第一回 昭和100年に女の100年を考える

 2025年は昭和100年にあたるらしい。
 らしいというのは、実は編集者に指摘されるまで考えたこともなかったから。
 算数に弱いわたしは1926年の100年後は2025年? 2026年ではなく? なんて思ったくらいのボンクラぶりである。
 我ながら呆れる。
 今まで「明治・大正・昭和」と名のつく本を2冊書いてきた。
 明治から太平洋戦争前までのいわゆる近代についての本も数冊書いた。
 そのどれも、興味の対象が「点」であって「線」や「面」として捉える感覚が鈍かった。
 そんな反省も踏まえ、せっかくなのでこの機会に昭和元年から現在までの女の100年を、さまざまな女たちとさまざまな角度から振り返ってみようというのが本連載「昭和100年女リレー」の企画意図である。
 第一回の今回は、自己紹介がてら、自分が生きてきた54年を振り返ってみよう。
 
 わたしは1970(昭和45)年、昭和100年の約半分の時期に生まれた。
 いわゆる「団塊ジュニア」、日本最後のボリュームゾーンである。
 70年といえば、「人類の進歩と調和」を掲げた大阪万国博覧会が開催された年である。
 日本における第二波フェミニズムである「ウーマン・リブ」という言葉がメディアに登場したのも、70年10月4日付朝日新聞だという(加納実紀代「侵略=差別と闘うアジア婦人会議と第二波フェミニズム」)。
 73年には第一次オイルショックが起こり、トイレットペーパーの買い占めが発生。
 右肩上がりの高度経済成長から一転、消費低迷が囁かれた時期だ。
 とはいえ、小学生の体感的には世の中はまだ明るかった。
 当時は、大震災といえば関東大震災だったし、パンデミックといえばスペイン風邪、いずれも教科書の中の遠い過去の出来事だった。
 日本の専業主婦率は75年がピークで既婚女性全体の60%ほど(男女共同参画局)というが、同級生のお母さんたちも専業主婦が多かったように思う。
 80年代初頭、1ドル約250円の時代にお父さんだけの「1馬力」で家族で海外旅行に行く友だちもいた。
 75年、国連は「国際婦人年」を制定、79年には「女性差別撤廃条約」が採択される。
 国際的な潮流(外圧ともいう)に後押しされて、日本は80年に「女性差別撤廃条約」に署名し、85年には「男女雇用機会均等法」を施行した。
 この法律は一見よさそうに見えるが、罰則がないために履行されなかったり、女性を一般職にばかり採用するなど「均等」とはほど遠かった(いまだにその傾向は続いている)。 
 85年の「プラザ合意」をきっかけにバブル景気がやってくると、男女それぞれがそれぞれなりに賃金が上がり消費が加速。
 女性たちは肩パッドを入れたスーツを着こなし、ブランドバッグを持って、彼氏に車を出させ、ご飯を奢らせ、「オヤジギャル」を自称した。
 大学生になったわたしにとっても、90年前後のアルバイトは汲めども尽きぬ泉だった。
 こき使われるファミレスを辞めて食品売場の試食係を紹介してもらうはずが、気がつけばなぜかコンパニオンになっていた。モーターショーとかデータショーなどの展示会でニコニコ立っている、あのコンパニオンである。ちょうど会場が晴海から幕張メッセに移る頃だった。
 91年、日経平均株価が急激に下がり、バブル崩壊。
 大学卒業後にデザイン事務所に就職して雑誌や書籍のデザイナーとなったのが翌年の92年である。
 しかしながら、出版業界の90年代はまだまだ「イケイケ」だった。
 95年に起こった阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件辺りから雲行きが怪しくなってきた(遡れば、91年の湾岸戦争の自衛隊派遣あたりかもしれないが)。
 出版不況が始まったのが2000年代半ばごろのこと。
 生臭い話で恐縮だが、仕事の単価が目に見えて下がってきた。
 初めて本を出したのが08年で、2冊目が出た09年にはリーマン・ショックがやってくる。
 以降、21年までの12年間は本が出せなかった。
 バブル崩壊から言われた「失われた10年」が「失われた20年」になり、いつの間にか「失われた30年」に延長されたのと同様、わたしの40代もまるまる「失われ」てしまった。
 その間、大学図書館で働き始め、今も働いているが、例に漏れず雇用形態は非正規である。 
 
 とまあ、「景気とわたし」を振り返ってみたが、この景気とやらが実は女の運命を大きく左右していたことを、今回100年分の年表をつくってみて如実に感じたのである。
 人手が足りなければ、穴埋めに駆り出され、労働を称揚される。
 足りていれば、家庭で男の応援団を強制され、産めよ殖やせよの大合唱。
 こんな単純なことなの? と驚いた。
 
 とはいえ、女もこの100年でずいぶん賢くなった。
 働きかける運動も、多分に戦略的になってきた。
 そして大いなるバッシングに遭って転んだり学んだりした。
 でも少なくともこの100年で、女と男とその他の人たちで協力するしか道はないという共通の認識まで漕ぎ着けたような気もしている。
 今のままでは先に進めない。
 その証左が、ジェンダー多様性の研究や「失敗学」、「男性学」の発展であるように思う。強ければいい、勝てばいいでは済まないことが見えてきたのだ。
 では、この先どのようにすればみんなが幸せになるのだろう。

 この連載では、女の100年を「メディア・流行」、「結婚・家庭・育児」、「政治・経済」、「事件」といった切り口をテーマに対談していく。
 過去100年を振り返りながら、次の100年をみなさんと一緒に考えることができたら幸いである。