第1回 「ヤバい宗教に洗脳されちゃったね」と言われるようになりました(前編)

10年来の知り合いから縁を切られる

「なんかよくわかんないけど・・・ヤバい宗教にすっかり洗脳されちゃってない?」

 自分が考えていることを伝えた人たちに、そんなことを言われるようになってから8ヶ月が経過しました。

 もちろん、人によってニュアンスはさまざまです。冗談半分で茶化す人もいれば、真面目な顔をして心配してくれる人もいます。ただ、中でもわりと多いのが、「ま、壺とか買わされないように気をつけてね」などとその場は当たり障りのない話をするのですが、その後いくら連絡をしても音沙汰がなくなってしまうパターン。要するに、「ヤバそうだから縁を切っておくか」という人たちです。

 最初は10年も20年も付き合っていた人たちから、一方的に「関係断絶」されることを寂しく感じましたが、しばらくして、「こっちが悪いよなあ」と反省をするようになりました。相手の立場になってみると、「ヤバい宗教に洗脳されちゃった人」から電話やメールがきたら「何か売りつけられるの?」「何かの勧誘?」と不安になるのが当然です。そのまま「絶縁」したくなる気持ちも、わからんでもありません。

 しかも、その「ヤバい宗教」に対して世間が抱いているイメージを考慮すれば、私との縁を切った人々の対応は、社会人としては極めて常識的な判断だと言えるでしょう。

 なぜなら、この宗教団体に対しては、国のトップであった岸田文雄元首相が「今後一切の関係を断つ」と全国民に対して宣言をしているからです。それだけではありません。日本政府からは宗教法人の風上に置けないとして、「解散」するように命じられているのです。

 ここまで言えばもうお気づきでしょう。周囲の人々が私のことを洗脳している、と思っているのは世界平和統一家庭連合、いわゆる「旧統一教会」なのです。

 この宗教団体については今さら詳しい説明の必要はいらないのではないでしょうか。

 20227月、安倍晋三元首相銃撃事件後、犯人・山上徹也被告の母親が熱心な信者だったことがわかってから、マスコミでは連日のように、高額献金、霊感商法被害、2世信者問題が連日のように取り上げられました。そこでこのような問題の根っこにあるものとして注目をされたのが「洗脳」です。

 信者が生活が破綻するほど献金にのめり込んでしまうのも、霊感商法で人をダマしても罪悪感がないのも、そして我が子に自分の信仰を無理を押し付けてしまうのも、すべて教団から洗脳されて、逆らうことができないように支配されてしまっているからーー。

 旧統一教会問題を追及してきた弁護士やジャーナリストが、テレビやネットニュースでこのような解説をしているのを、みなさんも一度や二度は見かけたことがあることでしょう。そんな「ヤバい宗教」にガッツリと洗脳されてしまった。私のことを周囲の人々は、そのように見ているのです。

 入信をして友人知人に「すごくいい話が聞けるよ」とか誘ったわけではありません。誰かに壺やお札やら高額なものを売りつけたわけでもありません。にもかかわらず、なぜ「洗脳された」と思われてしまうのか。

 理由は単純明快です。実は私は、多くの旧統一教会信者に取材をして本を書いているのですが、その著作の中で彼らについてこんな風に評しているのです。

「個性豊かで好き勝手な言動をする人、教団批判する人もいて、洗脳されているようには見えない。確かにすごく熱心に信仰にのめり込んでいる人もいるが、十人十色でそうではない人たちもたくさんいる。要するに、ユニークな信仰は持っているが、それ以外は我々と変わらない普通の人たちの集まりだ」

 これこそが、周囲から「ヤバい宗教に洗脳されちゃったね」と言われる所以です。実は私は旧統一教会信者にたくさん会って話を聞いているうちに、まんまとミイラ取りがミイラになってしまったのではないかと疑いの目を向けられる「洗脳疑惑ライター」なのです。


 自己紹介が遅れました。私はノンフィクションライターをしています窪田順生と申します。テレビ、週刊誌、全国紙、月刊誌などで経験を積んで独立し、現在はフリーランスで活動をしてネットや雑誌に寄稿をしながら、それらをたまに本にまとめています。

 そうした流れで昨年末、私は『潜入 旧統一教会 「解散命令請求」取材NG最深部の全貌』(徳間書店)という本を出版しました。この中で、私はマスコミがこれまで足を踏み入れることさえできなかった韓国の教団本部や、「聖地」として信者たちが巡礼する場所などに、日本のメディアとして初めて足を踏み入れて、その内情を詳しくレポートしました。そして、教団幹部から末端の信者まで50人以上にインタビューを行い、彼ら自身が霊感商法や高額献金やなど社会の批判についてどう考えているのかという「生の声」も紹介しています。

 そもそも、なぜこのような方向性の取材をしたのかというと、旧統一教会を扱うマスコミ報道を見ているとあまりにも偏っているように感じられたからです。

 少し前のことなので忘れている方も多いと思いますが、あの時期、メディアに登場していたのは「元信者」など被害を訴える方たちと、それを支援する弁護士、そして教団をかねてから追及するジャーナリスト、と相場が決まっていました。「旧統一教会問題」という名称で大量のニュースが流されていたわりに、実のところ、その情報源は現在進行形で教団内部にいる人たちではなく、すべて外部の人間だったのです。しかも、「被害」として訴えているものの多くが実は30年以上も前のことで、この教団だけではなく、日本社会全体のコンプライアンス意識が欠けていた時代背景で起きたことも多いのです。

 もちろん、「もう過去のことだから大目に見てやれ」などと言っているのではありません。ただ、どんな罪を犯した人でも弁護士がついて反論・弁明の機会が与えられるように、どんなに問題を起こした集団であっても、その主張や考えを伝えるメディアがなくては「フェア」でない、と言いたいのです。

 しかも、マスコミが広めている「旧統一教会信者」というイメージにはかなり偏りがあります。教団から洗脳されて自滅するほど高額献金をした、という山上被告の母のケースや、「元信者」の人々の主張に基づいたものですが、それはかなり極端なケースです。当たり前っちゃあ当たり前の話ですが、信者の事情は十人十色です。あまり熱心に献金をしていない人もたくさんいますし、教会の活動には積極的に参加しないような人もいます。2世信者問題も多種多様で、一家全員で熱心な信者で幸せそうにしているところもあれば、4人子どもがいるなかで2人は信仰心がなくて疎遠になってしまうような家もあるという感じで、まさしく信者の数だけ、信仰の形があるのです。

 旧統一教会という団体にさまざまな問題が指摘されているは紛れもない事実ですが、一方でこういう事実にもしっかりとフォーカスを当てるべきではないか。そう考えた私は教団側の主張や、現役信者が今何を思っているのかということをテーマにして取材を始めたというわけです。

 そこで私が辿り着いた結論は「旧統一教会信者は、世間がイメージしているような"洗脳"はされていない」というものです。

 日本社会に「旧統一教会=洗脳」というイメージが広まったのはやはり1992年、当時人気絶頂だった歌手の桜田淳子さんが参加した、いわゆる「合同結婚式」でしょう。当時、私は高校生でしたがワイドショーで、教祖に言われるまま、見ず知らずの相手と結婚をする桜田淳子さんたちを見て「うわ、洗脳って怖いな」と衝撃を受けたものでした。

 ですから、本音を言えば、取材をする前は「そうは言っても、やっぱり信者は目がギンギンで、洗脳されちゃっている感じだろうな」と身構えていたのですが、実際に多くの信者に会ってみると、拍子抜けしました。

 驚くほど "洗脳感"がないのです。。

 信者のみなさんは個性が強く、おしゃべり好きで、本部への不満も含めてみんな好き勝手な言動をしているのです。よく言えば自由、悪く言えば、組織としてのガバナンスがまったくありません。実際、現役信者の間では「統一教会っていうわりにまったく統一されていない」なんて自虐的なジョークもあるほどなのです。

 そんな明るいムードなので、信者の中には「洗脳」を"笑いのネタ"にする人も少なくありません。例えば、「うちの息子がぜんぜん親の言うことを聞いてくれない。ああ、洗脳できたらどんなにラクか」とか「本当に洗脳できるんなら、まずうちの奥さんを洗脳してくれませんかな」なんて感じで、自分たちとまったく別の世界のことだと笑い飛ばしているのです。

 しかし、「旧統一教会=反社会的な洗脳カルト」というイメージが定着している世の中に対して、そんなことを言ったところで「なるほど、そうだったのか」と納得されるわけがありません。ほとんどの人は「ウソをつけ」という反応でしょう。

旧統一教会信者が「普通の人たち」であってはならないのか

 まず私は、ネットやSNSでボロカスに叩かれました。

「カルト教団の主張をそのまま垂れ流すとはあいつらと同罪だ」「潜入じゃなくて教団から頼まれて宣伝しただけだろ、恥を知れ!」「洗脳されている人間にインタビューなどしても意味がないことがわからないのか」なんて批判がよく寄せられたものです。

 もちろん、メディア業界の同業者で、さすがに私に面と向かって罵詈雑言を投げかけてくる人はいませんでした。が、「陰口」が伝わってきました。例えば、ある有名ジャーナリストの方が、若い編集者たちに私の本を挙げて、「この本は取材をする者としてもっともやってはいけないことをやっているので反面教師にすべき」と吐き捨てるように言った、と聞きました。反社会的カルトを叩くどころか、その主張に耳を傾けるなど職業倫理に反しているというわけです。

 このような「悪評」は徐々に広まっていくので当然、私の仕事にも影響を及ぼしていきます。『潜入 旧統一教会』を出してほどなくして、ある取引先から長年やっていた仕事を打ち切られてしまったのです。担当の方は申し訳なさそうにこう言いました。

「上の人間が、"旧統一教会と関係のある人間を使っているのか"みたいなクレームがきたらどうするんだとか心配していまして。大変申し訳ありませんが、ほとぼりが冷めるまでお仕事の発注を控えさせてください」

 私のような個人事業主が反論できるわけがありません。今回、取材をした旧統一教会信者の中には、職場、近所、地域社会に自分の信仰を隠している人が少なくありませんが、彼らの心情を、私も身をもって理解することができました。

 とはいえ、私もこの仕事を長く続けてきたので「想定内」の部分もあります。書いた記事で恫喝をされたこともよくありましたし、本を出した後、ある大企業に呼びつけられて、著書の回収を要求され、受け入れられないなら法的措置をとるなどと脅されたこともあります。このようなリアクションをされることも含めて、「ものを書く」ということだと私は考えているのです。

 ですから、周囲の人々から「ヤバい宗教に洗脳されちゃっている」と見られることに関しても当初は、ほとんど気に病むことはありませんでした。

 もう15年くらい毎週、ネットニュースで社会的なテーマで記事を書いている関係で、ネットやSNSでは見ず知らずの人たちから「死ね」「低脳」「中学からやり直せ」などの誹謗中傷を日常的に受けてきました。時には、私よりも家族が傷つくような酷い罵声を浴びることもあります。それらの言葉の暴力に比べると「洗脳されちゃっている」というのは、まだ優しい言葉なのでした。

【第1回「ヤバい宗教に洗脳されちゃったね」と言われるようになりました(後編)に続く】