« 第63回 | 一覧 | 第65回 »

第64回:阿部 和重さん (アベ・カズシゲ)

阿部 和重さん 写真

構想において手法において、つねに小説という手段で冒険を続ける阿部和重さん。新しい試みを続ける彼も、実は、過去の本からさまざまな影響を受けているといいます。はじめて自分で買い、今でも大きな存在となっている本とは? 小説の“発見”となった一冊とは? そして、いつかはこんな小説を書いてみたい…と思っている、名作のタイトルとは。意外なタイトルが次々飛び出すインタビューとなりました。

(プロフィール)
1968年9月23日、山形県東根市神町生まれ。94年『アメリカの夜』で群像新人文学賞、99年『無情の世界』で野間文藝新人賞、2004年『シンセミア』で伊藤整文学賞及び毎日出版文化賞(文学・芸術部門)、05年『グランドフィナーレ』で芥川賞をそれぞれ受賞。主な著書に、『ABC戦争―plus 2 stories』『ニッポニアニッポン』『映画覚書 Vol.1』『阿部和重対談集』などがある。
公式サイト http://www.sin-semillas.com/

【最初の出会いは武道の本】

アメリカの夜
『アメリカの夜』
阿部和重(著)
講談社
560円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
ソウルファイティング 魂の武器
『ソウルファイティング 魂の武器』
ブルース・リー (著)
風間 健 (編)
福昌堂
1,200円(税込)
※絶版
>> Amazon.co.jp

――はじめて読んだ本の記憶というと?

阿部 : 小さい頃に本をまともに読んだという記憶はないんですよね、もの忘れがひどくなっているということもあって(笑)。いわゆる子供向けの『怪獣大百科』や『〜のひみつ』と言った本は家にあったとは思うんですが…。自分で本屋でこれを読もうと思って手に取った本としてお話しできるのは、僕のデビュー作『アメリカの夜』の冒頭にも出てきますが、ブルース・リーの『魂の武器』です。買ったのは小学校6年生の時かな。

――小学生で、自分で本を買ったんですか。

阿部 : うちの実家の真向かいが書店なんです。今もお世話になっている本屋さんです。もともとは他所にあったのが小4くらいの時に向かいに越してきた。読まないなりにも、よく行ってどんな本があるか眺めていました。たしか、その本屋さんに『魂の武器』があったんです。編著者は風間健という武闘家で、その人がまとめた本なんですが、著者がブルース・リー。そんなものがあるなんて、とビックリして、小学生にはちょっと高価な本でしたが、実家のパン屋のレジからお金を抜き取ったか何かして(笑)、買ったんです。

――武道の本ですよね。

阿部 : ジークンドーという、ブルース・リーが創出したマーシャルアーツの解説本です。その原理などが図解入りでまとめられている。小学生が読むにはかなり難解でした。そもそもブルース・リーはアメリカに渡って大学で哲学を学んでいた人なので、哲学的な言葉も散りばめられていて。でも非常に憧れて、こういう風になりたいと思って、それで何をやったかというと、僕も自分の武道を作ろう、とノートに書き始めたんです(笑)。

――え、新しい武術を作り出したのですか?

阿部 : 結局は本の丸写しで(笑)。何も作ってはいないのに、こういうことを俺もやっていこうと思って。つまり、子供の頃から引用していたわけです。その後の僕の創作に直結していましたね、よく言えば(笑)。悪く言えば、ただのパクリでしたけれど。でも、いろんな意味でその本には大きな影響を与えられました。僕にとって欠かせない一冊。その後武道の道には進んでいないんですが、一冊の本に秘められた可能性は直接的な内容だけに限定されないということを僕に示唆してくれました。結果的には武道の本が小説になったわけです、題材にしましたので。

――ブルース・リーは映画で観たんですよね。その頃から映画はお好きでしたか。

阿部 : 子供の頃から小説より映画のほうが好きで、映画監督になりたかったんです。もとは父親が映画好きで。パン職人なんですが、60年代の、ちょうど映画というジャンルが熱かった頃に東京に修業に来ていたことがあって、いろんな映画を観たようです。その影響だったのか、よく映画を観に連れていってくれたんです。それこそ元旦の初詣での後に映画を観たり。家の真向かいが書店だったと言いましたが、また隣が映画館だったんです。よくインタビューで話すんですが、真向かいが書店、その隣が銀行で、その隣が映画館。僕は小説を書いたり、映画評を書いたりしてお金を稼いでいますから、非常に単純な人生を生きているわけです(笑)。

――ずっと同じ環境にいるという(笑)。

阿部 : ただ、その映画館は進駐軍が地元に来ていた頃にできたもので、当初はいろんな映画を上映していましたが、70年代くらいにはポルノが主体になり、普段は子供が観るものはやっていませんでした。夏休みに東映まんがまつりをやったり、たまにヒット作がかかったりはしていました。なのでそこで観ることもありましたが、山形市内に出ていって観ることも多かった。

――『魂の武器』以外、何を読んだか記憶にありますか。

阿部 : 活字に触れるという点では、漫画と、あと映画が好きだったので、映画雑誌も読んでいました。子供だから写真があったほうが楽しいので『ロードショー』を読んでいましたね。きっかけは、兄貴が買ってきたんです。ちょうど映画の『スター・ウォーズ』がアメリカで話題になっていて、日本でも公開される頃で、特集号を買ったんですね。それから毎月買うようになりました。付録がいろいろついているんですが、「世界の名作映画100選」といったような、小さなブックレットがついていたことがあって、その本をずっと見ていた記憶があります。当時はまだレンタルビデオがなくて、観たいなー、と思いながらあらすじと解説を読んでいました。

――どんな映画が選ばれていたんでしょうかね。グリフィスとかってあったんでしょうか。

阿部 : グリフィスはなかったですね。サイレント映画はあってもチャップリンくらいだったかもしれません。60、70年代の映画が多かった気がします。アメリカ映画以外のものもあって、『大いなる幻影』とか『暗殺の森』は取り上げられていたと思う。もう忘れちゃいましたが。それを読んでどんな映画か空想して、観た気になっていました。

【デヴィッド・ボウイが指南役】

スター・ウォーズ/ジェダイの復讐
『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』
ジェームズ・カーン(著)
竹書房
620円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
連帯惑星ピザンの危機―クラッシャージョウ〈1〉
『連帯惑星ピザンの危機―クラッシャージョウ〈1〉』
高千穂 遙(著)
朝日ソノラマ
580円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com

クリスチーネ・F
『クリスチーネ・F』(DVD)
キングレコード
4,935円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
洪水はわが魂に及び (上)
『デヴィット・ボウイー ブラックブック』
シンコーミュージック
2,500円(税込)
※絶版

禁色
『禁色』
三島由紀夫(著)
新潮社
780円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
公爵夫人邸の午後のパーティー
『公爵夫人邸の午後のパーティー』
阿部 和重(著)
講談社
1,575円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com

仮面の告白
『仮面の告白』
三島由紀夫(著)
新潮社
460円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
午後の曳航
『午後の曳航』
三島由紀夫(著)
新潮社
380円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com

――小説はまったく読まずに?

阿部 : ノベライズを数冊読みました。『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』を読んだ記憶があります。公開される前に、待ちきれなくて読んだのかな。『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』のノベライズも読んだような気がします。それと、中学生の頃にガンダムが流行って、僕もガンプラを作ったりする程度には好きだったんです。その関係で、ガンダムのキャラクターデザインを手がけた安彦良和がイラストを担当した、高千穂遙の『クラッシャージョウ』のシリーズを2冊くらい読みました。『ダーティペア』は、読んだかどうかは忘れたな…。いわゆる純文学に関して言うと、最初に買って読んだのは三島由紀夫でした。

――三島を読んだきっかけは。

阿部 : デヴィッド・ボウイが好きだったんです。中2か中3の頃、『クリスチーネ・F』というドイツ映画が公開されて。少女がヘロイン中毒になってしまうという実話を元にした内容だったんですが、ベルリンでのライブシーンでボウイがゲスト出演しているんです。ボウイの歌は、レコードではなくカセットテープを買って聴いていた。『デヴィッド・ボウイー ブラック・ブック』というバイオグラフィーを読んで、その本などから映画やロック以外のアートの知識も少し学びました。リンゼイ・ケンプとかディヴィッド・ホックニーの名前はその本で知ったんです。ウォーホルはもう知っていたかな。一番大きかったのはウィリアム・バロウズだった気がする。僕みたいな、当時の田舎の中学生には、名前を覚えるだけで精一杯でしたが、とにかく、そういう人たちがいるんだ、という事実が強く頭に残った。それで、同じ頃に『戦場のメリークリスマス』も公開されたんですが、三島の『禁色』の影響がある、みたいな内容の作品紹介の記事を読んだんです。その直後に、『Forbidden Colours』という、坂本龍一のテーマ曲にデヴィッド・シルヴィアンのボーカルの入ったバージョンを聞いて、これはよまなきゃいかんな、と思ったわけです。『禁色』に鏑木夫人という人が出て来るんですが、僕の『公爵夫人邸の午後のパーティー』の楠木夫人は『禁色』のちょっとしたパロディーなんです。

――そうだったんですか。

阿部 : 『禁色』は内容としてはゲイカルチャーを描いたもので、老作家が女性たちに復讐する話ですね。三島は他に『仮面の告白』なども読んで、僕にとって最初の純文学のイメージ。教科書で夏目漱石などに触れることはありましたが、ちゃんとは読んでいなかった。ああ、今思い出したんですが、日米合作で映画化された『午後の曳航』のテレビ放映を観たら、エロかったんですよ。お母さんと船乗りができちゃって、それを息子が邪魔をする。で、学校に読書感想文を提出しなくちゃいけない時に、『午後の曳航』を読んで書きました(笑)。中学3年生か、高校1年の時だったと思います。

――それから三島にハマった、というわけではないんですか。

阿部 : あくまでも、デヴィッド・ボウイがらみのサブカルチャーの一部として読んだので。つまりその時点では、僕はまだ小説を“発見”していないんです。小説というジャンルそのものに関心を向けるようになったのは、映画学校に入学してからなんです。

【映画学校時代の読書体験】

――映画を学ぶ中で、本も読まれるように?

阿部 : 小・中学生の頃から、デヴィッド・ボウイに限らず、映画を通じていろんな名前を知りました。映画の『2001年宇宙の旅』ではシュトラウスの『ツァラトストラはかく語りき』が使われているんですが、家の向かいの本屋さんに行ったら『ツァラトストラはかく語りき』という本がある。ああ、これが原作か、と思って読んでみて、あれ、こんな話じゃなかったよな(笑)。でもあの映画もワケ分からないノリだったよな(笑)。なんだろう??? …って、結果的にニーチェっていう名前だけ覚える。小学生の頃はそういう感じでした。

――そうやって実際に読むことも多かったんですか。

阿部 : 子供の頃は、作者の名前やタイトルを覚えるくらいで、内容はあまり知ろうとはしませんでした。

――文化の流れの中に誰が、もしくは何があるか分かればいい、という。

阿部 : 子供の頃なので、単に読むのが面倒だったんでしょう。アニメで『あらいぐまラスカル』ってありましたよね。僕はあれがすごく好きだったんですが(笑)、『はるかなるわがラスカル』という原作があったんですよ。でもそれも書店で「ああ、あるんだな」と手にとって見て、また棚に戻しました。『トム・ソーヤーの冒険』も好きでしたが、本は眺めるだけで読まなかった。確認する以上のことはしなかったんです。

――では、小説と出会うきっかけは。

空の怪物アグイー
『空の怪物アグイー』
大江健三郎(著)
新潮社
500円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
洪水はわが魂に及び (上)
『洪水はわが魂に及び (上・下) 』
大江健三郎(著)
新潮社
各540円(税込)
上巻を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
下巻を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com

阿部 : 先程も少し言いましたが、映画学校に入って知りあった友人たちの影響ですね。こういう作家がいて面白いよ、と教えてもらったりして。学校の特別講師だった淀川長治先生も「映画を撮るなら映画以外の表現も学ぶべきだ」と言われていたので、僕は素直にそうする気になったわけです。友達に薦められて、たしかブームになる直前くらいの時期に『ライ麦畑でつかまえて』も読みましたが、それよりももっと一番インパクトがあったのは大江健三郎でした。仲のいい友達に「大江健三郎という人がいて、すっごいいいよ」と言われて最初に読んだのが短編集の『空の怪物アグイー』。その中に「不満足」という短編があって、『個人的な体験』以前の「バード」が出てくる話なんですが、これが不良少年たちの、すごくガーンとくる話だったんです。これは面白い! と思って、それまでの僕の純文学のイメージが一変されました。

――小説の“発見”ですね。

阿部 : それがきっかけで大江にハマりました。最初に「不満足」を読んだのが大きかった。当時の自分の感覚として、遠くない感じだったんです。純文学にそういう近さを感じるとは考えてもみなかった。『禁色』は、あれであれで面白いですが、でも大江の「不満足」は、18歳くらいの僕にとってもかなり身近でした。もちろん書かれているのは60年代で20年くらいの隔たりがあるけれど、そんな感覚はまったくなくて。いわゆるお勉強をしているような人たちでない奴が書かれている。ストリート感覚があった。僕もお勉強しているほうではなかったので(笑)、そういう人間が描かれた日本の小説もあるんだと感動しました。

――そこから大江作品をかなり読まれたわけですね。

阿部 : 一番好きなのは『洪水はわが魂に及び』ですね。評価が高いのは『万延元年のフットボール』だし、すごい作品だと僕も思いますが、最も好きなのはやはり『洪水はわが魂に及び』です。

――それは、どうしてでしょう。

阿部 : 「不満足」は3人くらいの不良の話でしたが、それが大きな物語に拡大されているんです。障害を抱えた息子とお父さんがいて、親子を通して不良少年たちを見ている。連赤事件を題材にしていて、核シェルターに籠もって機動隊と闘ったりして、その筋立て自体が劇的に面白い。大江好きの友達と「いいね」と話した記憶があります。言葉というものをどういう風に扱って表現するか、語彙の選択という点でもかなり影響を受けました。障害を抱えた子供の台詞がすごくて。鳥の声を聞き分けることができる能力を持っていて、「あれは○○、ですよ」と言うんです。その「ですよ」という柔らかな言い回しから受ける、高度に非人称的な印象。たったそれだけの言葉使いでフィクション的な濃度が高まる。そういう力があるんだって初めて知りました。この本には深い感銘を受けましたね。

――教えてくれた友達に感謝ですね。

阿部 : 今でも仲がいいですよ。

【最初に書き始めたのはシナリオ】

――文章を書こうと思ったきっかけは。

阿部 : 学校で、シナリオを書く授業があったんです。2年になると専門のコースに分かれるんですが、1年の時はみんな同じで、全員が短編のシナリオを書かせられる。夏休みに入ると、長いシナリオを書く課題が与えられました。そこから物語を言葉で書き表す作業に取り組むようになり、その後は宿題がなくても独自に書くようになったんです。書けたら、友達に読んでもらっていました。

――その頃はどんな作品を書いていたのですか。

阿部 : 最初に書いた長編のシナリオは、今にして思えば出来損ないのメタフィクションみたいなものでした。タルコフスキーの『ストーカー』とキューブリックの『時計じかけのオレンジ』とフェリーニの『81/2』をミックスしたような(笑)、いかにも18歳の学生らしい若々しい代物でした。たしかアレハンドロ・ホドロフスキーの『エル・トポ』がパルコパート3で公開された頃で、あれもシンボリックなイメージを使いまくっている映画なので、そのまま影響を受けて書いた気がします。でも、指導教官の判定は「自己過信が強すぎる」とかで、まあそうかと思いましたけど。

――大江さんの他に読んでいた本は。

かもめのジョナサン
『かもめのジョナサン』
リチャード・バック(著)
新潮社
500円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
イリュージョン―悩める救世主の不思議な体験
『イリュージョン―悩める救世主の不思議な体験』
リチャード・バック(著)
集英社
1,680円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com

裸のランチ
『裸のランチ』
ウィリアム・バロウズ(著)
河出書房新社
1,050円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
ブレストの乱暴者
『ブレストの乱暴者』
ジャン・ジュネ(著)
河出書房新社
1,260円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com

第四間氷期
『第四間氷期』
安部公房(著)
新潮社
540円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
ニューロマンサー
『ニューロマンサー』
ウィリアム・ギブスン(著)
早川書房
840円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com

カウント・ゼロ
『カウント・ゼロ』
ウィリアム・ギブスン(著)
早川書房
945円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
モナリザ・オーヴァドライヴ
『モナリザ・オーヴァドライヴ』
ウィリアム・ギブスン(著)
早川書房
882円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com

阿部 : リチャード・バックの『かもめのジョナサン』『イリュージョン』なんかも読みましたが、案外面白かった。どちらも、「特別な自分」という「中二病」的な自意識を抱きがちな若者にはぐっとくる作品じゃないでしょうか。ただ『イリュージョン』の物語は、『かもめのジョナサン』の結論を否定するような形ではありましたが。あと、ちょうど河出書房新社からハードカバーでバロウズの『裸のランチ』やジャン・ジュネの『ブレストの乱暴者』とかが出て、それらも見つけてすぐに買って読みました。ここでつながるわけですね、デヴィッド・ボウイに。俺これ知ってるわ! って。

――それまでバロウズは絶版だったわけですね。

阿部 : 僕は中原昌也ほどの熱心な読書家ではなかったので、古本屋に行ってサンリオ文庫を入手する、とまでいかなかったんです。バロウズに関しては、なによりもまずジャンキー作家の小説という先入観で入ったのですが、『裸のランチ』を読んでみたら、内容はもう忘れてますが、当時の僕はSF的に捉えていたような気がします。そういえば安部公房にも一時期ハマって、結構読みました。一般的にも評判の高い『第四間氷期』がすごく好きで。あれもSFですよね。それとちょうどその時期、80年代半ば、サイバーパンクSFが流行っていましたね。僕もいくつか読んだんです。ウィリアム・ギブスンの電脳三部作…『ニューロマンサー』『カウント・ゼロ』『モナリザ・オーヴァドライヴ』。ブルース・スターリングの『スキズマトリックス』、グレッグ・ベアの『ブラッド・ミュージック』、ジョージ・アレック・エフィンジャーの『重力が衰えるとき』、ルーディ・ラッカーの『ソフトウェア』など…。いくつかサイバーパンクを読んだところで、それ以前のSF作家も読むようになりました。ハインラインの『夏への扉』を読んでいい話だなー、と思ったりしながら、辿り着いたのが、ディックだったんです。

――フィリップ・K・ディック。

阿部 : ブルース・リー、大江健三郎に続いて、ものすごく自分の中で大きかったのが、ディックですね。これはすごかった。『ヴァリス』を読むのはずっと先なんですが。卒業してシードホールでバイトしている頃だったのかな。小説を書こうと思っていた時期だったかもしれません。

――ディックからは、どんな影響が?

阿部 : 現実の多元構造をひたすら物語化してゆく姿勢かもしれませんね。ちっぽけな小道具を使いながら誇大妄想的に話を膨らませて構造を複雑化させてゆくような展開に、僕は惹かれていたような気がします。よく指摘されることですが、ディックはエンターテインメント作家としてそれに取り組みつつ、自身の強迫観念と向き合っていた。いくつか読んでいるうちに、物語を効果的にもりあげるために作品世界をひっくり返しているのか、被害妄想を抱えた作者自身の病みたいなものとして、図らずもそういう構造が出来あがっちゃったのか、判別できなくなってくる。『火星のタイム・スリップ』『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』『ユービック』などに見られる、いわゆる現実崩壊の目眩く展開、世界がどこまでもひっくり返されていくという感覚が、僕にはどこか他人事でないように思えたんですね。その後に行き着いたのが『ヴァリス』なんですが、ガーンときて、結果的に3作目の小説を書いちゃった。それがデビュー作の『アメリカの夜』。『ヴァリス』は、現在に至るまで、僕の中では外せない作品となっています。

――ご自身の小説に大きな影響を与えたんですね。

阿部 : アルフレッド・ベスターの『虎よ、虎よ!』も大きかった。『シンセミア』を書く時にマリファナを吸う場面で活字の級数をいろいろと変えたのは『虎よ、虎よ!』の真似なんです。タイポグラフィー的な実験をしているページがあって、あ、こんなことをしていいんだ! と思ったんですね。何ページかに渡って、小さい文字がだんだん大きくなっていったりする。こういうことをしていいんだ、何でもありじゃん、と。僕は有名なSF小説をちょっとだけ読んだにすぎませんが、受けた影響は大きかったですね。

スキズマトリックス
『スキズマトリックス』
ブルース・スターリング(著)
早川書房
987円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
ブラッド・ミュージック
『ブラッド・ミュージック』
グレッグ・ベア(著)
早川書房
798円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
 
重力が衰えるとき
『重力が衰えるとき』
エフィンジャー(著)
早川書房
903円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
ソフトウェア
『ソフトウェア』
ルーディ・ラッカー(著)
早川書房
630円(税込)
※絶版
>> Amazon.co.jp

夏への扉
『夏への扉』
ロバート・A・ハインライン(著)
早川書房
672円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
ヴァリス
『ヴァリス』
フィリップ・K・ディック (著)
東京創元社
1,050円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
火星のタイム・スリップ
『火星のタイム・スリップ』
フィリップ・K・ディック(著)
早川書房
714円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
パーマー・エルドリッチの三つの聖痕
『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』
フィリップ・K・ディック(著)
早川書房
756円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com

ユービック
『ユービック』
フィリップ・K・ディック(著)
早川書房
756円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
虎よ、虎よ!
『虎よ、虎よ!』
アルフレッド・ベスター(著)
早川書房
924円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com

【シナリオから小説へ】

――バロウズの影響も大きかったそうですが…。

阿部 : 僕がバイトしていた頃に、シードホールでバロウズのショットガン・ペインティングの展覧会があって、同時期に新訳が結構出たんですよね。『ソフトマシーン』とか『ワイルド・ボーイズ』、新作として『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』とか。『シティーズ〜』はバロウズの中でも物語自体が分かりやすいものにできていて。実は、僕の処女作は『シティーズ〜』の影響を受けて書いた記憶があります。そのときも群像新人賞に応募しましたが、目茶苦茶な内容だったので、一次にも通りませんでしたが。

ソフトマシーン
『ソフトマシーン』
ウィリアム・バロウズ(著)
河出書房新社
788円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
猛者(ワイルド・ボーイズ)―死者の書
『猛者(ワイルド・ボーイズ)―死者の書』
ウィリアム・バロウズ(著)
ペヨトル工房
2,039円(税込)
※絶版
>> Amazon.co.jp
シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト
『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』
ウィリアム・バロウズ(著)
思潮社
2,528円(税込)
※絶版
>> Amazon.co.jp

――小説を書き始めたのはいつ頃ですか。

阿部 : 21歳か22歳の時ですね。25歳の春に群像の新人賞を受賞したんですが、それまで毎年1作書いて送っていて、ちょうど3作目で受賞したので。卒業した頃、映画学校が主宰しているシナリオコンクールがあることを知って。入選すると映画化されるみたいな話だったので、その賞をもらって映画を撮ろうと思ったんです。ところがものすごく分厚いシナリオができちゃって。規定外じゃん、と思ったら、枚数の指定がなかったので、いいやと送ってみたけれど何の連絡も発表もない。時間が過ぎて、ある時送り返されてきたんです。どういうことだろうと開けてみたら、「今回は応募作が二編しか集まらなかったので中止にします」(笑)。なんじゃそりゃと思って。

――そういうことってあるんですねえ。

阿部 : まあ、僕にも長すぎるものを書いてしまった、という反省もあり、むしろ小説だろうと考え直したんです。

――シナリオを書くことと小説を書くことは、かなり異なるのでは。

神聖喜劇〈第1巻〉
『神聖喜劇〈第1巻〉』
大西巨人(著)
光文社
1,100円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
挟み撃ち
『挟み撃ち』
後藤明生(著)
講談社
1,029円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com

ドン・キホーテ〈前篇1〉
『ドン・キホーテ〈前篇1〉』
セルバンテス(著)
岩波書店
798円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
トリストラム・シャンディ
『トリストラム・シャンディ』
ローレンス・スターン(著)
岩波書店
840円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com

失われた時を求めて(1)
『失われた時を求めて(1)』
マルセル・プルースト(著)
集英社
930円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
ロビンソン・クルーソー〈上〉
『ロビンソン・クルーソー〈上〉』
ダニエル・デフォー(著)
岩波書店
798円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com

阿部 : シナリオは映像化が前提だから必要最小限に書かなければならない。でも僕は全部表現したくてなんでもかんでも書き込むようになってしまった。言葉のみの表現の面白さも分かりかけてきて、文学への関心もすでに持っていた。それで、シナリオと小説を分けるべきだと考えたんです。シナリオはシナリオとして形式に沿ったものを書き、どこまでも書き込んでOKなものとして小説を書こうと。そんなふうに明確に自覚して切り替えられたのは、もしかしたら文芸批評を読んでいたことが大きかったのかもしれません。

――文芸批評ですか。

阿部 : 僕にとって重要な作家を挙げましたが、それと同じ、あるいはそれ以上の影響を受けたのは蓮實重彦ですね。映画評を読んだことから文芸批評も読み、そこで批評というジャンルのことを知り、すると当然、柄谷行人の文芸批評にも触れることになる。それがまた大きかった。その過程で、単に小説というジャンルを楽しむだけでなく、それがどのように組み立てられているのか、そこからどういった意味が読みとれるのか、どんな文脈で書かれた作品なのか、多元的な視点を自分の中に養うことができたと思います。そうやって批評から学びとったことと、もともと持っていたメタフィクショナルな形式への志向性が自分の中で合致した気がします。自分の身体感覚に合っていたんでしょうね。批評を介して触れることになった小説で多大な影響を受けたのは、大西巨人の『神聖喜劇』、後藤明生の『挟み撃ち』。どちらも決して古びない、完璧な小説ですね。これらはデビュー作にほとんど出していますが、海外のものは、セルバンテスの『ドン・キホーテ』、ロレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』…。『ドン・キホーテ』もメタフィクションだし、『トリストラム・シャンディ』も構造が恐ろしく入り組んでいる。そのあたりの作品を読むことで、小説ってなんでもありなんだなと改めて理解したわけです。ラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエル物語』はまだ読んでいないんです。読まずに小説家になってしまって、今に至るまで読めていない。

――長編はなかなか読む時間がないですよね。

阿部 : でも、23、4歳の頃にプルーストの『失われた時を求めて』を読みましたが、やっぱり面白かった。こんな長いもので面白いと思える瞬間があるのかなと、気後れしながら手に取りましたが、読んでみたら物語として圧倒的に面白い。しかも中盤に、えっ、シャルリュス男爵が実は! という驚きがあって。あれは考えもしなかった。あと、これは話したことはなかったんですが、ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』はかなり影響の大きい作品ですね。

【こんな小説が書きたい】

ABC戦争―plus 2 stories
『ABC戦争―plus 2 stories』
阿部和重(著)
新潮社
500円(税込
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
言葉と物―人文科学の考古学
『言葉と物―人文科学の考古学』
ミシェル・フーコー(著)
新潮社
4,725円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com

――『ロビンソン・クルーソー』ですか。

阿部 : ああいう小説が書きたいんです。もちろんあのまんまではなく、あのようなものがいずれ書けたらと。18世紀の初頭に発表されたあの作品は、近代的合理精神の発端と見なされることが多いんですね。無人島の場面では、ひとりの人間が合理的精神を駆使して自然の中に文化を生みだす過程が物語られている。こうしたフィクションの形式を再利用して、現代社会の仕組みや成り立ちを描き出すことをいつか試みてみたい。まだやりようがある気がするんです。

――あの名作が、そんなヒントになっているとは。

阿部 : 『ABC戦争』を発表したばかりの時、若造だったんで「田舎のヤンキーの生態をレヴィ・ストロース的に書こうとした」と格好つけて言っていましたが、必ずしもそれは冗談半分にしゃべったことではなく、デフォーが『ロビンソン・クルーソー』でやったことを形を変えてできないかと夢想していたんです。出来事を分析的に物語る方法というのを、僕はずっと模索しているんですが、フーコーの『言葉と物』の冒頭の、ベラスケスの「ラス・メニーナス」を論じたくだりもすごく好きで。ああいう風に書けたらもう断筆してもいいや、っていうくらいのものがある。あの分析の鮮やかさというのは、ディックの『ユービック』の、容赦ない現実崩壊の描写と同じような文章表現の強度を持っていて、これなんだよ! というのがあるんです。形式においては、いわゆる反転構造みたいなものが僕は好きなんだと思います。と同時に『ロビンソン・クルーソー』みたいな、文化人類学的な視点を利用して、社会の仕組みや成り立ちを小説的に表現したい、という志向性を持っていると言えるかもしれないですね。

――小説の中に現代社会を描く。

阿部 : 分析的な語り口、または史実の小説的利用という点では、後藤明生の『挟み撃ち』や『吉野大夫』などの影響を受けたところもあります。『アメリカの夜』はもちろん、『シンセミア』にだってその影響はある。いずれまた、後藤作品から僕なりに学びとったことを形にしたいと思ってはいるのですが、しかしその前に、未読の小説を手に入れなければならない。ともあれ、そういう方向性がゆくゆくは、『ロビンソン・クルーソー』的なものとつながるのかもしれません。

【最新作について】

奇蹟
『奇蹟』
中上健次(著)
小学館
880円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
ミステリアス・セッティング
『ミステリアス・セッティング』
阿部和重(著)
朝日新聞社
1,575円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com

――毎回いろんな試みをなさっていますよね。

阿部 : というか、常に新しい試みに取り組みつづける作家に僕はこれまで惹かれることが多かったんです。たとえば谷崎潤一郎。谷崎作品における語りの変遷はやはりすごいですね。また、中上健次の苦闘の過程を思い返すと、僕なんかはまだほんの数歩あるいた程度だと思い知らされる。シードホールでバイトしていた頃に中上を読むようになって、『奇蹟』まで辿り着いた時の多幸感は凄まじいものがありました。まず、キャラクター小説として圧倒的に面白い。単純に萌えました(笑)。

――最近の読書生活は。

阿部 : 最近は『群像』に連載している『ピストルズ』という新作に取りかかっているのですが、未だにその資料の本を読んでいます。山のようにあるので、なかなか読み終わらない。

――最新刊『ミステリアス・セッティング』は、純真だけど世間知らずな少女シオリが転落していく展開。携帯小説として発表されましたが、きっかけは…?

阿部 : 編集者と次はどうしようかと話していた時に、「携帯とかやってみたら面白いですね」とポロッと言ったら、次に会った時には決まっていました(笑)。まあ、そのあたりの話は長くなるので、今回はネタバレ話を…。

――ぜひ!

阿部 : 実はベースにマルキ・ド・サドのジュスティーヌとジュリエットがあるんです。主人公を女の子にするのは決まっていたので、姉妹が出てくるようにしようと思って。

――美徳のジュスティーヌと、悪徳のジュリエットですね。

阿部 : サドは何冊もあるし分厚いので、ほんの部分的なキャラクターのイメージを借り受けて、物語の舞台を今に近い未来にして、僕にとってのジュスティーヌとジュリエットを造形しました。でも見抜く人はいるもので、ネットに書かれた感想の中に「今回のはサドっぽい」というのがあって。鋭いな、やっぱり分かっちゃうんだな、と思いました。まあ、そういうことなので、今度はジュリエット編も書かないと…。

――ああ、そうだったんですか! ところで携帯小説という形態はどうでしたが。携帯小説というと否定的な人もいますが。

阿部 : 僕もほとんど読んでいないので偉そうには語れませんが、コンテンツを見るとかなり面白そうなんです。特にBL、ボーイズラブものは、えっ! と思わせるあらすじがある。まあ、新しいものは何でも否定されるものなので、携帯小説に否定的な人がいるというのも、ありふれた光景にすぎない気がします。僕自身は、書いていて楽しかったですよ。携帯という画面の小ささや、使えない引用符があるといった制約はありますが、それは本質的な問題ではありませんでした。まあ、1作発表しただけですが、僕自身は非常に楽しかったです。

――ではぜひ、ジュリエットの章を携帯小説で。

阿部 : そうですね、いつかやってみたいです。

(2007年2月23日更新)

« 第63回 | 一覧 | 第65回 »