6月12日(木)ドライブ

直行で高野秀行さんのお宅へ。先日、実家のお父さんの蔵書整理をしたのだが、その空いた本棚に今度は高野さんのあふれてしまった蔵書を並べるという玉突き蔵書整理のお手伝い。

床に積まれた本を古本屋さん御用達の"スズラン"と呼ばれる幅広ビニールヒモでくるくると縛っていると、「杉江さん、その縛り方すごい!」とこの秋からNHKで『平成犬バカ編集部』のドラマ化が決まっている高野さんの奥さんの片野ゆかさんが驚き褒め称えてくださる。

この賞賛はいつもスッキリ隊の古書現世の向井さんがひとり締めしていたのである。ついに私もこの時が来たと鼻の穴を多いに広げてみたのだが、版元営業が古本屋さんのように本が縛れたところでまったく意味がないのだった。

約20本ほど本を縛り、レンタカーのROOMYに積み込む。誰が運転するのだろうと思っていたら、高野さんが運転席に座っているのだった。

かれこれ20年以上高野さんと付き合っているが高野さんが車を運転できるとは知らなかった。宮田珠己さんも含めて3人で奄美大島に行った時も確か宮田さんと私が運転し、高野さんはずっと後部座席にいた記憶がある。

聞けばなんと大学一年のときに免許をとり、その後長い間ペーパードライバーとなり、ペーパーが風化しそうになった頃運転を再開、ここ数年は年に一度、家族旅行の際に青森やら北陸などに超長距離運転をしているらしい。

まるで蝉のようなドライバーではないか。

レンタカーなので登録していない私が運転するわけにもいかず、運を天に任せ、全身を硬直させて助手席に乗り込むしかないのだが、私の足は頑なにそれを拒むのだった。

エンジンがかかったことに喜び、またギアを変えることを忘れつつも、現代の車の進歩により車は無事走り出し、あろうことか高速道路も走って(高野さんは運転免許だけでなく、ETCカードも持っていた!)、八王子の実家に滞りなく到着。

迎えに出てきた高野さんのお母さんが、「ええええ?? 秀行が運転してきたの?!」とびっくりしていたことに、私は仰天したのだった。どうやら親にも免許を持っていることをひた隠しにしていたらしい。

お父さんの書斎に本を運びこむ。そこは壁一面本棚になっており、しかもお父さんが使っていた重厚な机も備わっているのだ。窓からは心地よい風が吹き込み、緑豊かな丘陵が一望にできる。

まさに文豪の部屋。

ここで缶詰になれば毎年3冊くらいソマリランド級の書き下ろし大作が生み出されるのではなかろうかと思ったが、本を運び終えると高野さんはなぜか庭先にこれも車に積んで運んできたSUP(空気をいれて膨らますカヌー)を置き、「これで老人ひとりが住んでると思われないでしょう」とご満悦の様子なのだった。

防犯対策をするにしても他にいくらでも方法があるだろうと、その「間違う力」にツッコミを入れようと思ったが、高野さんのお母さんは「あははは」と笑って喜んでおり、高野家の親孝行は私の常識の外にあるようだった。

とにかく私は今日無事に帰れればいいわけで、カゲロウのような高野さんの運転に身体と運命を任せ、帰路についた。

6月11日(水)サイン本

雨降る中、8時に出社。DM作成の続き。どうにか11時前に終える。

11時に大山顕さんが来社。できたばかりの『マンションポエム東京論』150冊にサインをしていただく。

13時に終了。すぐに市ヶ谷の地方小出版流通センターさんへ見本と短冊を持って訪問。その後、営業。

6月10日(火)ミスこそチャンス

『マンションポエム東京論』の見本ができあがってきたので、初回注文の〆作業に勤しむ。

今回の〆から昨秋頓挫した日販のBookEntry事前申込サービスが再開されたのだけれど、よくよく考えてみれば本の雑誌社は指定注文のみの配本なので、ほとんど関係ないことであった。ただし、計算数の確認やら書店申込数の確認など搬入までに行う手間は増えており、1ヶ月に何冊も新刊を出す出版社の人は面倒がかなり増えたのではなかろうか。

無事データをアップロードしたところに、事務の浜田から昨日の直納した書籍が間違っていたので再納品に行って欲しいと言われる。

いやはや二度手間と思いつつも、「ミスこそチャンスなり」の鉄則に従い、書店さんに向かう。「謝る」というのは最大のコミニケーションなのだ。

夜、高校からの親友であるシモザワくんと浅草橋の西口やきとんで酒。カシラ、レバー、つくねの串を頬張りながら、出会って39年の月日を振り返りつつバカ話に花を咲かせる。

6月9日(月)梅の木を伐る

  • 本の雑誌505号2025年7月号
  • 『本の雑誌505号2025年7月号』
    本の雑誌編集部
    本の雑誌社
    880円(税込)
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    HMV&BOOKS

ゴミ出し前に梅の木を剪定し、一緒に捨てる。どこを切っていいのかわからずネットで検索すると、「桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」という諺を知る。庭に木があるということはそれだけでこんな面倒ごとを産むのであった。

母親を介護施設に送り出し、春日部から出社。

1時半から点検のためエレベーターが止まると告知されており、それまでに定期購読者様分の「本の雑誌」7月号が届くかひやひや見守っていると、12時45分に到着。助っ人アルバイトの鈴木くんと封入作業に勤しむ。

今号の特集は、「メニューを読書する!」で、構想5年、編集部に無視され続けた企画がやっと実現し、うれしいかぎり。

3時過ぎにツメツメ作業終了し、その間にとある書籍を注文いただいた書店さんに本を届けにあがる。

6月8日(日)父親の遺言

一昨年死んだ父親は驚くほど几帳面だった。旅行に行く1週間前には準備をし、旅行カバンは3日前から玄関に置いていた。家や自転車や車の鍵をかけるフックは等間隔で壁に打ち付け、仕事を終えて帰ってきた際には財布や腕時計を並べる場所も寸分違わず決まっていた。

母親の介護で週末実家で暮らしていると、父親の几帳面の痕跡をそこかしこで見つけることになる。

家事というものはやらなければずっとそこにあるわけで、すっかり気温の上がった今日、重い腰を上げて納戸から扇風機を出し、その代わりに石油ストーブを片すことにした。

まず扇風機を箱から出す。その箱は買ったままのぴかぴかの状態で、中に入っている緩衝材の発泡スチロールやビニール袋もそのまんまである。あまりにきちんとしているので片付けることに悩まぬよう写メしたのだった。

扇風機を出し終え、今度は石油ストーブの箱を納戸から取り出す。

そこには父親の字で、「灯油注意」と記されたメモ書きが貼られており、いったいなんのこっちゃと思いながら、石油ストーブを箱にしまった。

納戸の棚に収めるため、石油ストーブの箱を持ち上げる。いくらか灯油が残っていたので、意外と重い。両手でバーベルを上げるように持ち上げたとき、なぜか私の頭に汗が噴き出した。「今日は暑いから...」と汗を拭ったところ、鼻を曲げるほど灯油の匂いが襲ってきた。どうやらこのストーブは少しでも傾けると灯油が勢いよく漏れてくるのだ。

だから、「灯油注意」なのか!

慌てて風呂場に駆け込み、シャワーを浴びる。それでも灯油の匂いはなかなか消えない。

父親の唯一残した遺言が、「灯油注意」って...。

しかし「灯油注意」とわざわざ書いたということは、あの几帳面な父親も頭から灯油を浴びたということだ。

シャワーを浴びながら私は腹を抱えて笑った。

そして泣いた。

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