪夢往来』(新潮社)を読み出したところだったからだ。

 散歩から戻り、母親の昼食を用意してから夢中になって『雪夢往来』を読む。

 あの、北国の暮らしを描いた名著『北越雪譜』が刊行されるまでを縦軸に(なんと紆余曲折あって40年もかかっているのだ!その40年を木内昇は描ききるのだ!)、山東京伝や滝沢馬琴など人気を誇った作家たちの嫉妬や蔑みが版元も交えて大変人間臭く横軸で描かれる(その人物造形の見事たるや!)。

 その物語の芯には、書くとは何か、出版とは何か、が追求され、鬼気迫るものがある。

 介護を忘れる面白さ。さすが木内昇。あっぱれ!

12月14日(土)松永K三蔵『カメオ』

  • カメオ
  • 『カメオ』
    松永K三蔵
    講談社
    1,650円(税込)
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    HMV&BOOKS

 週末介護のため、実家へ。冷たい風が吹いており散歩はあきらめる。

 母親の様子を片目に、松永K三蔵の新刊『カメオ』(講談社)を一気に読了する。

『バリ山行』(講談社)が芥川賞受賞作にしてサイコーオモシロ小説だったので、期待のハードルがぐんぐん上がっていたのだが、そのハードルを軽々超える面白さだった。本来、こちらがデビュー作らしいのだが、気づけば帯にある「行け!行け!カメオ‼︎」と私も叫んでいた。

 カメオというのはひょんなことから主人公が世話をすることになる「眼が小さくぼやけたような顔」の珍妙な犬のことで、物語の後半はこのカメオの処遇をめぐって主人公が揺れ動いていく。

 犬のカメオはもちろん、本来の飼い主であった亀夫も圧倒的な人物造形で、前作の『バリ山行』の妻鹿さん同様、この作家は、助演を描くのが憎いほど上手い。

 そしてこれも『バリ山行』同様なのだが、サラリーマンというか職場や仕事の様子がとてもリアルで、生活をしっかり書けるというのは良き小説の大事な要素のひとつだ。

『カメオ』はまさしく著者が運動する「オモロイ純文」であり、松永K三蔵、唯一無二の面白さである。

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