【今週はこれを読め! ミステリー編】失われた人生のシークエンスを探す冒険行『戦下の淡き光』

文=杉江松恋

 こんなことが本当に起こりえたのかという人生の瞬間についての小説だ。

 現在進行形でその時間と伴走した後、追想によってその魔法が本物であったか否かを作者は検証してみせる。

 作中の時計が1945年、第二次世界大戦真っ盛りの時期に合わせられているのは、もちろん偶然ではない。

 カナダの作家マイケル・オンダーチェが描く登場人物たちは、最後まで書かれていない脚本を手渡され、何を意味しているのかわからない大道具の置かれた舞台に立たされて、常に困惑しているように見える。読者は登場人物とその不確かさを共有し、ありえたかもしれないことや人々の見えなかった表情について想像を巡らせることになるのだ。2011年の『名もなき人たちのテーブル』以来、7年ぶりに発表された新作『戦下の淡き光』は二部構成の長篇だが、その第二部にこういう一文がある。


「人生のなかで失われたシークエンスは、かならず探しだせるものだという」


 だが、本作の主人公ナサニエル・ウィリアムズ、語り手の〈僕〉には「なんの手がかりも見つ」けられなかった。十代後半のことである。大きな謎を抱えたままで彼は成人し、やがてそれなりの権限を持った職業について、自身を含む人々の空白を埋め始めるが、それが完全に事実に基づいているのか、彼の想像の産物であるかが読者には明かされない。その点がいわゆるミステリー・ジャンルのお約束とは異なるのだが、記憶の中の謎に関する物語としてぜひ楽しんでもらいたい。「失われたシークエンス」を巡る冒険行と言ってもいい。

 やや先走った観があるので、本書がどんな風に始まるかを書いておく。1945年、ロンドンの〈リュヴィニー・ガーデンズ〉に住んでいたウィリアムズ夫妻が、1年のあいだシンガポールに赴任する、と宣言して子供たちを置いて姿を消すことから話は始まる。子捨てもいいところなのだが、母親であるローズはもちろん何も配慮をしていないわけではなかった。家の三階に間借りする男性を後見人として残していくというのである。すでに"蛾"というあだ名がついていて、姉のレイチェルは彼を犯罪者ではないかと疑っていた。

 レイチェルが16歳、〈僕〉ことナサニエルは14歳。二人は学校の寄宿校舎に通い始めるが、住み心地が悪かったために最初の機会をつかまえて〈リュヴィニー・ガーデンズ〉に帰ってくる。家の中には"蛾"がいたが、他の人物もいた。痩せた男が、父の指定席の肘掛け椅子に座っていたのである。


「こちらはノーマン・マーシャルさん。かつては川の北側でウェルター選手だった。ピムリコの矢魚(ダーター)の名で知られていたんだよ。聞いたことあるんじゃないか?」


 そんな風にして知らない大人たちが、かつてはナサニエルの一族しか住んでいなかった家に集まってくるようになる。ダーターは遊び人で、女をとっかえひっかえしているように見える。その女たちも〈リュヴィニー・ガーデンズ〉に顔を出し始める。中の一人には、民族誌学者だというオリーヴ・ローレンスがいた。ダーターは、自分を言葉でやりこめるような女性が好きなのだ。まだ若かったがナサニエルはあるバイトを始め、そこで知り合った少女と深い関係になる。アグネス・ストリートの空き家に潜り込んで体の関係を持ったことから、アグネスと自称し始める彼の恋人は、庇護者として振る舞うダーターをナサニエルの父親だと思い込む。

 本書の第一部にあたる「見知らぬ人だらけのテーブル」ではこんな風に、十代の姉弟が突如生まれた祝祭のような空間に投げ出され、それに順応していくさまが描かれていく。前作『名もなき人たちのテーブル』の原題はThe Cat's Tableなので似たような題名になったのは偶然なのだが、オンダーチェ・ファンにはちょっと嬉しいところだろう。いきなり周囲の人間が大人になってしまう。それも、一癖も二癖もあるような連中ばかりだ。ナサニエルはダーターたちの怪しげな仕事も手伝う。その一つが、ドッグレースに出場させる犬の密輸で、夜のロンドンを彼らを乗せたトラックが疾走するのである。失踪といってもいい形で両親がいなくなったために、彼の少年期は強制的に終了させられた。初めて知の香りを味わわせてくれた女性オリーヴや、体の交わりを通じて彼に個としての自覚を目覚めさせる恋人アグネスなど、魅力的な人々との関係によってナサニエルは、先はまったく見えないが、生の充実感には溢れた日々を送ることになる。 もちろん、これが戦争という非常事態によって生み出された空白であることも忘れてはいけない。ロンドンの隅でうろうろしている連中の存在など重視されることのない無秩序があったからこそ、ナサニエルの祝祭は続いていったのだ。

 美しい文章で綴られる本書であるが、この第一部の、回想形式で描かれる青春の喧騒は本当に読み応えがある。特にナサニエルが運送中の犬たちと共にアグネスと眠る夜の場面。


----[......]そして、犬たちが丸まって眠ってしまうと、僕たちもそのそばの床で眠った。まるでこの動物たちに囲まれることが、僕たちのあこがれの暮らしであり、望んでいた仲間を得たかのようだった。それはあのころロンドンで味わった、イカレていてもちっぽけで、なのにとても大切で忘れられない人間らしい瞬間だった。ふと目覚めると、眠っている犬の細い顔がすぐそばにあり、僕の顏に静かに寝息を吹きかけながら、さかんに夢を見ていた。[......]


 この祝祭はあることで終了する。ナサニエルにとっては二度目の少年期の終わりであって、帰還した母ローズとの生活が始まるのが第二部の展開だ。ここにも謎めいたローズと彼がチェスで対局し、初めて「母と子になった」と実感するいい場面があるのだが、引用は控えるので実際に読んでもらいたい。母と子と書いたが、ナサニエルがローズに見ているのは母性ではなく、自分を産んだ女性がいかなる人生を送ってきたか、という個の姿であることにはぜひ注目されたい。この第二部は、ナサニエルがローズ・ウィリアムズの個人史を自分なりに描こうとする物語になっているのである。第一部が不可解な状況のみを読者に呈示する問題篇だとすれば、こちらは謎解き篇と言えないこともない。

 実は第一部の早い段階で、ローズ・ウィリアムズがいかなる事情で子供たちの前から姿を消したのかは簡潔な言葉で読者に伝えられている。ここでは書かないが、それによって本書は、イギリス・スリラーのある類型にも属することが示唆されるのである。だが、あえてジャンルに沿った読み方をする必要はあるまい。血のつながらない者同士で作られた謎の疑似家族の物語である第一部、そのような状況を作った女性の真意を事実の発掘と推測とで探っていく第二部は、謎で牽引される物語を好む読者を大いに満足させてくれる。

 最初に書いたように本書は「失われたシークエンス」を探る冒険行であるが、探していた欠片をすべて集め終わらないうちに幕は下ろされることになる。自身の喪失感を少しでも埋めるべく歩き回るナサニエルは、その行動によって過ぎ去った時間が二度と元には戻らないという事実の重みを知ることになる。再会した人物との過去の空白を埋めようとして、その部屋の洗面所に立ち、シンクに置かれた物たちに思いを馳せようとする主人公の姿は実に物哀しい。もし洗面所小説のアンソロジー企画が持ち上がったら、私は間違いなく本書を挙げるだろう。

(杉江松恋)

  • 名もなき人たちのテーブル
  • 『名もなき人たちのテーブル』
    マイケル・オンダーチェ
    作品社
    2,860円(税込)
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